大判例

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大阪高等裁判所 昭和61年(行ケ)1号 判決

原告(選定当事者) 田上泰昭

被告 大阪府選挙管理委員会

主文

一  原告らの請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  原告ら(以下、「原告」という)(請求の趣旨)

「一 昭和六一年七月六日に行なわれた衆議院議員選挙の大阪府第三区における選挙を無効とする。二 訴訟費用は被告の負担とする。」との判決。

二  被告

(一)  本案前の裁判

「一 本件訴えを却下する。二 訴訟費用は原告の負担とする。」との判決。

(二)  本案の裁判

「一 原告の請求を棄却する。二 訴訟費用は原告の負担とする。」との判決。

第二当事者の主張

一  原告

1  請求原因

(一) 原告は、昭和六一年七月六日に行なわれた衆議院議員選挙(以下、本件選挙という。)の大阪府第三区における選挙人である。

(二) 本件選挙は、公職選挙法(昭和二五年法律一〇〇号、以下「公選法」ともいう。)について昭和六一年法律六七号により改正された衆議院議員定数配分規定(同法一三条、別表第一、ならびに同法附則二項、および七項ないし一〇項を指す。以下、同じ)にもとづき実施されたものであるが、右規定による各選挙区間の議員一人当りの有権者分布差比率は、最大二・九二(神奈川四区)対一(長野三区)、にも及んでおり、原告の選挙区と長野三区とのそれも、二・二七対一に及んでいる。

これは、なんらの合理的根拠にもとづかないで、住所(選挙区)のいかんにより、一部の選挙人を差別し、不平等に取り扱つたものである。

(三) 右の議員定数配分規定は、改正前の同規定が昭和六〇年七月一七日最高裁判所大法廷判決で「違憲」と断定されたことを受けて、本件選挙直前に急遽改正されたものであるが、これは昭和六〇年における国勢調査の速報値にもとづき、各選挙区間の議員一人当りの人口比率を一対三以内にとどめ、最高裁判所および国民の違憲判断の回避をはかつたもので、もとより彌縫策であつて、これにより本件選挙における右規定が違憲である旨の判断を免れない。

なぜなら、国民主権下の選挙においては投票価値平等の原則は選挙の公正をささえる根本的基盤であるから、議員一人当りの有権者分布差比率は、一対一に限りなく近づいたものでなければならず、一対三の比率などはこれに隔たること甚だしいものがあるからである。

(四) それ故、右のような各選挙区間における選挙人の投票価値に著しい較差のある議員定数配分規定にもとづく本件選挙は、どの選挙人の一票も他の選挙人のそれと均等な価値を与えられることを要求する、憲法一四条一項、同一五条一項一、三項、同四四条に違反し、無効である。

(五) よつて、原告は、公職選挙法二〇四条にもとづき、請求の趣旨記載の判決を求める。

2  本案前の反論

原告は後記被告の本案前の主張に対し次のとおり反論する。

(一) 議員定数不均衡問題の憲法上の位置づけと歴史的認識

(1) 日本国憲法は、その前文において、「主権が国民に存することを宣言し」ており、これが憲法の他の条文、たとえば一条の「主権の存する日本国民」とか、四一条の「国会は、国権の最高機関」である等の文言と相俟つて、わが憲法が国民主権の原理にもとづくことを明らかにしている。すなわち、国民主権主義は、基本的人権尊重主義、永久平和主義とならぶ、わが憲法の基本原理の一である。

この国民主権主義の理念それ自体を具体化し、これを現実的実効的に保障するために、国民が能動的立場において国政に参加する権利が、すなわち選挙権である。選挙権は、国民の政治的自治ないし自律を認めるわが国のような民主制の下にあつては、国政の担当者に対する信任の表示というすぐれて人格的個人主義的要素を有するところの権利である。したがつて歴史的経験によれば、選挙制度は、普通、平等、自由、秘密という、投票に関する諸原則を逐次保障することによつて次第に民主化され進化してきた。そして、今や、これらの保障がどの程度にまで充たされているか、投票手続が厳正、かつ、客観的基準に基づいて行なわれているかどうかということが、国家における民主制実現の程度をはかるバロメーターであるとさえいわれている。つまり選挙制度は一見極めて技術的にみえながらも、「民主制実現にとつては決定的」である。

わが憲法一四条一項が、「すべて国民は、法の下に平等」である、とする平等保障条項を掲げ、一五条一項、同条二項が、それぞれ、「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。」「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。」と明記し、また、四三条一項が、「両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。」と明定したのは、憲法が国会議員の選挙について、「国民の代表者の選出については、不当に不公平不平等な手続や方法で行なわれてはならない」との大原則を実効化させるためのものである。

さらに、憲法一五条三項、四四条但書は、成年者による無差別の普通選挙を保障している。そして、憲法四七条の委任をうけた公選法の各条項も、選挙手続に関する具体的細則に関して、直接選挙制、一人一票制、秘密投票制等の諸制度を明定して、選挙制度の民主化に寄与してきた。

もつとも、憲法、公選法のこれらの条項は、選挙権の「資格要件」の平等と、「投票の数」に関する平等についての消極的例示的な保障規定であるにとどまり、各選挙人における「結果価値」をも含む「投票の価値」の平等の重要性についてまで明言していない。

しかしながら、一国における選挙権の平等は、「数的価値=一人一票」(one man, one vote)の保障ばかりでなく、「結果価値=一票一価」(one vote, one value)の保障が確立せられてこそ、実現されるものである。もし「結果価値」の平等が確保されないならば、表面上一人一票制を保障しても、その実、ある者の一票が他の者の数票に相当する価値を有することになり、ある者には数票を他の者には一票を与えたのと全く同一の政治的効果が生ずることになる。それは複数投票制の現代版である。このように、一票の実質的価値に明らかな差異が生じると、有権者の意思を公平に、かつ、合理的に立法府に反映するという平等選挙制の機能は甚しく阻害され、選挙権の平等は全く名目化形骸化されるであろう。

昭和五一年四月一四日言渡の最高裁大法廷判決の「選挙権の内容、すなわち各選挙人の投票の価値の平等もまた、憲法の要求するところである」との公権的解釈は、このような意味であつた。

(2) わが憲法の志向する民主政治にとつては、手続の保障はことのほか重要である。国権の最高機関である国会の構成を定める選挙がいかなる手続で行なわれるか、国民の投票が国法上いかに取り扱われているかは、わが国の民主政治の程度をはかるバロメーターである。

治者と被治者の政治的自治ないし自律をその本質とする民主政治においては、過半数の国民が過半数の議会代表を選出できるように手続化され、仕組まれる必要があり、もし、過半数に充たない国民が過半数の議会代表を選出し得ることになれば、それは議会における少数者支配を是認することとなる。各選挙区別の有権者の投票の価値に差等を設け、ある地区で当選できる票数の何倍もの票数を集めても、なお、他の地区では落選するという選挙法制を採る限り、ある地区の少数者が過大代表を形成し、他の地区の多数者の過小代表を押えて、優に議会における過半数を制することも可能となる。

たとえば、アメリカ合衆国の例をみれば、一九六〇年代に連邦最高裁判所は、ベイカー事件の判決に引き続き、ウエスベリー、レイノルズ事件等において一連の画期的な違憲判決を打ち出し、アメリカ全土にいわゆる「再配分の季節」をもたらして、立法部における右のような代表ギヤツプを是正したのであった。

このような立法部における代表ギヤツプという病理現象は、わが国でもすでに顕著なものとなつて久しい。すなわち、昭和二〇年代後半からの戦後の復興期において、人口が大都市に集中したにもかかわらず、国会議員の選挙区割と議員定数は不変のままに放置されたため、国会では過疎地域の少数者が過大代表を形成し、過密地域の多数者の過小代表の犠牲において、政党の議席占有率と得票率が大巾な不一致を招いた。

かかる現象が不健全不公正であることはいうまでもないが、それ以上に真に憂うべきことは、自分たちの投票した者が他の選挙区においてなら悠々当選し得る票数を獲得したにもかかわらず、投票価値の不平等という制度のために落選し、こういう代表機能の低下現象を通じて、自分たちは結局他の地区の代表らによつて支配せられる関係に陥る点である。

(二) 選挙権の平等と諸外国の判例の動向

(1) 前述のとおり、投票の価値の平等は、それが単に法の下の平等原則を選挙権行使の場合において実現する、という意味においてばかりでなく、それが民主政治の根本原理を形成するものであるが故に、議員定数の配分においては人口比例の原則が堅持されなければならない。このことは諸外国の歴史的経験に徴しても、選挙権の平等化は、政治の民主化と深く関わつている。

すなわち、選挙権平等の基礎理念である一人一票原則が確立するまでの西欧諸国にあつては、特定の選挙人にのみ複数の投票権を与える複数投票制(ベルギー、一八九三年選挙法)や大学選挙区(イギリス、一九一八年選挙法)、あるいは封建的差別に応じて階級別に選挙をする等級選挙制(プロイセン、一八四八年選挙法)などの不平等選挙が行なわれていた。これらの過程を克服して、まず、数的価値の平等である一人一票の原則が一九世紀の西洋史において普通選挙実施への要求と複数投票の禁止を求めるスローガンとして生まれ、第一次世界大戦後の諸国の憲法に漸次その思想が採用せられ、実定法化されるにいたつたのである。これが数的価値のみならず、結果価値の平等をも含む意味にまで拡張して解釈されるようになつたのは、ワイマール憲法下のドイツの判例以降の現象である。

第二次大戦後、右の傾向はさらに強まり、結果価値の平等を保障してはじめて国民の国政に参加する度合が等しくなる、という原理が学説ないし判例上からも広く確認され、選挙という国民の能動的権利の平等についての制度的保障が諸外国の法制においても広く採択されるようになつた。

(2) アメリカの事例では、二〇世紀初頭よりその中盤にかけて都市化が進むにつれ、人口の都市への集中という現象がアメリカにおける政治制度をその根幹からゆさぶり始めた。

すなわち、農村の住民が都市に移住し都市の人口が急増したにもかかわらず、多くの州においては選挙区と議員定数が不変のままに放置されたため、農村地域の少数者が過大代表を形成し、都市地域の多数者の過小代表を押えて議会における過半数を制することが可能となるような事態が発生した。このため都市地域の選挙民が、選挙区割を定めた州法は過大代表と過小代表をもたらすから、アメリカ合衆国憲法第一条第二節と、同修正第一四条「平等保障条項」に違反し無効である、とする旨の訴訟を次々と提起した。

連邦最高裁判所は、当初かかる問題は「政治的問題」(political question)であり、司法判断に適さない(non-justiciable)の立場を執つたが、やがて、議員の配分、即ち、選挙区割に関して、裁判所は司法判断を行ない得ることを承認し、「実行可能な限度において等価値」(as nearey as is practicable one man'・六%、最大区最小区の人口比が一・〇六対一の程度であつても、それは「実行可能の限度において精確に」等価値でなければならない、という平等代表の憲法上の基準には合致せず、違憲である旨を宣言した。

このようなアメリカの諸判例で違憲判断がされたケースはこれを次の二種に分類できる。

一つは、連邦議会の下院に関する事案であり、この場合は、連邦憲法により議員数は各州の人口に比例して配分され、その人口の算定は一〇年以内ごとに連邦議会が法律で定めるが、各州に配分された議員数を具体的にどの選挙区に配分するかという選挙区割はその州の立法部がこれを定めることになつているため、この選挙区割を定める州法を違法と主張するものである(連邦議会の上院については、上院が各州二人づつの議員で組織されることが連邦憲法で明定されており、常に州全域が一選挙区であるから、州における選挙区割の問題は生じない)。

他の一つは、州立法部の上院および下院に関する事案であり、この場合は、各院についての議員定数の配分と選挙区割を定める州法を違憲と主張するものである。

そうして、前者の場合の適例がウエスベリー対サンダース事件(wesbery v. sanders, 376 U.S.I(1964))であつて、ブラツク裁判官によつて代表される多数意見(六裁判官)は、連邦下院の選挙に関する規定―連邦憲法第一条第二節に準拠し、下院は「各州の人民によつて選ばれた」代表から構成され、「代表は夫々の人口に応じて各州の間に配分される」という文言を以て、「連邦議会選挙における一人の投票は、実行可能な限度において、精確に他の者の投票と同等の価値をもたなければならない」ということと同義である、と判示したものである。

また、後者の場合のリーデイング・ケースとなつたのがレイノルズ対シムズ事件(Reynolds v. Sims, 377 U.S 533(1964))―アラバマ州―であつて、連邦最高裁判所は、連邦憲法修正第一四条第一節の「いずれの州も、その管轄内にある何人に対しても法律の平等な保護を拒否してはならない」という規定は、両院制の州にあつては、「そのいずれの議席も実質的(substantially)に「人口の基礎」(population basis)の上に配分されることを要求している」ことを帰結すると判示し、アラバマ州のみならず、コネテイカツトほか一三州から上訴されていた再配分事件の判決でも、諸州の既存の再配分方式、および新たな再配分方式のいずれもが、連邦憲法修正第一四条「平等保護条項」に照らして違憲である、と断じた。

さらに、一九六九年のカークパトリツク対プレイスラー事件(kirkpatrick v. preisler, 394 U.S 526(1969))の判決は、「等しい人口に等しい代表」が憲法の要請しているところである以上、「実行可能の限度において精確に(as nearly as is practicable)」という基準を以て、州に対し数学的に正確な平等を達成するための誠実な努力をするよう要求しており、選挙区相互間の人口偏差がこのような州の努力にもかかわらず生じたものであることを証明しない以上、州は、その偏差がいかに僅かなものであろうとも、その各偏差の正当性を証明すべきである、とまで言明している。

これらはいずれも、各人の投票に対して実質的平等を保障する「一人一票」「一票一価」の原理を確立するための、アメリカ判例法の真摯な努力を示すものである。

(3) 西ドイツの事例では、「一人一票」の原則が単に数的価値のみならず、結果価値をも含む意味にまで拡張して解釈されるようになつたのは、ワイマール憲法下のドイツの判例の功績であり、第二次世界大戦後においても、西ドイツの連邦憲法裁判所が選挙事件に関してはたした司法積極主義の先駆的役割はまさに特筆に値する。

たとえば、ボン基本法下の一九六三年五月二二日付の連邦憲法裁判所の判決は、議員定数不均衡問題に関する憲法訴願について、各選挙区は実行できる範囲内でほぼ同じ人口数のものでなければならないとし、選挙の平等は投票の結果価値の平等をも要請する、との原則を確認した。ただ、人口に比例した選挙区配分は完璧に機械的に実現できないので、平均値人口数から上下三分の一(331/3%)の偏差を認める連邦選挙法(一九五六年三条三項)は憲法適合性の限界にあり、違憲ではない、とした。

つまり、憲法裁判所は、この事案において選挙の有効性を認め、判決主文は、たしかに「憲法訴願棄却」となつたのであつたが、判決はその理由の中で、議員定数配分についての憲法上の疑義を表明し、立法府が放置しておくと近い将来に違憲無効の事態を招く可能性があることを警告するにいたつた。

これは、「違憲警告判決」と呼ばれるものである。それは当初、法が明定していなかつた判決方法であるが、西ドイツにあつては憲法裁判所は、明文の法の方式のみに限定されずに、むしろ法の予想もしなかつた判決方法によつて多種多彩な判例史を形造つてきた、ということができる。

つまり、憲法裁判所法が当初予想していた判決方式は、およそ法令の合憲違憲が争われている限り、憲法訴願手続においても違憲無効判決か合憲判決かのいずれかの方式しかなかつたのであるが、しかしながら、そのような画一的形式的方式のみでは違憲審査の実を生かせない場合には、憲法裁判所は自ら独特の方式により判決をしているのである。

すなわち、その一は、「違憲性確認判決」といわれるもので、主文においては法律の違憲性を確認するが、無効とは宣言しない方式である。

また、その二は、「違憲警告判決」と呼ばれるもので、主文において法律の違憲性を確認することもせず憲法訴願を棄却するが、判決理由の中で違憲性の確認ないし違憲性の強い疑義を表明し、立法府に対して改廃の義務があることを警告するという方式である。

右の事案において、もし憲法裁判所が選挙区配分の違憲無効を宣言すれば、その判決の帰結として、すでに成立している連邦議会を基礎づける選挙が無効であつたことになり、連邦議会そのものをも法的に不成立にし、立法府の権限分野に対する強すぎる干渉となる怖れがある。他方、合憲判決を下すと、違憲的状態が憲法裁判所の判決を通じて正当化されてしまうことになろう。

このようなデイレンマを克服するため、憲法裁判所が現実的解決方法として考案したのが、右のような判決方法であつた。それは違憲無効判決、合憲判決のいずれにおいても生じ得る不都合な事態を回避し、将来において平等原則が満足せられるように配慮したものである。

この判決に対応して、一九六四年二月一四日、連邦選挙法の別表は改正され、不均衡が是正された。

(4) 以上のようなアメリカ合衆国や西ドイツの判例史に照らし後示被告の本案前の主張二1(一)(二)のように法の欠缺ないし法の不備の分野では裁判所は実質的審理をし得ない、あるいは何らの行為もできないというのは幻想であつて、現に諸外国の司法裁判の実際において古めかしい幻想を打ち破るための幾多の努力が払われていることが分かる。

(三) 本件訴訟の適法性

(1) 公選法二〇四条の訴訟で選挙無効の要件として「選挙の規定に違反すること」と、「選挙の結果に異動を及ぼす虞がある場合」が必要であるが(同法二〇五条一項)、「選挙の規定に違反すること」とは、単に選挙の管理執行に関する手続規定に違反する場合をいうばかりでなく、たとえば明文の規定がなかつたり、あるいはそれに直接違反することがなくとも、選挙法の基本理念である選挙の自由公正の原則が著しく阻害された場合があれば、これらをも含むものと解すべきである(最高判昭和二七年一二月四日民集六巻一一号一一〇三頁、同昭和三〇年八月九日民集九巻九号一一八一頁参照)。

そもそも定数不均衡とは、選挙の手続規定にもまして、選挙の自由公正を根本的に阻害するものであり、「選挙の規定に違反する」最たる事例ということができる。

しかも、定数配分規定が改正されるならば、「選挙の結果に異動を及ぼす虞がある場合」に該当することは明白であるから、被告のいうような公選法の定める期間内に再選挙を執行することが事実上不可能であることが仮に予想されるとしても、なんらかの臨時的措置によつて再選挙を行なうという解釈、ないしは再選挙という形式以外の救済方法(一例として将来効判決)の存在などをも考え合わせるならば、本件の公選法二〇四条による出訴は選挙訴訟として適法である。

(2) 被告のいう訴訟法定主義を国民の「裁判を受ける権利」(憲法三二条)に優先させるべきではなく、裁判所が権利のあるところに救済手段を当事者のために創造的にでも探し出す努力をすることは、決して三権分立原則に違背しない。議会制民主主義に不可欠な国民の参政権を擁護するためには、在来の理論的障壁を乗り超える自由にして法創造的な発想が必要である。

(3) 次に、被告は、昭和五一年大法廷判決がいわゆる事情判決を下したことについて、これは公選法二〇四条を積極的に解釈した反面、同法二一九条についてはこれを無視または否定した、極めて政策的な判決である、と論難する。

たしかに原告も、右判決が、いわゆる事情判決の法理をかりて選挙を無効としなかつたことは、憲法九八条一項の解釈を誤り、憲法に違背したもので違法であると考えている。

即ち、事情判決制度は諸外国にその例をみないわが国行政法に独自の制度であるだけに、その安易な拡大解釈ないし類推適用は戒めなければならない、いわんや公選法二一九条が選挙訴訟について行訴法三一条を準用することを明文で排除している場合に、いわば超法規的に同条に含まれる法の基本的原則を援用することは、極めて厳正に、限定的になされなければならない。

ところが、右判決は、このような事情判決法理援用の抑制的原理にもかかわらず、これらを無視して憲法訴訟の領域にまで右法理を導入しているのである。

しかし事情判決の法理を導入した右判決の論拠は必ずしも十分でなく、著しく薄弱なものという批判を受けなければならない。そして、なおも右法理導入を批判するには、上位法規である憲法原則と下位法規である公選法上の法理との効力的優劣に留意しつつ、下位法規における公益優先の法理が上位法規によつて保障された国民の基本権を無効にし侵犯するようなことは許されないという、実質的配慮に基づいてなさるべきである。

これに対し、被告の主張は、右判決がただ単に公選法の明規に違反し、結局において行訴法三一条を準用して事情判決を下したことが極めて政策的である、という形式的批判に終始している。この形式的批判と原告の前記実質的批判とはまさに対照的であり、実質的批判の立場にたつとき、選挙権の平等という国民の基本権の保障につき、本件訴訟に関して裁判所が議員定数配分規定全部の違憲性を肯認する以上は、むしろ毅然たる無効判決を下すべきである。

ところが、被告の主張は、事情判決(違憲警告)すらもみとめず、単なる形式的理由にもとづいて本件訴えを却下せよというのであるから、国民の権利侵害を救済するという見地において、厳しく弾劾されなければならない。

(4) さらに被告は、アメリカ、西ドイツの裁判制度との対比において、本件訴訟が司法権の対象とはならない、と主張するが、これに対する原告の反論は、前示(一)のとおりである。

なお、成文法主義のわが国においても、司法裁判所が時代の要請に即応して多種多様の判例法を発生させ、これらが成文法に対する対等の地位を占め、ことに法の欠缺ないし不備の分野においては、判例の集積が歴史上重要な作用をはたして来たことは周知の事実である。

それゆえ、仮に本件のような議員定数配分規定の是正を求める選挙無効事件がたとえ立法当初予想しなかつた訴訟形態でも、これに司法審査を加えず放置することが権利の侵害を助長し、国民の救済手段を奪う結果となるような場合には現行の法規に合理的解釈をして具体的妥当性をはかることが司法裁判所の使命である。

結局、被告の主張は既成の事実をあるべき真実に優先させ、具体的妥当性よりも形式論理を重んずるもので失当である。

3  本案の主張

(一) わが国の選挙制度の実状と主要な問題点

(1) 選挙制度の実状

わが国の選挙法における選挙区の決定は、歴史的には、行政区画主義と人口主義の二つの原則に依つていた。

すなわち、わが国の選挙法は、諸外国のように、議員定数の不均衡を人口変動に応じて是正する旨の明規をもうけていたわけではないが、明治二二年衆議院議員選挙法を制定以来、ほぼ伝統的に人口一二、三万人に対して議員一人を配分するという制度をとり、戦後、衆議院議員選挙法を改正(昭和二二年法律四三号)したさいにも、総定数を四六六人とし、人口一五六、八九七人に対して議員一人を配分した。

ところが本件選挙当時において、一議席あたりの全国平均有権者数が一六九、二九二人に増えたのはよいとしても、たとえば神奈川第四区の一議席あたり有権者数は三〇四、八九五人、また、本件大阪第三区のそれも二三七、四一一人と、全国平均有権者数に対して、それぞれ、一八〇・一〇%、一四〇・二四%もの著しい偏差を示すにいたつている。

わが国の選挙が永年の歴史的伝統に反し、このような不公平不平等な事態を招くにいたつた原因は公選法の曖昧さと議員定数是正に対する国会の裁量権の故である。

すなわち、衆議院議員の定数を定めた公職選挙法別表第一末文は、「本表はこの法律施行の日から五年ごとに、直近に行われた国勢調査の結果によつて更正するのを例とする。」と規定しているのにかかわらず、右は単なる訓示規定であるとして、同法施行以来、三十有余年の間に現実に彌縫的な更正が行なわれたのは、昭和三九年(一九名増)、同五〇年(二〇名増)と、今回の昭和六一年(八名増、七名減)の三回のみであつた。また、国会の裁量権も現在のところは全く無原則無限定のままに放置し座視されており、その恣意性と怠慢さの故に日本の民主政治はまさにこの選挙制度の不平等という一角から変質しようとしている。

しかしながら、諸外国における厳正な選挙制度と対比するとき、このような明規や判例法をもたないわが国であるからこそ、議員定数配分における明確にして客観的な基準の設定と、国会の裁量権に対する合理的規整が最小限必要となる。

(2) 議員定数配分の合理性の判断基準

選挙民の投票の価値は、あくまで一人一票対一人一票、一票一価対一票一価であるべきである。これは、いわば「理想値」である。しかし、人口の継続的変動とかその精密な調査の不可能というような、止むを得ない理由にもとづいて、右の「理想値」を超え、投票の価値の不平等が存在するにいたる場合のあることも歴史的には否定できない。そのような場合、投票の価値の不平等が恣意的、かつ、無限定に流れないために、法的に明確な許容基準ないし許容限界として、いわば「現実値」ともいうべきものを設定しておく必要がある。

このように、議員定数配分の合理性を判断する客観的基準を設定することは、選挙権の平等な行使を公的に担保する機能をはたすであろう。

それは単に、国会が議員定数を配分し、あるいはこれを是正するに際して重要な指針となるばかりでなく、裁判所が現行の議員定数配分規定の違憲合憲を判断するにあたつても、投票価値の不平等の限界値ないし許容限度の客観的な尺度として必要となる。

原告は、この許容基準ないし許容限界、すなわち、「現実値」として、仮に投票価値の実質的不平等が止むを得ない場合であつても、その最大値最小値の較差を「二対一」の比率にとどめなければならない、と考える。もし、ある者の一票が他の者の二票に相当する価値を有することになれば、そのある者には二票を、他の者には一票を与えたと同一の政治的効果が生じることは自明の理だからである。選挙権平等化の歴史が、いかに複数投票制、等級選挙制などの不平等選挙を制度上において克服し得たとしても、投票の実質的価値を不平等のまま無限定に放置するならば、それぞれの投票の政治的効果が異なる制度―つまり、複数投票制の現代版を棲息させる結果が生ずる。

換言すれば各人の投票の価値はもとより等価値でなければならないが、人口の継続的変動と一定期間の巨視的観察の必要という、選挙人数と議員定数の比率を数字的に厳密に一致させることの技術的困難さをも考慮し、さりとて一部の国民にだけ一人二票を許すことは国民の平等権の受忍し得る限度を超えた不平等になるし、複数投票制を実質的に否定する意味で、「二対一」でなければならない。それは、「一人に二人前以上を与えるべきではない」、「一人を半人前以下に扱うことは断じて許されない」という、人格の尊厳、個人の尊重を求める憲法感覚にもとづいている。

「二対一」の基準は、現在では歴史的理想的要請と実質的個別的考慮とをほぼ調和させた合理的数値と考える。

投票の価値の平等を憲法の要請であるとしながら、なお他方で、各選挙区間の投票の価値に二倍以上の偏差をもつ事態を無原則無限定に放置することは、一人一票制の冒涜以外の何物でもない。このような意味からも、「二対一」の基準が選挙権平等の公的担保のために堅持せられるべきである。

(3) 有権者比率か人口比率か

原告がときに投票価値の不平等較差を示す指標として有権者比率を用いるのは、本件訴訟が「選挙権」の平等を求める「選挙人」による訴訟であるという理由からである。一般に、投票価値の軽重をはかる指標としては、五年ごとの国勢調査にもとづく人口と、選挙人名簿登録者数とがあるが、このうち、有権者比率をいう場合は後者によつたものである。

しかし、この点については、昭和五一年大法廷判決もいうように、「厳密には選挙人数を基準とすべきものと考えられるけれども、選挙人数と人口数とはおおむね比例するとみてよいから、人口数を基準とすることも許されるというべきである」。それ故、選挙人数ないし有権者数と人口とを特に区別する実益は乏しい。

そこで、原告は前記(1)の有権者分布差比率にもとづく記載を、人口比率にもとづくものとして、以下のように予備的主張をしておく。

すなわち、「右規定による各選挙区間の議員一人当りの人口比率は、最大二・九九(神奈川四区)対一(長野三区)にも及んでおり、原告の選挙区と長野三区のそれも二・四一対一に及んでいる。」との予備的主張を追加する。

(4) 議員定数配分における国会の裁量権

イ わが国の国政選挙における一票の重みが平等でなければならないことは、憲法一四条一項の平等保障条項の当然の帰結である。

先ず昭和五一年四月一四日言渡大法廷判決は、議員定数配分について人口的要素が「最も重要かつ基本的な基準」であると認めているが、他方でそれ以外に「実際上考慮され、かつ、考慮されてしかるべき非人口的要素」は少なくないとしている。そして、その例示として、都道府県はいうに及ばず、従来の選挙の実績、選挙区としてのまとまり具合、市町村その他の行政区画、面積の大小、人口密度、住民構成、交通事情、地理的状況等を掲げている。

しかしこのような非人口的要素として政治的、歴史的、あるいは社会的諸要素を実質的に考慮して選挙権の平等を侵犯する合理的理由の判断に奉仕させようとするならば、それは投票価値の平等を要請する憲法原則を立法政策の中に相対化させ、例外を重んじて原則に悖るという結果を招き、遂には憲法原則それ自体をも空文化させるであろう。それは徒らに政党間の利害得失論を跳梁させることともなり、選挙制度の是正論議を長期サボタージユへと導く。

現に選挙民は、立法措置によつては治癒し得ない定数不均衡の慢性的病理現象に悩まされつづけている。

ロ 昭和五〇年の改訂は当初、人口比は上下三倍以内などという恣意的な原則によつてはじめられ、しかもその原則さえも守られずに、結局、党利党略むき出しのまま、強いて名付ければ「人口比上下概ね三倍方式」などという珍奇な方式によつて妥協せられたものである。これが判例の高唱するところの「国会における高度に政策的な考慮」の結末なのであるが、はたしてこれがわが憲法の予想する国会の立法裁量の名に値するであろうか。

そして、右の是正作業のその後に触れるならば、増員後六人以上となつた選挙区は分区することとなり、分区後の倍率は最高で二・九二(東京第七区と兵庫第五区)と、一応、三倍以内に収まりはしたものの、それも束の間で、昭和五〇年一〇月一日の国勢調査では、またまた三・七二倍(千葉第四区と兵庫第五区)に跳ね上り、さらにその較差は昭和五八年選挙の時点で四・一四倍と拡がる一方であつた。この較差を今回の昭和六一年法律六七号にもとづく改訂によつて、一応は最大較差二・九二倍程度(神奈川第四区と長野第三区)に収めたのであるが、従来の歴史的経験に徴すれば、次の国勢調査結果が出るまでの間に最大較差が三倍をはるかに超える可能性は極めて高い。

ハ 国会の立法裁量に対する疑惑はこればかりにとどまらない。

もし明確な客観基準が掲げられずにただ国会のお手盛の裁量にだけ任されているならば、具体的に選挙区へ何人を配分するかの審議にさいして、結局、党派的利害が因循姑息な技術を弄し、平等原則にむしろ逆行するところの種々の病理現象さえ生むにいたる。

従来の定数配分の改正経過にみる党利党略的論議の終始はいずれも国会の立法裁量そのものに内在する宿弊であつて、「悪い議員配分は、立法的な医薬によつては治らない」との名言を如実に物語つている。

定数問題は定数問題それ自体として、政治的介入を一切斥けて処理されなければならない。それがためには、国会の恣意的な立法裁量を許すべきではない。「国会における高度に政策的な考慮要素」という判例用語は、それが一たび国会内に棲みつくとき、美辞麗句に名を藉りた政治的利害の好餌となることを銘記すべきである。

(二) 立法裁量の範囲と限界

(1) 議員定数配分における考慮要素としての人口比率とこれについての国会の裁量権の問題につき西ドイツにおける学説判例の動向を注目すべきである。

すなわち、西ドイツにおいては、平等選挙の原則はその形式的性格において一般的平等原則から区別される。一般的平等原則では実質的平等の理念が妥当し、実質的理由のあるときには合理的な差別的取り扱いが可能であるのに対し、平等選挙の原則にあつては形式的平等の理念が妥当し、ひたすら平等の「ラデイカルな普遍化」「ラデイカルな性向」を志向する。それは個々の国民の政治的事情、洞察能力、判断能力を顧慮することなく、また、社会的評価とも関係なく、ただ各人を平等に評価することのみを要請する。つまり、形式的平等とは、個々人の事実上の相違をなんら顧慮することなく各人を等しく取り扱い、画一的平等ないし算術的平等を要請するのである。

すべての国民は、政治的意思形成の領域においては各々の社会的諸条件の相違にもかかわらず、絶対的平等な評価を受けなければならない。即ち選挙の平等は、その徹底的な形式化を媒介としてのみ実質化されるというのである。

このような西ドイツにおける平等選挙の原則は、わが日本国憲法の場合にも妥当する。

わが国においても、選挙権の平等を論ずるにあたつては、一般的平等原則におけるような実質的平等や相対的平等の理念は作用せず、画一的ないしは算術的平等を志向する形式的平等の原理が妥当する。

(2) したがつて、平等選挙原則の形式的性格は、当然の帰結として、立法裁量の範囲と限界について厳格性を要求する。

西ドイツ憲法(基本法)三八条三項は、選挙法の具体的形式については、日本国憲法の場合と同じく、「詳細は、連邦法律で、これを定める」として、立法府に選挙立法を委任しているが、その委任にもとづく立法権限を行使するにさいして、立法府は憲法上の原則を変更してはならず、ただこれを具体化し、あるいは補完することが許されるだけである。

諸外国における厳正な選挙制度と対比して、かかる明規や判例法をもたないわが国であるからこそ、議員定数配分における明確にして客観的な基準の設定と、国会の裁量権に対する合理的規整が最小限必要である。

すなわち、選挙法運用に関する立法裁量の範囲としては、憲法の平等原則を具体化し補完するための諸要素に対する考慮のみが許され、また、立法裁量の限界としては、「他の者に二票を与えてはならない」という、いわゆる「二対一」の許容基準を超えることはできず、さらに平等原則からの乖離を正当化する理由の挙証責任はその差別を主張する側に課する、という大原則を打ち樹てることの必要性がある。

(三) 立法裁量の限界の曖昧性

従来、最高裁大法廷判決はいずれも投票価値の不平等較差に関する立法裁量の限界を極めて曖昧に解してきており、これは非人口的要素への過渡の配慮であつて、支持できない。

昭和五一年、五八年、六〇年の判決における違憲判断の理由として、最高裁判所は、単に「国会において通常考慮し得る諸般の要素をしんしやくしてもなお、一般に合理性を有するものとは考えられない程度に達していた」とする抽象的判断基準を形式的に述べたにとどまり、いかなる要素をどのように斟酌したのかという諸要件の吟味については全く言及するところがないばかりか、結局、配分規定がなぜ合理性を欠くにいたつたのかについての法的根拠も示されなかつた。

しかし、裁判所は客観的判断基準を抱懐すべきであり、いやしくも違憲合憲を判断する基準が感覚的ないし印象的判断であつてはならない。

前掲大法廷判決の趣旨からすれば、憲法は投票価値の平等を要求しているが、それは一人一票、一票一価における一対一の数値を厳格に意味するものではなく、この数値の上に他の非人口的な諸般の要素をも加味して、総合的な把握としてどの程度までの較差であれば合理性をみとめられるかどうか、を判断しようとしていると解される。

しかし、このような立場に立つとしても、合理性を担保する非人口的な諸般の要素の吟味ないし検討は個別的に説得力を以つてなされねばならず、また合理性の判断基準もこれを緩やかに解することは許されない。大法廷判決はこの諸般の要素の吟味ないし検討もせず、合理性の判断基準についてなんらの枠組をも設定せずに無限定にこれを解しているのであるから、判例自身が自己撞着に陥つている。なぜならば、非人口的な諸般の要素への過渡の配慮と合理性基準の緩和は、判例自身がその大前提として標榜している「憲法一四条一項に定める法の下の平等は、選挙権に関しては、国民はすべて政治的価値において平等であるべきであるとする徹底した平等化を志向するものであり」、「選挙権の内容、すなわち各選挙人の投票の価値の平等もまた、憲法の要求するところである」とする選挙権平等の大原則と矛盾し、遂には本質的にこれを損なう結果に陥る。

そして、この相矛盾するかにみえる判例の趣旨を整理すれば、最高裁判所は、選挙区割と議員定数の配分を決定するさいの原則として、

〈1〉 選挙人数と配分議員数との比率の平等が、最も重要かつ基本的な基準である。

〈2〉 それ以外にも、非人口的な諸般の政策的技術的要素を考慮することが許される。

〈3〉 右の〈2〉についての考慮が、〈1〉の投票価値の平等原則の厳格性を侵害する結果となつても、それが国会の裁量権の合理的行使として是認されるならば、憲法に違反しない。

〈4〉 国会の裁量権の合理的行使として是認されるかどうかについての客観的ないし数値的基準は存在せず、違憲合憲の判断はすべて裁判官の自由心証にまかせられる。

という結論を採つている、と思われる。

このような結論に対しては、以下のような批判を加えることができる。

その第一は、判例のいうように、右〈1〉の選挙人数と配分議員数との比率の平等が最も重要かつ基本的な基準であり、それが憲法上の要請である(憲法の力をもつ)とするならば、この投票価値平等の原則には選挙制度決定の考慮要素として最優先順位を与えられ、一種の価値的プレミアムを付されたことを意味する。従つて、右〈1〉の基準は、単に法律上の理由にもとづく(法律の力をもつ)他の考慮要素に優先する強行性を有し、〈2〉にいう他の諸般の要素に対しても法的効力関係の面で排斥力をもつ存在である。

ところが最高裁判所が、自ら設定したこの〈1〉〈2〉間の価値的秩序を認識せず、もしくはこれを混同ないし無視して、右〈1〉の基準と、〈2〉の「他の要素を総合的に考慮」し、〈1〉〈2〉を選挙制度の決定において並列的調和的に理解しているのは論理的矛盾である。

第二に、右〈1〉〈2〉の各要素間の価値的秩序の不認識、もしくはその混同ないし無視は、結局において、投票価値の平等を志向する憲法原則を下位法規である立法政策の中に相対的に埋没させ、遂には憲法理念を冒涜することとなる。

第三に、選挙制度の決定においてなんらの客観的数値的基準が存在しないならば、訴訟の都度、定数配分規定の違憲合憲の判断について裁判官の良心を悩ませ、その個別的配慮の介入する余地を増大し、ひいては法的安定性を害する。

第四に、同様に、選挙制度の制定者である国会に対しても明確な指針を与えることができず、選挙権の平等を国家制度の上に客観的公平さをもつて位置づける機会を失する。

第五に、後述の定数配分規定が、一体、いつの時点で違憲状態に陥つたかの判断にあたつて、なんらの客観的な基準が得られず、定数配分規定是正のための合理的期間の始期の認定を著しく困難、かつ、曖昧にする(わが国では較差が増大する一方なので、違憲状態に陥つたときの始期の認定が重要である)。

このように、選挙制度の決定についての国会の裁量権の限界を曖昧に解する判例の態度は、選挙権の平等という国民主権と代議機能に直結する、最も重要な国民の基本権を制度的に公平に保障し得ず、むしろこれを有名無実のものにしている。

このような立法府の裁量権の限界の曖昧さを打破するためには、議員定数配分における人口比例の原則を厳守した形式的平等主義の立場から、較差の許容基準とその限界を計数により準則化する必要がある。

原告が前述している「一対二」の基準は、一票の重みを一人一票という本来は数的平等の意味に理解されて来た選挙権平等の趣旨を、一票一価という価値的平等にまで推及した準則であつて、現実的意味のみならず、それなりの理論的根拠を含む。

(四) 五八年判決の傍論

最高裁判所の五八年判決は昭和五〇年改正法についての合理的期間を説く前提として、右改正により最大較差が一対二・九二に減少したことについて、次のような説示した。「前記大法廷判決(五一年判決)によつて違憲と判断された右改正前の議員定数配分規定の下における投票価値の不平等状態は、右改正によつて一応解消されたものと評価することができる。」

五八年判決のこの説示部分は、同判決が主文で審判の対象である昭和五五年選挙当時の投票価値の最大較差一対三・九四を違憲と判断したことと相俟つて、最高裁判所は現行制度の下では最大較差一対三ないし四の間に違憲合憲の線を引いており、少なくとも一対三程度ならば合憲と解している、という推測ないし臆説を呼んでいる。

昭和五八年の判決の時点では「一対二」の基準よりも緩やかな基準を考えていたようであり、少なくとも昭和五〇年法改正当時の最大較差一対二・九二程度ならば違憲状態とまでは解さず、許容限度ぎりぎりのところとしていたふしがある。

しかし、右のような推測や臆説は正当でない。

まず第一に、もし五八年判決の右説示部分が数値的許容限度をみとめたものであるとするなら、それは選挙制度の具体的決定について客観的数値的基準を設定することを明確に排除して来た最高裁判所自らの従来の趣旨に真つ向から矛盾すること、

第二に、右の説示部分は、なにも昭和五〇年法改正当時の較差自体を審判の対象として正面から判断したものではなく、これは後述の合理的期間論の前提もしくは傍論として、用いられたにすぎないこと、その文言自体も、較差が「一応解消された」などという、法的判断としては極めて裁量の余地のある留保付きの曖昧な表現をとつていること、そもそも一対三の最大較差を合憲とする基準は原理的にも歴史的にも法的に認知も承認もない恣意的な基準であること等の諸理由を勘案すれば、五八年判決の右説示の傍論をもつて、最高裁判所が一対二・九二程度の較差を合憲の基準として設定したということはできない。

(五) 人口的要素と非人口的要素

従来の大法廷判決にいう「人口的要素」とは、既述のとおり、選挙人数または人口数と配分議員数との比率の平等、すなわち、人口比例原則のことであり、この原則は憲法一四条の平等保障条項に直接由来するものであるが故に、従来の大法廷判決も、これを「最も重要かつ基本的な基準である」と明言して来た。

これは本来、選挙区間における議員一人当りの人口較差が一対一であることを意味するが、ただ大法廷判決は、「それ以外にも、実際上考慮され、かつ、考慮されてしかるべき要素、は少なくない」とし、国会が複雑微妙な政策的技術的要素、つまり非人口的要素を考慮して選挙制度の具体的決定にこれらを反映させることをみとめる態度をとつてきた。

しかしながら、右判旨にいうような非人口的な政策的技術的要素による人口比例原則の緩和は、いわば例外によつて原則を緩和するのであるから、そこにはおのずから合理的な限界が内在する。

すなわち、まず第一に、人口比例原則は、憲法一四条の平等保障条項の直接の要求であるのに対し、非人口的な政策的技術的要素への考慮は、その根拠が憲法四三条二項ないし同四七条の委任によるもので、それはあくまでも選挙制度の具体的決定という法律事項にすぎないものであるから、法律事項が上位の憲法原則の根底をゆるがし、これを侵犯することは許されない。

第二に、人口比例原則が、「最も重要かつ基本的な基準である」とするならば、他の非人口的諸要素は人口比例原則ほどには重要でもなく、また基本的でもない。いわば補充的な、他の非人口的諸要素による人口比例原則に対する緩和には、おのずから一定の内的制約が存在するものと解すべきである。つまり、緩和の程度が大きくなつて人口比例原則への侵蝕が進むならば、人口比例原則はもはや「最も重要かつ基本的な基準」という名に値しなくなる。

第三に、昭和五八年大法廷判決もみとめるように、昭和二五年の公選法制定当初の衆議院議員定数配分を定めた同法別表第一は、同二一年四月実施の臨時統計調査にもとづく人口を議員定数で除して得られた数、約一五万人につき一人の議員を配分した昭和二二年の衆議院議員選挙法改正当時の別表の定めをそのまま維持したものであるが、同右別表は人口以外の諸般の事情を考慮したとはいえ、選挙区間の議員一人当たりの人口比の最大較差を一対一・五一程度にとどめており、立法者はあくまでも人口を基準とした議員定数配分を志向したのであるから、この立法者の意図した人口平等按分方式を大きく逸脱することはできない。

第四に、選挙区間の議員一人当りの人口較差が「一対二」以上になるとするならば、それは自分は一票しかもつていないのに、他人が二票以上をもつことを意味し、一人一票の原則(ここでは一票一価をも含む広義の意)を根底的に破壊するばかりでなく、健全な国民感情にも反する絶対的不平等を招来する。

このような結論は、およそ憲法一四条、四三条一項、二項、四七条の予想するところではなく、それ故、選挙制度の具体的決定にあたつて、大法廷判決がたとえ人口比例原則ばかりでなく、非人口的な政策的技術的要素への考慮を国会に対してみとめたとしても、それらによる人口比例原則に対する緩和の程度は、一人一票の原則を侵犯しない程度、すなわち、人口較差「一対二」までにとどめるべきであり、これが他の非人口的な諸要素による人口比例原則緩和の合理的な限界と考える。

(六) 合理的期間論

定数配分規定是正の合理的期間という概念は、衆議院議員の定数不均衡の違憲性判断の第二の基準として、最高裁判所判例が設定したものであるが、この合理的期間論は必ずしも法的安定性をもつた説得力ある理論とは評し難い。即ち、これは「合理的期間内における是正がされなかつたものと断定することは困難である」という極めて曖昧な結論を導き出すにいたるからである。

最高裁判所の昭和五一年、五八年、六〇年の各判決は、違憲状態になつた時点の認定が不明確で曖昧であり、これは違憲状態の判断基準がそもそも不明確で曖昧なことに由来する。較差の判断基準と合理的期間の算定は相互に深く関わり合つている。すなわち、合理的期間は較差の判断基準とともに、単に別個独立の要件であるというよりは、それらは機能的に関連し、もし較差の判断基準を曖昧に解するならば、合理的期間の算定自体も伸縮自在のものになるという相関関係にある。この較差の判断基準の曖昧な解釈に事実誤認が加わつたのが、五八年判決における合理的期間論である、といえよう。

それ故、合理的期間の解釈と運用にあたつてはあくまで厳格性と規範性とが要求される。

まず合理的期間には、法的な期間概念としての始期と終期とがあり、判決は当然のことながら、いつの時点で合理的期間の始期が開始したかの事実認定をする法的義務があつたにもかかわらず、曖昧な推認のみでしか合理的期間の算定をなし得なかつたのであるから、そのような判例の方法論には理論的に重大、かつ、根本的な欠陥がある。

そもそも合理的期間論とは、機能的に立法府に是正の猶予期間をみとめ、違憲の効果が直ちに発生することを回避するための理論なのである。つまり、実質的な違憲状態を前提として、さらにこれを主文において違憲と結論すべきかどうかを判断するための要件である。

もとより合理的期間とは、違憲状態を前提としてさらに違憲かどうかの問題であり、事情判決は違憲を前提としてさらに無効かどうかの問題なのであるから、両者は法的次元を異にしているおり、ただ、これらの法理が相俟つて、議員定数配分規定を違憲無効とする効果の発生に歯止めをかける理論的バツフアー(緩衡器)の役割をはたしている。

判例が常に立法裁量との調和のみを慮つて、いまだに斬新な理論構成を採つていないのは遺憾である。

(七) 事情判決の法理

議員定数配分規定の是正を求める選挙無効請求事件において事情判決の法理をはじめて導入したのは五一年判決であり、その後の判例もこれを踏襲する。

しかしながら、本来の行訴法レベルでも事情判決は行政の法律適合性ないし法治行政主義の例外的変則的事態をもたらす制度であるから、これをさらに高次のレベルにおける法律の憲法適合性ないし立憲主義という憲法訴訟の領域にまで、安易に拡大し類推適用することは違憲の既成事実の事後追認に連らなる。

そもそも事情判決制度というのは、特別事情による請求棄却制度として、行政事件訴訟特例法(昭和二三年法律八一号)一一条の規定が、第二条の訴(行政庁の違法な処分の取消又は変更を求める訴)の提起があつた場合において、「処分は違法ではあるが、一切の事情を考慮して、処分を取り消し、又は変更することが公共の福祉に適合しないと認めるときは」、裁判所は、請求を棄却することができるとしていたのに始まるが、これを、昭和三七年の行政訴訟制度の全面改正に伴つて、改正したものである。すなわち、旧特例法一一条の右の規定に対し、現行法はその三一条で取消訴訟については「処分又は裁決が違法ではあるが、これを取り消すことにより公の利益に著しい障害が生ずる場合において、原告の受ける損害の程度、その損害の賠償又は防止の程度及び方法その他一切の事情を考慮したうえ、処分又は裁決を取り消すことが公共の福祉に適合しないと認めるときは」、裁判所は、請求を棄却することができると改正した。つまり旧規定が簡単なものであつたのをその要件を加重かつ厳格化し、もつて原告の救済のための配慮を施している。

このように行訴法の事情判決制度は、国民の権利保護の上で著しく近代化されてきたとはいうものの、それでもなお法治行政の原理と裁判をうける権利を蹂躪する公益優先思想の産物であるとの批判も少なくない。

ところで、五一年判決は議員定数配分規定全部の違憲性をみとめたにもかかわらず、また、前述したように事情判決法理援用の抑制的原理があるにもかかわらず、これを無視して憲法訴訟の領域に右法理を導入したのであるが、同判決がいう、事情判決の導入の理由は次のようにその論拠がなく、導入の必要性を欠く。

(1) 同判決は導入の理由の一つとして、選挙により選出された議員がすべて当初から議員としての資格を有しなかつたこととなる結果、右議員によつて議決された法律等の効力に問題が生ずるというが、定数配分規定違憲の選挙無効の判決を当然無効として過去にその効力が遡るものとせず、将来に向かつてのみ形成的な効力をもつにすぎない公選法二〇四条の形成的無効の例と解すれば足りる。

(2) 次に事情判決導入理由として、今後における衆議院の活動が不可能となり、議員定数配分規定の改正すらできなくなる事態が生ずるというが、定数配分規定の可分説によるときは、一部の選挙区選出の議員を欠いたとしても、なお全国民の代表である他の選挙区選出の議員によつて衆議院は支障なく活動でき、また、不可分説によつても、選挙訴訟では「選挙の結果に異動を及ぼす虞がある場合」でなければ選挙無効の結論は出せないから、平均的配分区においては定数を是正する必要はない。従つてこれらの選挙区選出の議員の多数はなんら資格を失うことなく、衆議院の定足数(総議員の三分の一以上)が充される可能性が多い。

(3) 第三に同判決は、仮りに公選法二〇四条によつて選挙が将来に向つてのみ失効するものとしても、もともと同じ憲法違反の瑕疵を有する選挙について、選挙無効請求訴訟が提起された選挙区だけが無効となり、他の選挙区の選挙は有効として残り、均衡を失することは憲法上望ましくないというが、憲法違反の瑕疵がある選挙について、自ら訴を提起した選挙民とそうでない選挙民との間に不均衡が生じるのは、具体的争訟による事件についてのみ違憲審査をなす司法裁判所型のわが国憲法訴訟の特質に基づくもので、事情判決をすべき根拠とならない。

(4) 第四に事情判決は選挙が無効とされる結果、公選法改正を含むその後の衆議院の活動が選挙無効の選挙区からの選出議員を欠く異常な状態の下で行なわざるを得ないという。たしかに選挙無効の選挙区の選出議員を欠くことは異常状態であるが、それはわが国の選挙制度の宿弊的違憲状態を改革するため真に止むを得ぬことで、このために事情判決を許すことはできない。

このように解すれば、五一年判決がいう憲法の所期に反する結果が無効判決により生ずるという論拠は、いずれも事情判決の法理を導入してまで選挙を有効とするほどの実質的必然性はない。

(八) 昭和六一年改正法の問題点

本件選挙は昭和六一年法律六七号による改正公選法の衆議院議員定数配分規定(以下、昭和六一年改正法という)にもとづいて行なわれたが、この昭和六一年改正法は、改正前の同規定が最高裁判所の昭和五八年一一月七日言渡大法廷判決で違憲状態にあると警告され、さらに同六〇年七月一七日言渡大法廷判決によつて公選法の現行法としてははじめて違憲と明確に断定されたことを受けて、国会内の党利党略絡みの紆余曲折ののち、本件選挙の直前に急遽改正されたものである。しかも、その内容は昭和六〇年における国勢調査の速報値にもとづき、各選挙区間の議員一人あたりの人口比率を一対三以内にとどめて、さしあたり司法府からの違憲判断を回避しようとしたもので、結果的に八増七減という部分的糊塗にとどまり、抜本的改正にはあまりにもほど遠い微調整であつた。

この昭和六一年改正法のうちで特に違憲性を帯びると考えられる二、三の問題点を指摘する。

(1) まず第一の問題点は、今回の是正は過去二回の定数配分規定の是正と同じく、単なる部分的な手直しに終わり、較差解消の不徹底がそのまま残存したことである。

すなわち、昭和六一年改正法による是正後の最大較差は、長野県第三区(議員一人あたり人口一四二、九三五)と神奈川県第四区(同四二七、六九八)の人口比率一対二・九九(同六〇年国勢調査要計表人口。ただし、有権者数による比率は、右両区間の一対二・九二)である。

昭和二二年の衆議院選挙法改正当時の最大較差は一対一・五一であり、また、昭和三九年、同五〇年の定数増による是正時点においては、最大較差はそれぞれ、一対二・一九、一対二・九二であつたから、是正後の最大較差としては今回がもつとも大きく、それだけ是正が不充分であつた。昭和五〇年改正法についても、「それは結局、単なる彌縫策の域を出るものではなかつた」し(昭和五八年大法廷判決における団藤反対意見)、「たちまち再び著しい投票価値の較差を生ずることは明らかであつた」から、較差のさらに大きい今回の是正は一層厳しい評価にさらされるであろう。

事実、昭和三五年以降の国勢調査をみれば明らかなように、衆議院議員の選挙区における一票の最大較差の拡大の推移は、

昭和三五年一〇月 一対三・二一(昭和三九年改正法で、一対二・一九へ)

昭和四〇年一〇月 一対三・二三

昭和四五年一〇月 一対四・八三(昭和五〇年改正法で、一対二・九二へ)

昭和五〇年一〇月 一対三・七二

昭和五五年一〇月 一対四・五五

昭和六〇年一〇月 一対五・一二(昭和六一年改正法で、一対二・九九へ)

となつており、前述のような昭和三九年、同五〇年の公選法改正によつて最大較差がそれぞれ、一対二・一九、一対二・九二に引き下げられても、その程度の微調整はほんの一時しのぎで、近年の人口の都市集中現象の中では再び較差の増大を回避できないことを示しており、今回の一対二・九九程度の手直しでは、極めて近い将来たちまち三倍以上の較差が現出するのは必至である。

このように、投票の較差がますます進行するというわが国の顕著な人口移動趨勢の下にありながら、昭和六一年改正法が人口比率一対二・九九、有権者比率一対二・九二程度の微温的な定数是正しかなし得なかつた理由は、結局、それが、今後の司法審査を通過するための緊急避難的措置でしかなかつたからである。それ故に、国会は、右の是正をもつて、違憲とされた昭和五〇年改正法(現行規定)を早急に改正するための暫定措置であるとし、昭和六〇年国勢調査の確定人口の公表をまつて速やかにその抜本改正の検討を行なう旨の衆議院本会議での付帯決議をせざるを得なかつた。

(2) 昭和六一年改正法では、較差二倍以上の選挙区は三〇区も存在し、これは同年一一月一〇日付の昭和六〇年国勢調査確定値による衆議院選挙区別人口表でも確認されている。

(3) 逆転現象 昭和六一年改正法は最大較差の是正だけでこれにより解消されなかつた逆転現象の問題がある。

すなわち、逆転現象というのは、人口の多い選挙区のほうが人口の少ない選挙区よりも議員定数が少ないという奇異な現象を指す。逆転関係が特に顕著に生じている選挙区は、議員定数の配分の多寡という量的問題を超えてその配分について著しい不平等を生じており、もはや投票価値の平等の原理が全く考慮されていない状態になつている。

このような人口比例原則を根底的に否定ないし無視するような逆転現象が、昭和六一年改正法にもみられる。たとえば、広島県第一区は人口約一二〇万人につき定数三のままであるのに、長野県第三区は人口約五七万人につき定数四であり、両者の較差は一対二・八程度であるばかりでなく、そこには右較差以上の本質的な不合理が存在することとなつた。また、県単位の定数を考えても、県全体の定数が石川県では五になつたにもかかわらず、より人口の少ない富山、和歌山、香川の三県が定数六になるなどの矛盾が指摘できる。

衆議院に関しては、参議院の場合よりも人口比例的要素を重視しようとするのが最高裁判所の態度なのであるから、右の逆転現象を安易に介在せしめた昭和六一年改正法は、これを不可分一体のものとして考察するとき、従来の判例の傾向からしても違憲性を帯びることは明らかである。

(4) 以上の諸点において、昭和六一年改正法による較差の是正はまことに不徹底である。それは暫定的応急処置的な性質のものであり、投票価値の平等を志向する憲法原則に照らして、違憲性、違法性を解消したとはいえない。

(九) 衆議院本会議決議(国会附帯決議)

昭和六一年五月二一日衆議院本会議で右改正案の採決にあたり、綿貫民輔衆議院議院運営委員長外一四名から、投票較差の抜本改正に向けて、「衆議院議員の定数是正に関する附帯決議」案が出され、本会議においてこれが採択された。この附帯決議(以下、「国会附帯決議」ともいう)は次のとおりである。

「選挙権の平等の確保は議会制民主政治の基本であり、選挙区別議員定数の適正な配分については、憲法の精神に則り常に配慮されなければならない。

今回の衆議院議員の定数是正は、違憲とされた現行規定を早急に改正するための暫定措置であり、昭和六十年国勢調査の確定人口の公表をまつて、速やかにその抜本改正の検討を行うものとする。

抜本改正に際しては、二人区・六人区の解消並びに議員総定数及び選挙区画の見直しを行い、併せて、過疎・過密等地域の実情に配慮した定数の配分を期するものとする。

右決議する。」

(1) このうち「憲法の精神」とは、投票価値の平等を実現するための憲法上の人口比例原則の意味であつて、これが国会の立法政策である他の非人口的要素等を意味するものではないことは明らかである。

また、「抜本改正」がこの憲法精神に則つた昭和五〇年改正法の違憲性の除去を意味し、「暫定措置」がその「抜本改正」にいたるまでの一時しのぎのものを意味していることは、「抜本」「暫定」という文言の対比からも明らかであるが、この附帯決議が「抜本改正」の検討をその究極の目的としているということは、とりも直さず「暫定措置」が単に時間的な意味で過渡的であつたばかりでなく、そもそも内容的にも違憲性の除去という観点において不徹底であつたことを前提としている。

次に、同決議は「過疎・過密等地域の実情に配慮した定数の配分」を期するとして、過疎地域に限らず「過疎・過密」を共通の次元で取扱つている。結局、右決議の趣旨は、「過疎、過密等地域の実情」を人口政策ないしは環境是正策の一環として採り上げ、これを選挙制度の改正に際して反映させようとの意味と解される。

以上を要約していい得ることは、衆議院がわざわざこのような附帯決議の名の下に、昭和六一年改正法を「暫定措置」として位置づけ、同六〇年国勢調査の確定人口の公表をまつて、憲法の精神に則つた「抜本改正」を行ない、選挙区別議員定数を適正に配分するという目的をみずからに課したことは、とりも直さず、「暫定措置」としての昭和六一年改正法がいまだ憲法の精神を十全に具現したものではなく、つまりは違憲性の瑕疵を帯びていることを衆議院自身がみとめた証左である。

ただし、右の附帯決議はあくまで執行力のない単なる宣言にとどまつており、また、昭和六一年改正法中にも見直し条項が入つているわけでもないので、国会慣例の不作為的サボタージユによつて、またこの「暫定措置」が数年ないしはそれ以上の期間にわたり半恒久的に放置され座視される惧れが多分に存する。現に、昨六一年一一月には昭和六〇年国勢調査の結果が公表され、また同一二月には九月二日現在の選挙人名簿登録者数も自治省により発表され、これによれば衆議院選挙における有権者比率の最大較差は二・九四倍にまで拡大しているのに、国会はいまだ何の対応もみせていない。昭和六一年改正法は選挙権の平等を志向する憲法の理念からすれば極めて不徹底なものであり、この程度の較差の解消では違憲性の瑕疵を拭うことはできない。

(2) この昭和六一年改正法は、改正前の規定が昭和五八年、同六〇年の大法廷判決により違憲性を指摘され是正の急務を要求されたばかりか、両判決における反対意見ないし補足意見も是正なしの今後の選挙においては選挙無効ないしは将来無効判決があり得ると示唆したことによるインパクトから、辛うじて司法審査をパスするためだけの見込みぎりぎりの線(昭和五八年大法廷判決の傍論による「一対三」の較差)での較差の解消を目指して緊急避難的に行なわれた暫定措置である。

(3) 昭和六〇年大法廷判決が言渡された。同六〇年七月一七日から昭和六一年改正法が衆議院で可決された同六一年五月二一日までの間に、衆議院議長は定数是正法案の審議に関し以下のような活動をしている。

〈1〉 右法案の成立が不可能となつた第一〇三国会の会期末の同六〇年一二月一九日、同議員は各党々首との間に会談をもち、次のような議長見解(以下、議長見解という。)を示して各党首(共産党を除く)の合意を得た。すなわち、「定数是正法案の審議は、昭和六〇年国勢調査の速報値にもとづき次の国会ですみやかな成立を期する。そのさいの方針として、(1)総定数五一一人の枠に変更を加えないこと、(2)較差は三倍以内に抑えること、(3)小選挙区は設けないこと、(4)昭和六〇年国勢調査の確定段階で是正の見直しを行ない、さらに抜本改正をはかる。」

〈2〉 こうして次の第一〇四国会において、定数是正問題は論議の焦点となつたが、右の議長見解は、与野党がこれを受入れ定数是正問題協議会を発足させて、ある程度の基本線がまとまり、議長裁定に委ねることで合意をみた。

ここにおいて議長は、各党の意見調整をはかつた上、大略、次のような調停案(以下、議長調停案という。)を提示した。

「(1) 二人区は解消する。

(2) 減員区は七選挙区であるが、今回の定数是正の中心課題である較差三対一以内に縮小しなければならない要請にこたえるため、今回は特に八選挙区において増員を行なう。

しかしながら、抜本改正のさいには、二人区の解消とともに総定数の見直しを必ず行なう。

(3) 本法の施行にさいして周知期間をおくとの与野党の合意を踏まえ、特にこの法律は、公布の日から起算して三〇日に当たる日以後に公示される総選挙から施行する。」

〈3〉 これらの議長見解(上記〈1〉)ないし議長調停(上記〈2〉)は党利党略にゆれる政党間の意見を調停して抜本改正に至るまでの早急な立法措置を促し、大法廷判決を受けて立法府が違憲状態を解消するための努力を尽しつつあるという印象を与えたという意味においては役に立つたが、しかしその内容については批判と失望も多かつた。けだし衆議院議員定数をふやさないとの公式な議長見解は、議長調停で簡単に反故にされ、また周知期間という新奇な概念を設けて早期解散と総選挙を封じられたが、何よりも責められるべきは、これらの見解や調停において、立法府の長たる議長自身が、選挙区における議員一人当りの人口較差を「一対三」以内とする旨を繰り返し公表したことである。

この人口較差「一対三」が、昭和五八年大法廷判決の傍論に由来しており、これが違憲合憲を分ける分水嶺として国会筋においても誤解を生じはじめているという事情については既述したが、議長が右の「一対三」の数字を真に違憲性を脱却するための数字としていたか、といえば、必ずしもそうとは断定できないふしがある。

けだし、今回の「一対三」以内の較差にとどめた改正措置の真に憲法の要求に副うものであるならば、なにも「抜本改正」などを行なう必要はない。

今回の立法措置が旧規定を改正してもなお、憲法の要求を十全に充たすものとなつてはおらず、相も変らず違憲の瑕疵を帯びているという惧れが多分に存するから、議長は立法府の長として、「来る通常国公において、…速やかに成立を期すもの」は「選挙区間一人当たり人口の較差は一対三以内」(議長見解)あるいは「今回の定数是正の中心課題である較差三対一以内」(議長調停)と述べているものの、今回の定数是正の後で、「さらに抜本的改正をはかる」(同見解)、「抜本改正の際には、二人区の解消とともに総定数の見直しを必ず行なう」(同調停)として、あくまで抜本改正の必要性を明言しているからである。

そして議長の右のような「今回の定数改正」と「抜本改正」とを対置させた意味は、国会の附帯決議が「暫定措置」と「抜本改正」とを対置させて、「抜本改正」の必要性を唱導する意味と同じである。すなわち、昭和五八年大法廷判決の傍論で言質を得た「一対三」以内の較差の是正だけをまずしておいて、さしあたりの解散権を握つておこう、というのが議長や国会筋の偽らざる意図であり、その真意としては、あくまでも「抜本改正」によらなければ違憲性の脱却は難しいと考えていたものと解され、そう解さなければ「抜本改正」の必要性を公約し喧伝する意味を噛むことはできない。

(4) ところで、自治省の試算によれば、昭和六一年改正法において、人口の少ない選挙区の定数を減らし、減員数を過密選挙区に上乗せする方法(増減同数)で較差を二倍以内にしようとすれば、「二五人増員、二五人減員」が必要である。

一人一票の大原則が侵害される「一対二」の基準に牴触する選挙区が、全選挙区一三〇区のうち、実に五〇区にも及んでいる昭和六一年改正法をもつて、憲法の精神を具現したものとするのは到底無理である。

立法府を代表する衆議院議長の見解や同調停と、衆議院本会議で決議された附帯決議が、ともに「抜本改正」の要を唱え、また、本年一月二六日再開された第一〇八通常国会における施政方針演説において、首相自身も、「衆議院の議員定数の抜本的是正の問題については、国会決議によつて示された方針に基づく各党間の論議を踏まえながら、政府としても最大限の努力をしていきます」旨、述べてはいる。ところが、昭和六一年改正法の成立後本件口頭弁論終結時に至るまですでに一年以上を経過し、昭和六〇年国勢調査の確定人口もすでに公表されているのに、国会では、去る五月二七日に閉会した第一〇八国会において、抜本改正のための論議がなんらなされず、いまだに「抜本改正」の兆しが全くみられない。昭和六一年改正法は暫定措置としての性格から、公選法の本則の改正によらず、附則の改正として行なわれたが、昭和三九年、同五〇年の定数是正が、いずれも暫定措置として附則の改正により行なわれたのに、ともに一〇年余も放置されたという過去の経験に徴すれば、昭和六一年改正法が「抜本改正」されるまでにはまたも一〇年の日子が経過するという怖れは充分にある。

(5) 本件昭和六一年改正法が、昭和三九年、同五〇年法と同じ暫定措置としての附則の改正によつて行なわれたことはすでに述べたが、昭和三九年法のときは、公選法改正に関する調査特別委員会で、今期の定数改正は昭和三五年度国勢調査人口を基準としているため、「既に多くの人口と議員定数のアンバランスを生じている。よつて、政府は次期国勢調査の結果に基き、更に合理的改訂を検討すべきである。」との附帯決議を行い、本会議においてもこれを承認したにもかかわらず、国会はその後一一年間なんらの合理的改訂をなさず、また、昭和五〇年法のときは、各党の合意を唱えるのみで、全く無原則の「人口比上下概ね三倍方式」よる恣意的な妥協のまま、さらに一一年間も不作為的サボタージユをつづけたという実績からして、今後も国会が抜本改正を等閑に付す可能性は充分にある。

これでは原告らの議員定数是正訴訟がその使命を終える日はいつのことか、全く予想もつかない。

(一〇) 地方議会における定数是正の動向

最高裁判所第三小法廷は、本件二月一七日、東京都条例の現行定数配分規定全体を違法(ただし、選挙は有効)とした東京高等裁判所の判決を支持し、東京都選管側の上告を棄却する判決を言渡した。

自治省の調査によれば、本件一月一日現在、昭和六〇年国勢調査にもとづく定数較差(人口比)が三倍以上の都道府県議会は、愛知の五・八一倍をはじめとして、兵庫の四・五二倍、大阪の四・二四倍など、一二団体にものぼつており、また、二倍以上を超えるものは実に三三団体にのぼる。

この実態をみるとき、「一対二」の基準による抜本改正までの道程はなお遠い。

(一一) 憲法慣例としての人口平等按分方式

「選挙法は憲法付属の根本法である」と言つたのは原敬である。

選挙法は憲法付属の法典として憲法体制の特質を代表する。すなわち、選挙法は選挙過程を規律する手続技術の体系としての技術法的性格をもつ反面、憲法体制それ自体に即応し、また、立法に関与した勢力の政治的意図を反映する政治法的性格をその骨格にもつ。

明治維新後のわが国の憲法体制は、昭和二〇年の終戦を境として、明治憲法下の天皇制時代と日本国憲法下の国民主権主義時代とに分かれる。

そして、わが国の衆議院議員選挙法の歴史は、明治から現在まで、定数の増加、選挙区制と投票方法の変動、選挙権要件の順次撤廃等、まさに有為転変ともいうべき幾多の変遷の経過をたどつたが、ただ選挙区に対する議員定数の配分基準だけは、ほぼ原則的に人口比例にもとづく人口平等按分方式の原理を堅持し、この方式は天皇制時代においても、また、国民主権主義時代においてもなんらの変更を加えられず、明治二二年から昭和三九年まで、実に七五年間もの永い伝統を保持して来たのである。

そこで、この人口平等按分方式という衆議院議員の配分基準が、わが国の明治、大正、昭和三代にわたるさまざまな政治的動乱や国体の変革にどのようにして耐え、また、どのようにして結果的に日本の代議政治における代表制度の根幹を形成し、憲法慣例となつてきたかを、その歴史的軌跡により跡づける。

(1) 衆議院議員選挙法の歴史的考察

イ 明治憲法時代

〈1〉 明治二二年衆議院議員選挙法

明治憲法三五条は、「衆議院ハ選挙法ノ定ムル所ニ依リ公選セラレタル議員ヲ以テ組織ス」と定め、衆議院議員は、同法三四条の貴族院議員の場合と異なり、公選されるものとし、その公選の方法は法律(衆議院議員選挙法)に委ねた。

そして明治二二年衆議院議員選挙法の制定にあたつて、当時ヨーロッパ諸国で広く行なわれていた小選挙区単記投票制をとることとし、あわせて議員定数配分の方式が論議された。その際、外国人法律顧問ロエスレルは、議員配分の基準に選挙人数によるべき旨の意見を述べたが、衆議院(民選院)議員は有権者を代表するものではなく、広く国民を代表するという理由から人口をもつて配分の基準とすることがきまつた。

こうして、同法一条は「衆議院ノ議員ハ各府県ノ選挙区ニ於テ之ヲ選挙セシメ其ノ選挙区及各選挙区ニ於テ選挙スヘキ定員ハ此ノ法律ノ附録ヲ以テ之ヲ定ム」と規定し、以来昭和二二年改正法まで人口に比例して各府県ごとの各選挙区につき平等に定数を按分する伝統的附録方式(規定)が継続した。

この定数配分の方式とは、全国人口三、九三八万二、二〇〇人を議員総数三〇〇人で割り議員一人当り一三万一、二七四人の基準人数に基づき各府県の総人口に応じて各府県に議員定数を割当て、その配分議員数を府県内でさらに一人区、二人区の各選挙区に再配分し、附録に明示した。

このように、わが国の衆議院議員の定数配分は、明治二二年の同法制定以来歴史的に人口主義と行政区画主義によつており、総人口をまず議員定数で割り、議員一人当りの人口ができるだけ平等になるように各府県の人口に議員数を比例配分し、その配分議員数を各選挙区に再配分するという人口平等按分方式をとり、以来大正一四年の大改正(普通選挙制と中選挙区の設定)、さらには昭和二二年の同法改正、及び新憲法下の公職選挙法につづき、一貫して、この方式により議員定数を配分してきた。

そこで明治二二年の衆議院議員選挙法制定当時の議員配分の方式につき詳述すると、まず、伊東巳代治文書中の「撰擧法樞密院會議筆記」(国会図書館所蔵、甲第三六号証の一)によれば、明治二一年一一月二六日、開会された第一読会は、「聖上臨御」の上、議長伊藤博文以下、各大臣、副議長、顧問官、報告員、書記官等が出席して行なわれ、まず第一条の選挙区と定員の問題について、次のような審議が行なわれた。

「議長 選擧法ノ第一讀會ヲ開クヘシ元來此ノ法案ニ属スルニ一編ノ附録ナルモノハ各府県ノ選擧區劃ヲ示スモノニテ其ノ組織ハ行政區劃ト各地ノ人口ノ多寡トヲ標準トシテ編成シタルモノナリ」

さらに、

「議長 独リ行政區畫ニ據ルト云フヘカラス成ルヘク行政區畫ニ據リ又一方ニハ人口ノ多少ヲ標準トス而シテ選擧ノ單位ハ府縣トス府縣ヨリ選擧スル議員ノ数ヲ基礎トシ之ヲ其ノ府縣内ノ行政區ニ人口ニ據テ配當シ選擧區ヲ造ル」

次いで、翌一二月二七日第二読会において、

「報告員(金子)府縣ヲ基礎トシ其ノ人口十二萬ニ付キ議員一人ヲ出スノ割合ヲ以テ府縣議員ノ総数ヲ定メ其ノ数ヲ各郡區ニ配當シテ選擧区ヲ作ルナリ」

また、同年一二月一〇日、開会された修正案二読会においては、

「報告員(金子)衆議院議員選擧法第一章選擧區畫第一条衆議院ノ議員ハ各府縣ノ選擧ニ於テ之ヲ選擧セシム其ノ選擧區及各選擧ニ於テ選擧スヘキ定員ハ此ノ法律ノ附録ヲ以テ之ヲ定ム」

との修正案の説明がなされ、府県ごと、ついで各選挙区当り、議員定数の配分を法律の附録に明記する委員修正案の可決をみた。

さらに重要なのは、同二一年一二月一七日の第三読会終了間際における次の文言である。

「十五番(森)附録ニ十二萬人ニ付一人ノ割合云々トアリ後来其人口ニ増減生シタルトキハ如何スヘキヤ」

「議長 人口ハ議員ノ数ノ基礎ニアラス只立法者カ起草ノ際之ヲ目安ニ取リタルノミ故ニ些少ノ變動ニ依テ議員ノ定員ヲ變更スルコトナシ若シ将来人口大ヒニ増殖シ議員ノ定員トノ間ニ不權衡ヲ生セハ法律ヲ改メサルヘカラス」

この伊藤議長の答弁における「人口」とは、人口一般のことではなく、質問者の「十二萬人」の「其人口」を受けて、人口一二万人の意と解すべきである。同議長の答弁の趣旨は、人口一二万人に議員一人を出すというのは選挙法起草にあたつての一つの目安にすぎないのであるから、この人口数の些少の変動によつて議員定員を変更することはないが、もし将来この人口と議員定員の間に不権衡を生じたときは(つまり、一定の権衡からの乖離が生じたときは)法律を改正しなければならない、というにある。

しかも、この原則は、第一読会から第三読会にいたるまで、すべて明治憲法における統治権の総攬者であつた「聖上臨御」の場で明定されたものであるから、以後いかなる政治権力といえども、右のとおり伊藤議長の明言したこの衆議院議員選挙法の人口比例原則ないしは一票一価の原理を侵犯することを避けた。

また、このことは、「明治政史」にも、当時の内務省縣治局長末松謙澄の調査記録として、「毎府縣其人口の十二萬に付き一人の割合となしたるものなるが……各撰擧區の人口は互に多少の差違あり又府縣別各區平均の人口を彼此比較するときは是亦多少の差違あるを免れず」(同二四四頁以下)との記載があることからも分かる。その結果、明治二一年一二月三一日付内務省調成の最近の戸口調べに係る甲表によれば、議員一人当たり平均人口のもつとも多い山梨の一四万八、三九四人とこれのもつとも少ない長崎の一〇万七、四八六人との較差が、一・三八倍であつた。しかし、この程度の較差は、結局は行政区画の境界が「恰も十二萬の箇所に杓子定規にて新線を劃し得へきものにあらさるを以て」(明治政史・二四四一頁)生じたところの誤差であり、議員配分の原則があくまでも人口一二万人につき議員一人の割合であつたことは明らかである(ただし、この人口一二万人という、当初の数字は、結果的には全国人口三、九三八万二、二〇〇人を議員三〇〇人で割り、議員一人について人口一三万一、二七四人となつた。)。

もつとも、人口約一三万一、二七四人につき議員一人の割合とはいつても、選挙権は地租に有利な直接国税(所得税を含む)一五円以上の納入者に限られていた。したがつて、有権者約一、三〇〇人前後に議員一人の割合であり、明治二三年の選挙における全国平均によれば、一、五〇二人の有権者に議員一人の割合だつた。

明治二二年衆議院議員選挙法を要約すれば、次のとおりとなる(以下各改正法のまとめを、(要約)という形で示す)。

(要約)

議員定数三〇〇。郡区(区は現在の市にあたる)の小選挙区制議員の配分基準人口一三万一、二七四人につき議員一人の割合。

選挙資格は、年齢二五歳以上の男子で国税一五円以上、一年以上の居住が要件。

なお本法直後の総選挙人口により本法における議員一人当りの府県別人口の最大較差を検証すると、長崎対宮城 一対一・四〇であつた。

〈2〉 明治三三年改正法

ところで明治二〇年代後半から、後に独立選挙区の例外性に関し付言するように、わが国の市部における商工業者の興隆は著しく、農村郡部に比し、その代表者を衆議院におくることが少いことを理由に都市重視の運動が抬頭し、選挙権の納税資格の引下げと、市部の独立選挙区の導入が論ぜられ、又少数代表に有利な大選挙区制を採用し、当時の藩閥官僚側が政党間のキヤステイング・ボートを把握しようとの意図もあつて、明治三三年改正法が成立した。即ち、従来の原則的小選挙区制に代えて、新たに大選挙区と都市独立選挙区との併用及び、単記投票制による法改正が成立した。

そしてこの明治三三年改正法審議においては、貴衆両院間に紛糾が生じ、結局、両院協議会の成案が改正法として可決されたが、このさいの提案理由説明は星亨両院協議会議長によつて「折合上、郡市通ジテ十三万ト云フコトニ議ガ纒リマシタノデアル」旨を基調とした詳細な選挙区別の人口論議が報告されている。

なお、このように法改正の都度、内務大臣等法案提出者が、定数配分につきその附録または別表における議員一人あての具体的人口数を提案理由の説明のさい明らかにするのが常とされ、そのことは明治二二年法については既述したとおりであるが、以下の大正八年法では床次内相(甲一五号の三二頁、甲一八号証の二三七頁、甲二三号証の三四四頁)、大正一四年法では若槻内相(甲一一号証の二一八頁、甲一五号証の三二頁、甲一八号証の二四九頁、甲二三号証の三四四頁)、昭和二〇年法では堀切内相(甲一一号証の二一九頁、甲一八号証の二八〇頁、甲二〇号証の三三頁、甲二三号証の三四五頁)、昭和二二年法では山口委員長、小沢議員(甲六号証の五二八頁、五三一頁、甲一一号証の二一九頁、甲一八号証の二九四頁、甲二〇号証の一二一頁、甲二〇号証の一八四頁、甲二三号証の三四五頁)による提案説明が行なわれている。

(要約)

議員定数三六九。府県単位の大選挙区と、独立選挙区と呼ばれる人口三万人以上の市部からなる選挙区とを併用。

議員配分基準 府県は人口一三万人につき議員一人の割合。市部は人口三万人に議員一人。

選挙資格は国税一五円から一〇円へ引下げられた(そのため有権者数は九八万人となり明治二三年当時の約二倍に増加した)。

〈3〉 明治三五年改正法

人口増加と新市制施行に伴い、選挙区と議員定数に手直し改正を加え、別表末尾に選挙区の人口増減にかかわらず少なくとも一〇年間は別表を更正しない旨の更正規定がおかれた。これは一〇年を経た後に限り更正を検討するとの消極的含みをもつものと解された。

(要約)

議員定数三八一。三三年法が「一定人数」で議員を配分することを定めていたため、二年後に議員を一二人増員。

なお、増員抑制のため、「本表ハ選挙区ノ人口ニ増減ヲ生スルモ少クトモ十ケ年間ハ之ヲ更正セス」との規定を新設。

なおまた同法改正直後の総選挙人口により本法における議員一人当りの府県別人口の最大較差を検証してみると、香川対大分 一対一・四三であつた。

〈4〉 大正八年改正法

日露戦争後、日本の資本主義は一層発展し、工業の発達、労働人口の増加、都市化の進展が一段と顕著となり、政党勢力の伸長、選挙権の拡大を求める声が大きくなつた。そして政友会を中心とする小選挙区制復帰の要求が強くなり、選挙区は再び郡部の小選挙区制に戻り、例外的に三万人以上の市は独立選挙区をそのまま踏襲する改正法が成立した。

(要約)

議員定数四六四。郡部の小選挙区と市部の独立選挙区とを併用。

議員配分基準 郡部は人口一三万人につき議員一人、市部は人口三万人につき議員一人。

なお、従来の一〇円以上を三円以上に引き下げた納税要件の緩和等のため、有権者数は約三〇〇万人(明治三五年のほぼ三倍)となり、総人口約五、六〇〇万人の約五パーセントに達した。

なお、また、同法改正直後の総選挙人口により、本法における議員一人当りの府県別人口の最大較差を検証してみると、三重対京都 一対一・五〇であつた。

〈5〉 大正一四年改正法

大正デモクラシーを背景とした普選運動が大いに興り、選挙権の納税要件及び独立選挙区を撤廃し、三人ないし五人の議員定数をもつ「中選挙区制」というわが国独特の選挙区制が考案されるとともに、年齢二五歳以上の成年男子に選挙権を附与する、いわゆる「普通選挙」を実施するという、画期的な改正が行なわれた。

そして議員の配分基準として、大正九年一〇月一日に実施された第一回国勢調査の結果による内地総人口五、五九六万三、〇五三人という数字にもとづき、郡部も市部も差別なく、人口一二万人(右総人口を定数四六六で除すと一二万〇、〇九二人となる)について一人の割合で一率に各府県に議員を割り当て、各府県でさらに同じ率によつて郡市を単位に議員を割り当て、その結果、議員定数四六六人を算出する、という原則がとられることとなつた。

わが国の中選挙区制における議員定数配分の原型はこのときにはじまつたということができるが、この人口一二万人という、人口配分基準は、大正八年法の定数四六四をあまり増減しないという方針で一応これを目安としたものであつて、より根本的には、明治二二年の衆議院議員選挙法以来の人口平等按分方式という歴史的伝統があつたからであり、大正一四年改正法もこの伝統をそのまま踏襲したものである。

そしてこの中選挙区制と議員定数四六六人が、以後の選挙制度の基礎となつたばかりでなく、右の配分方式がわが国の衆議院定数の算出方法と議員の選挙区への配分基準の大綱として本改正法において確立し、この方式は、以後、終戦による大変革に際会しても、何ら変更を加えられることなく、新憲法による国民主権原理を具体化し実効化する選挙制度の下において、引続き基本原則として存続することとなつた。

なお大正一四年法別表における各道府県別議員一人当りの人口較差は徳島対宮崎 一対一・一七であり、選挙区別最大較差は佐賀第一区対秋田第二区 一対一・四八である。又本改正法直後の総選挙人口により、本法における議員一人当りの道府県別人口の最大較差を検証してみると、沖縄対東京 一対一・四〇であつた。

〈6〉 昭和二〇年改正法

ポツダム宣言の受諾によつて、わが国は占領統治下に入るとともに、憲法体制の一翼をになう選挙制度も当然民主化の一大変革を受けることとなつた。しかし選挙法の改正は連合国最高司令部(G・H・Q)の意見にもとづいてなされたものではなく、すべて政府と立法機関を構成する者の手によつて、あくまでも民選議会自体の自主的責任の下に遂行された。まず戦後まだ日も浅い昭和二〇年八月三一日閣議で、人口調査を一一月一日に行ない、その確定人口にもとづいて選挙法別表を改正することを決めるとともに、衆議院もまた議会制度調査特別委員会を設け、一〇月一二日〈1〉 議員総数は変更しない、〈2〉 人口移動に対応して定員配当を行なう、〈3〉 選挙区は原則として府県単位大選挙区による、〈4〉 罰則取締の法規等を簡素化する等を基本とする、「衆議院議員選挙法改正要綱」を議決した。そして弊原内閣は、完全普通選挙を実現することが当面の重要課題であるとして、〈1〉 選挙権・被選挙権の年齢引下げ、〈2〉 婦人に対する参政権の付与、〈3〉 大選挙区制の採用を断行する改正方針を提示した。

このようにしてポツダム宣言受諾後の昭和二〇年一二月、選挙法を改正。選挙権年齢を二〇歳に引き下げ、婦人に選挙権附与、有権者数三、六八〇万人(総人口の約五〇パーセント)。都道府県単位の大選挙区制限連記制を採用するに至つた。

右改正法の議員定数配分は、次のような数式が採られていた。

〈イ〉 昭和二〇年一一月一日の人口調査の結果得られた同日現在の人口七、二四九万一、二七七人を議員定数四六六人で除し、その商一五万五、五六〇人を得る。

〈ロ〉 この一五万五、五六〇人で各都道府県の人口を除し、得られた商の整数部分を各都道府県の配当議員数とする。

右の議員数は現在の議員総数に満たないので、端数の大きい都道府県に議員総数に達するまで議員一人を配当する。小数点以下の端数は四捨五入。

〈ハ〉 議員数一五人以上の都道府県(東京都、北海道、大阪府、兵庫、新潟、愛知、福岡の四県)は二選挙区に分けられ、これについての議員の配当は〈ロ〉の方式による。 〈ニ〉 この選挙区の分割は現行の選挙区を基礎とし、人口数、交通、地勢等を考慮して決定する。

以上の方法で選挙区が決定され、議員総数は四六八人(端数処理の関係で四六六人から二人増加)となつたが、沖縄県は勅令で定めるまでの間、選挙を行なわないとされたので、実際にはその二人減の四六六人が定数となつた。

そしてこの改正法において特記さるべきことは、前記議員配分方式が、あくまでも民選議会自体の自主的な責任の下に、前記大正一四年改正法におけると同じく、わが国の衆議院議員定数配分の基準として確立されたということである。

なお、この改正法直後の昭和二一年四月の戦後第一回の総選挙は、公職追放令と大選挙区制限連記制の採用のため、注目すべき政治的変化をもたらし、革新的政党勢力の進出とともに、新人の当選者は三七七人と、総定数の八一パーセントに達し、婦人候補者も七九人のうち約半数の三九人が当選した。そのため、選挙区制の問題が大きくクローズアツプされ中選挙区制への移行問題がとりあげられるに至つた。ちなみに、右総選挙人口により本法における議員一人当りの道府県別人口の最大較差を検証してみると、鹿児島対山梨 一対一・二〇であつた。

ロ 日本国憲法時代

〈7〉 昭和二二年改正法

前述したように、新しい選挙制度がもたらしたと思われる右総選挙の政治的結果に対して多くの議論がおこり、当時の社会経済の諸事情をも反映して、中選挙区制の実現が積極的に推進されるようになり、中選挙区単記投票制への復帰を内容とする改正法が昭和二二年三月三〇日議決され、翌三一日公布された。

ところで、昭和二二年法の別表における議員配分方式は次のようであつた。

〈イ〉 議員定数を、大正一四年法と同じ四六六と定める。

〈ロ〉 総人口を四六六で除し、議員一人当たり人口の全国平均値―基準人数―を算出する。

〈ハ〉 〈ロ〉の基準人数で各都道府県の人口を除し、得られた商の整数部分と同数の議員をまず配分する。

〈ニ〉 定数の残余二四について、各都道府県別に得られた〈ハ〉の商の小数点以下の数値の大きい順に、議員一人づつを配分する(第一次配分終り)。

〈ホ〉 各都道府県別に配分された議員数をさらに各選挙区に再配分するについては、人口を第一に、次いで行政区画等の地理的関係をも考慮して選挙区を定め、これに議員数を再配分する(第二次配分終り)。

このように右方式のうち、〈ホ〉の各都道府県内の選挙区に対する第二次配分については行政区画等の非人口的要素が考慮され、国会審議の場でも議論のあつたところであるが、〈ニ〉までの第一次配分は、ほぼ人口平等按分方式によつて処理されており、これを検証した原告作成の本判決添付の別表一によれば、右二二年法の別表における議員配分方式は、少くとも都道府県への第一次配分の段階までは厳密に人口平等按分方式にもとづいていた。

要するに、議員定数の配分基準は、総人口を定数四六六人で割つて基準人数(人口一五万六、九〇一人)を算出。この基準人数で都道府県の人口を割つて配分議員数を決定。そのさい、割算で得た数の整数部分と同数の議員を配分。残余の議員二四人は小数点以下の数値の大きい順に配分。人口の資料は、昭和二一年四月の臨時統計調査を利用。配分の結果として人口約一五万六、〇〇〇人につき議員一人の割合。最大較差は都道府県の比較で鳥取対福井 一対一・二五、選挙区では愛媛一区対鹿児島二区 一対一・五一。

〈8〉 昭和二五年公職選挙法

昭和二三年一〇月、これまで社会、民主、国民協同の中道三党からなつていた芦田内閣が退陣し、その後を受けて吉田・民主自由党内閣が成立し、翌二四年一月の第二四回総選挙が行なわれた。この選挙において与党は二六四名を得て国会に臨み、昭和二五年公職選挙法の制定をみた。

この公選法は、これまで分散していた諸種の選挙法制の総合化をはかつたものであるが、その目的は、第一条にあるように「日本国憲法の精神に則り、衆議院議員、参議院議員並びに地方公共団体の議員及び長を公選する選挙制度を確立し、その選挙が選挙人の自由の表明せる意思によつて、公明かつ適正に行われることを確保し、もつて民主政治の健全な発達を期すること」であつた。

そして選挙区制についてはかなりの論議が交わされたが、結局、現状維持に落ち着き従前の衆議院議員選挙法を骨格とする体制が基本的にそのまま引き継がれることになつた。

このようにして衆議院の議員定数は、四条で、現行どおり四六六人とされ、さらに一三条において、「衆議院議員の選挙区及び各選挙区において選挙すべき議員の数は、別表第一で定める」ものとされ、この別表第一の末尾に、「本表は、この法律施行の日から五年ごとに、直近に行われた国勢調査の結果によつて、更正するのを例とする」旨の更正規定が設けられた。

このように、右公選法における衆議院議員の選挙区割と各選挙区の議員数を定める別表第一は、二二年法の別表をそのまま踏襲したものである。

そして、右更正規定は、従来よりもさらに一層、徹底的に別表の規定を人口移動の実態に合致させる目的で設けられたものであり、その意味からまさに、人口平等按分方式による議員配分の伝統的基準を実効的に機能させるための保障規定の意味をもち、同方式と一体をなし、いわば、形影相伴う法文として登場したということができる。

なお、別表第一末文の更正規定は二二年法にはなく、ただ、二〇年法の審議段階において、一〇年間は別表を更正しない旨の更正規定がおかれていたのを、堀切内相が、人口は流動的であるので「十年を待たずして改正せらるべき時期がどうしても来るだろう」と考え、右規定を削除したものである。選挙制度審議会の議事速記録や資料等からも明らかなように人口平等按分比例にもとづいて議員を配分していた大正一四年法も、昭和一五年国調当時においては選挙区別人口較差にすでに相当のずれが出ていたから、別表を定期的に更正することが歴史的経験となつていたはずである。このような経緯からすれば、今回、新設された「五年ごとに行われる国勢調査の結果によつて更正するのを例とする」という規定は、従来におけるよりもさらに一層、徹底的に、別表の規定を人口移動の実態に合致せしめる目的で設けられたものである。

そして、明治三五年法、大正八年法、大正一四年法の別表における「本表ハ十年間ハ之ヲ更正セス」という規定が、むしろ人口移動を理由として党利党略のために選挙区制を変更しようとする弊を避けるため設けられたものであつて、いわばこの消極的旧規定に比し、五年ごとの改正を命じた積極的な新規定とは、その立法趣旨に根本的相違が存するから、各法改正時点での静態的な意味における人口平等按分方式を以後の人口移動に一致させてこれを動態的な意味における法的支配として確立するには、国会がこの新更正規定を誠実に遵守する義務があると解せられる。

〈9〉 昭和二八年改正法

奄美群島の復帰にともない、唯一の一人区を増設。

〈10〉 昭和三九年改正法

昭和三五年の国勢調査の結果、選挙区の人口と配分議員数との間に最大較差三・二一倍のアンバランスが生じていることが指摘されたため、昭和三六年六月一六日選挙制度審議会に対する諮問が出され、同審議会は二年余に亘る審議をへて、昭和三八年一〇月一五日「選挙制度の改正に関する件」と題する答申をした。その答申の具体案は兵庫五区で一人減、東京六区など一二選挙区で一九人増、差引一八人増員の是正を答申するもので、根本的解決が行なわれるまでの具体的是正措置として次の点を指摘した。

i アンバランスが特に著しい選挙区についてのみ是正する。

ii 総定数の大幅な増加は避ける。

iii 各選挙区の議員一人当たりの人口を基準人数の上下三分の一に抑える。

iv その結果、最大較差は一対二となる。

そこで政府は、この答申どおりの定数是正案を国会に提出したが、翌三九年に至り減員を撤回し、一九人増員のみの是正案を国会に再提出し、増員後の議員数が六人以上になる選挙区は、現行の三ないし五人区制を維持するため、分区することとした。そしてこの分区案は増員案とともに可決され、別表二項で当分の間、定数四八六となつた。

この結果、選挙区の議員一人当たりの人口は、前記審議会の二倍以下の答申にもかかわらず最大較差一対二・一九となつた。

しかしながら、前記審議会の答申は、「議員定数の不均衡の現状とその是正に関する基本原則」として、「このような不均衡は、一日もすみやかに是正すべきが当然」であつて、そのためには「都道府県ごとに人口に比例して議員数を配当し、各選挙区ごとに定教の不均衡を是正すること」を第一に要求していたのであり、「現在の選挙区別議員一人当り人口の偏差三・二以上を二倍程度に引下げる」という案は、「さしあたり、選挙区制についての根本的解決の行なわれるまでの是正措置」にすぎなかつた。そしてこの三・二倍を二倍以下に引下げる案は、特に確固とした歴史的背景ないし理論的根拠にもとづくものでなかつた。しかるに国会はこの暫定措置の答申をもつてあたかもこれを金科玉条のように、較差拡大を正当化するための口実として利用したのであつた。

〈11〉 昭和四五年改正法

沖縄の復帰にともない、沖縄全県を五人区として追加。

〈12〉 昭和五〇年改正法

昭和四五年の国勢調査の結果、定数配分の不均衡が最大較差一対四・八三となつた。そこで定数改正問題が論議されることになつたが、今回は選挙制度審議会への諮問はなされず、国会内において、各党間で、議員定数は減員せず、人口比偏差値上下三倍以内とするという前提で改訂作業が開始された。ところが、党利党略から、議員一人あたりの人口の最小選挙区(兵庫五区)の人口一一万二、七〇一人を基数とすべきところ、これを一一万二、〇〇〇人に修正し、その三倍である三三万六、〇〇〇人を僅か一二一人こえる愛知六区(三三万六、一二一人)を是正の対象(増員区)としたり、さらには右の基数をとらず議員一人あたりの平均人口(全国総人口一億〇、四六六万五、一七一人を議員定数四九一人で除した基準人数)二一万三、一六七人の二分の一の偏差による上下三倍偏差に切換え、新たに、三一万九、七五〇人をこえる神奈川三区と兵庫一区を加え、さらにまた右基準人数を二一万三、〇〇〇人と修正することにより、三倍上限を三一万九、五〇〇人としたうえ、神奈川一区の増員幅を二人から三人に押しあげ、結局前述した最小選挙区人口一一万二、七〇一人を基数とした場合の増員数は一六人にすぎないのに合計二〇人増とする案が議員提案として提出され国会で可決されるに至つた。

このようにして人口比上下三倍以内を是正目標として、定数を五一一人(二〇人増員)とし、増員後の議員数が六人を超える選挙区は、現行の三ないし五人区制に分区。その結果、選挙区間の議員一人当たりの人口比は、最小の兵庫五区と最大の東京七区間で一対二・九二となつた。

〈13〉 昭和六一年改正法

しかし右改正法にもかかわらず、昭和五〇年、同五五年の国勢調査の結果は、それぞれ、最大較差三・七二倍、四・五五倍になり、度重なる違憲判決と国民世論の批判を受けるに至つた。しかも、昭和六〇年国勢調査の速報値によつて最大較差が五・一二倍にもなつたので、漸く、一〇四国会の会期末に五〇年法による議員定数五一一人を八増七減して五一二人とする暫定措置を可決し、同時に衆議院本会議において国会附帯決議が行なわれた。

この昭和六一年改正法の改正経過については前記「(八) 昭和六一年改正法の問題点」において詳述したとおりである。

右改正の結果、選挙区間の議員一人当たりの人口比は、最小の長野三区と最大の神奈川四区間の一対二・九九(有権者比一対二・九二)となつた。

(2) 人口平等按分方式の定着

イ 以上、明治、大正、昭和にわたるわが国の衆議院議員選挙に関する法制度の歴史を通覧してきていい得ることは、議員定数の変遷(明治二二年に三〇〇人、同三三年に三六九人、三五年に三八一人、大正八年に四六四人、同一四年以降四六六人)、選挙区制の改正(明治二二年の原則小選挙区、同三三年の大選挙区と独立選挙区の併用、大正八年の小選挙区と独立選挙区の併用、同一四年の中選挙区、昭和二〇年の大選挙区、同二二年及び同二五年以降の中選挙制というように振子的変遷の繰り返し)、投票方法の変動(明治二二年の単記、完全連記記名、同三三年から大正一四年までの単記無記名、昭和二〇年の制限連記無記名、同二二年及び二五年以降の単記無記名という目まぐるしい変動)を経験したのに対し、唯一、議員定数配分基準だけは、明治三三年から大正一四年までの市部における独立選挙区の例外を除けば、常に人口平等按分方式という原理にもとづき、戦前にあつては人口約一二、三万人について議員一人、戦後にあつては人口約一五万人について議員一人という割合で、時代と政治情勢の有為転変にもかかわらず、なお根本的改正を加えられることなく、配分された、という歴史的経過が厳存する。しかもこの歴史的伝統は、実に明治二二年から昭和三九年までの間、七五年間にわたつて広く国民の信認の下に維持されてきた。まさに選挙法における国民的慣例となつていたということができる。

この方式は、何ら明文化されていないのに、国民に不磨の規範としての価値をおかれ、あたかも憲法上の権利であるかのように尊重されてきたということができる。

すなわち、わが国の衆議院議員選挙法における選挙区に対する議員定数配分については、明治二二年法以来昭和二二年法にいたるまで一貫して、各法の第一条において、附録または別表によりこれを定めるものとされ、その附録または別表における議員一人宛の具体的人口数は、各法の提案責任者が議会においてこれを明らかにし、法的に明定する方式が採られて来た(これを人口平等按分方式という。)。昭和二五年制定の現行公選法では、議員配分の規定こそ第一三条に移行したものの、その別表自体は同二二年法の別表の定めをそのまま維持したため、右の方式は、結局、明治二二年から昭和三九年まで七五年間にわたつて憲法慣例として継続した(なお、明治三三年法から大正八年法にいたる市部の独立選挙区は次のとおりあくまで例外である)。

ロ 独立選挙区の例外性

前記の独立選挙区の人口平等按分方式に対する例外性は次のようなものであるが、これは制限選挙の下における有権者較差による都市部の代表者割合を引上げて均等化をはかつたものであり、一票一価の原理を実質的に補強したものである。

(イ) 議員総数に対する独立選挙区の議員数の割合が、以下のように比較的小さく、人口平等按分方式の原則をゆるがすまでにはいたらなかつたこと。(註 以下の明治三五年法の独立区五九区は五三市三島三区を含む)

独立区 選挙区総数 独立区議員数 議員総数 議員数の割合

明治三三年法 四二市  九七区  六一人 三六九人 一七%

明治三五年法 五九区 一〇九区  七九人 三八一人 二一%

大正八年法  八一区 三七四区 一一六人 四六四人 二五%

(ロ) ただし、市部の独立選挙区が一般原則である人口平等按分方式に対して例外であつたという意味は、人口三万人以上の市部は議員一人を選出し得たのに、郡部は人口一三万人につき議員一人の割合でしか選出できなかつたという、人口比の形式的不平等の意味においてである。むしろ、議員の選出事情という実質的意味からすれば、明治三三年法以降の独立選挙区の設置は、市部と郡部間の一議員当たりの有権者較差の不平等を均等化する働きをしたものである。

すなわち、明治二二年法における選挙権の賦与は、地租に有利な直接国税一五円以上の納入者に限られていたため、同二三年の統計によるも、人口数に対する有権者比率は農村部で高く、都市部では低く、その上、明治二〇年代の都市は人口一二、三万の選挙区で過半数を占めるものが極めて稀であり、必然的に都市の有権者は過半数を占める農村部の有権者に圧倒されて自らの代表を選出することが難しくなり、たとえば、明治三一年当時においても、単独に市部から選出せられた議員は、定員三〇〇人のうちわずかに一七人(約六パーセント)程度であつて、市町の人口九七〇万人の全国人口四、二〇〇万人に対する割合である約二四パーセントの数値と対比しても、四分の一程度の議員選出能力しかもち得ない状況であつた。

ここにおいて、日清戦争後の都市の商工業者を中心とした新興市民層による農村偏重主義に対する都市の水平化、ないしは都市過重化の運動が抬頭するにいたり、商工業者のために選挙法を、一に選挙権の納税要件を十円に低減し、二に市部を独立選挙区とするところの補強的措置が講じられることとなり、その結果、明治三三年改正法の成立後は、都市の代表は前述(イ)のように、議員総数のうち一七パーセントの議員を選出し得るまでにはなつたが、それでもなお、市町の全国における人口比二四パーセントには及ばないという状況であつた。しかしながら、このような歴史的事情の下での制限選挙時代において、明治三三年法以降の独立選挙区の設置が、市部、郡部間の議員一人当たり有権者比率の不平等是正に貢献した役割は、選挙制度における一票一価の原理を実質的に促進し、これを補強した一つの要因として、看過することはできない。

ところで、わが国の選挙法における人口平等按分方式は、前述したように、イタリヤ憲法第五六条やベルギー憲法第四九条のように、人口数を議員数で割り、その基準人数で選挙区の人口を割つた数の議席が与えられる旨の憲法上の明文があつたわけではないが、明治二二年衆議院議員選挙法制定以来、附録または別表の立案者が、人口約一二、三万ないし約一五万人について議員一人を配分する旨の趣旨説明を行ない、これによつて各選挙区に議員が配分され、特に大正一四年改正法以降は明確な配分方法が存在していたのである。

すなわち、人口平等按分方式は、まず明治憲法下においては、衆議院議員選挙法第一条にもとづき、旧憲法第一九条の要請の下に、継続反覆して繰り返され、遂に憲法上の慣習ないしは慣例としての地位を取得したものであり、また、ポツダム宣言受諾後の根本規範を全く異にする日本国憲法時代においても、この慣習ないし慣例は引き継がれ、新憲法第一四条の平等保障条項の下に、継続的に憲法上の慣習ないし慣例としての地位を保持するにいたつた。

ハ それでは、このようにこの人口平等按分方式が、なんら明文化されていないのに、国民に不磨の規範としての価値をおかれ、あたかも憲法上の権利でもあるかのように尊重されてきた理由は何かというに、それはこの方式に内在する、平等原理であると考える。

天皇を統治権の総攬者とする明治憲法の下にあつても、明治二二年の衆議院議員選挙法は、沿革的に当時の欧米諸国の立憲君主制の人民代表法的伝統に影響され、また、明治憲法も、一九条で、臣民が「均ク」公務に就く能力をみとめ、参政権の原則的平等を保障していた。

そして大正一四年の普通選挙実施後は、「すべての選挙人は平等の権利を有するとの平等選挙主義」と、「一般国民中から専ら人口の多少に比例して議員を選出するとの人口代表主義」との、憲法学者(美濃部達吉「憲法撮要」大正一五年版)の記述にみられるような主義主張が唱導され、衆議院議員選出の基礎としての別表作成にあたつては、特殊の利益関係によらず、形式的人口平等基準のみに基づいて選挙区に議員を配分することが明治憲法の真意に合致するものと考えられ、それ故にこそ、この変更はいわば一つの禁忌であるとして、政治権力もこれを侵すことをせず、その結果、この方式が憲法的要請の下に永い生命を保持し得た所以と理解される。

そして、さらに、日本国憲法成立の前後についてみると、終戦直後の内閣がいち早く選挙法別表の改正作業に手をつけ、各選挙区の定数を昭和二〇年一〇月一日現在の調査人口を基本にして定める旨を決定し、衆議院も「衆議院議員選挙法改正要綱」を提案し、これら政府、議会の活動の成果として、人口平等按分方式による議員定数配分を定める昭和二〇年改正法の別表が結実した。

このようにポツダム宣言から日本国憲法に至る戦後のわが国の民主的基礎づくりの過程において、多年わが国の選挙制度において堅持されてきた人口平等按分方式という衆議院議員の配分基準は、単に歴史的事情において憲法慣例となつていたというばかりでなく、連合国側の標榜する自由主義と民主主義の原理に合致し、選挙制度における平等権を積極的に実効化していくところの、まさに規範であつたということができ、日本国憲法によつて創設された選挙権年齢の引上げ、婦人参政権の賦与と同じく、いやむしろ伝統的にはそれ以上の重みをもつて、選挙権の平等化に寄与すべく憲法の制度的保障をうけたものと解すべきである。

そして、この方式の根底には、一定の人口数に比例して平等に議員数を配分する人口比例原則、すなわち、一票一価の原理があつた。原告は、この原理にもとづく衆議院議員の配分方式を人口平等按分方式と名づけたが、この名称は新聞等においても慣用化され、国会審議の場でも用いられている。また、この議員定数配分を人口基準にもとづいて行なう方式が、明治憲法から日本国憲法にいたるまでの憲法的慣例を形成していたと、政治学者も指摘している(乙第一〇号証五頁)。

このように、選挙人を質的にも量的にも差別することのないこの平等原理は、いわば誇るべき国民的遺産である。それは選挙区や投票の方法などのように、憲法四七条によつて概括的に法律に委任されるべき事項ではない。国会は憲法四七条により選挙法の別表を作成するにあたつては、憲法上の人口平等按分原理を変更してはならず、ただこれを具体化し、ないしは補完することが許されるだけである。国会の裁量権はこの範囲内に限定される。人口平等按分原理の議員定数配分における関係は、投票の秘密の投票方法における関係と同じである。

以上により、わが国の衆議院議員選挙法における議員定数の配分基準としての人口平等按分方式が、わが国法上、憲法慣例の地位に位置することが明らかである。

ところで、本件選挙の準拠法となつた昭和六一年改正法は、選挙区別議員一人当たり人口(ないし有権者数)の最大較差を二・九九(二・九二)倍とする偏差を許容するものであるから、人口平等按分方式という明治以来の伝統的な数理的厳格性を、何故、こうも乖離するにいたつたのか、その理由について、国は挙証する責任がある。

(3) 人口較差の推移

イ 衆議院議員選挙法の各改正法における(都)道府県間人口較差(最大値)の推移

右各改正法直後の各総選挙人口により、各改正法における(都)道府県別議員一人当りの人口の最大較差を検証した結果は、前示(一一)(1)イ〈1〉以下の各改正法の項中において既述したとおりであるが、これをまとめて列記すると次のとおりであり、その何れの場合も一対二以内において推移しているのである。

なおあわせて、昭和二二年法、昭和二五年公選法及びそれ以後の改正法における最大較差をそのあとに附記する。

明治二二年法 長崎対宮城  一対一・四〇

明治三三年法 この改正法にもとづく選挙はなかつた。

明治三五年法 香川対大分  一対一・四三

第七回総選挙は定数三八一のうち北海道の三人と沖縄の二人の計五人を省いて施行されているため、北海道の数値を採るのは適当でない。

大正八年法  三重対京都  一対一・五〇

大正一四年法 沖縄対東京  一対一・四〇

昭和二〇年法 鹿児島対山梨 一対一・二〇

昭和二二年法 鳥取対福井  一対一・二五

昭和二五年法 同右

昭和三九年法 鳥取対東京  一対一・六六

これ以降は都道府県別人口較差は問題とされず、ひたすら選挙区間の最大較差だけを端切りにする弥縫策が採られた。

(兵庫五区対愛知一区)  一対二・一九

昭和五〇年法 (兵庫五区対東京七区)  一対二・九二

昭和六一年法 (長野三区対神奈川四区) 一対二・九九

ロ 大正一四年法、昭和二二年法における最大較差の検証

人口平等按分方式がほぼ原則的な適用をみた大正一四年法と昭和二二年法における人口較差を検証した結果は次のとおりである。(大正一四年法の数値は、臨時国勢調査局作成の国勢調査速報による。昭和二二年法の数値は同法別表(昭和二一年四月二六日現在)人口調査による議員一人当人口調―甲二四号証の三五八頁、三五九頁による。)

(都)道府県別 選挙区別

大正一四年法  徳島対宮崎  佐賀一区対秋田二区

一対一・一七     一対一・四八

昭和二二年法  鳥取対福井 愛媛一区対鹿児島二区

一対一・二五     一対一・五一

ハ 昭和二五年公選法施行後昭和三九年改正法前までの各総選挙における議員一人あたりの都道府県別人口較差の推移を検証した結果は別表二ないし七のとおりであり、それぞれの最大較差をまとめると、左のとおりとなる。

昭27・10・1(第二五回総選挙)鳥取対東京 一対一・六五

昭28・4・19(第二六回 〃 )  〃   一対一・七四

昭30・2・27(第二七回 〃 )  〃   一対一・八八

昭33・5・22(第二八回 〃 )  〃   一対二・一〇

昭35・11・20(第二九回 〃 )  〃   一対二・二九

昭38・11・21(第三〇回 〃 )  〃   一対二・五六

これらをみれば、国会が公選法別表第一末尾の更正規定を履行しなかつたため、較差が順次拡大し、第三〇回総選挙(昭和三九年改正法直前)の段階において、府県別で一対二・五六の最大較差が生じていたのであり、今日に至る投票価値の不平等の原因はひとえにわが国の憲法慣例を無視した国会の怠慢に起因していたという事実が明らかである。

ニ 昭和三五年以降の国勢調査の結果による選挙区別の最大較差の推移

昭和三五年一〇月 一対三・二一(昭和三九年改正法一対二・一九)

昭和四〇年一〇月 一対三・二三

昭和四五年一〇月 一対四・八三(昭和五〇年改正法一対二・九二)

昭和五〇年一〇月 一対三・七二

昭和五五年一〇月 一対四・五五

昭和六〇年一〇月 一対五・一一(昭和六一年改正法一対二・九九)

このように、人口の都市集中現象に伴い、国勢調査の結果による議員一人当りの最大較差(上欄)は年度を追うごとに増加しており、右下欄に示した昭和三九年、同五〇年の改正による引下げでもほんの一時しのぎであつて、較差の増大を回避することができず、今回の二・九九倍の手直しも極めて近い将来においてたちまち三倍以上の較差が現出するのは必至と結論することができよう。

(4) 憲法慣例の法的性質

議員定数配分基準としての人口平等按分方式のもつ憲法慣例としての法的性質(法規範性)は次のとおりである。

一般に慣習が法たる効力をもつ要件とされる、〈1〉 継続性 〈2〉 平穏性 〈3〉 合理性 〈4〉 内容や権利者などが明確にきまつていること 〈5〉 拘束的なものとして認められてきたこと 〈6〉 他の慣習と矛盾しないこと、等の諸要件を、この人口平等按分方式はすべて具備している。

イ すなわち、まず明治憲法下においては、

〈1〉 継続性  約五五年間にわたつて反覆され、制度化されて来た。

〈2〉 平穏性  選挙区制や投票方法等とは異なり、なんら政争の具とはされず、独立選挙区併用のさいにも、郡部、市部ともに人口を基礎としていた。

〈3〉 合理性  形式的人口平等原理にもとづいていた。

〈4〉 明確性  人口約一二、三万人につき議員一人という明確な数理的厳格性によつていた。

〈5〉 拘束性  選挙法の附録ないしは別表としての法的拘束力をもち、法改正の都度、内務大臣等が提案理由説明をした。

〈6〉 非矛盾性 明治三三年以降大正八年改正法までにおける例外以外には、他の慣習は存在しなかつた。

という事情が明らかであり、右慣習の根拠が憲法よりも法的効力の劣る選挙法にあつたとしても、明治憲法第一九条の、日本臣民は「均ク」文武官に任ぜられ、その他の公職に就くことができる旨の参政権の原則的平等規定によつて、人口平等按分方式は憲法の要請をうけ、制度として慣習化された。

ロ 次に、ポツダム宣言受諾後ないし日本国憲法の下においての人口平等按分方式は、

〈1〉 継続性  約二〇年間、制度化されていた。

〈2〉 平穏性  小選挙区論議などとは異なり、全く政争の具とされることはなかつた。

〈3〉 合理性  明治憲法下におけると同じように、形式的人口平等原理にもとづいていた。

〈4〉 明確性  人口約一五万人について議員一人の数理的厳格性を維持し、しかも、公選法の更正規定によつて配分基準の明確化が補強された。

〈5〉 拘束性  配分基準の法的な拘束力は、明治憲法下よりもさらに一段と強められたが、国会が自らの不作為的裁量によつて結果的にこの拘束性を弱めた。

〈6〉 非矛盾性 他の慣習は存在しなかつた。

このように、日本国憲法の下においても人口平等按分方式は慣習ないし慣例としての地位を継続していたが、それ以上に、この方式の根底である投票価値の徹底した平等化の原理は、最高裁判所の公権的解釈によつて憲法第一四条の平等条項の要求する憲法事項に位置づけられた。

そして、この人口平等按分方式は、イギリス法における憲法習律のような、裁判所によつては強制されない弱い存在ではなく、裁判所によつて強制される規範としての憲法律に当る。

即ち、「憲法習律は、単なる慣例であつて、通常裁判所の裁判によつて強行されることを必ずしも予定されたものではないが、これを守らないと国家にとつて重大な結果が生まれ、この結果に対し、通常裁判所による法的制裁が科されうるので実際上守られているものを指す。」と定義されているが、原告主張の人口平等按分方式はその根拠が制定法に基づくものであるから、「制定法によつて定められた慣習、伝統」としてむしろ裁判所によつて法的に強制される憲法律に等しい存在である。

二  被告

1  本案前の答弁

(一) 本件訴えは、公職選挙法二〇四条を根拠とする選挙無効の訴えであり、昭和六一年七月六日に施行された衆議院議員選挙(以下、「本件総選挙」ともいう)は、昭和六一年法律第六七号で改正された衆議院議員定数配分規定(公選法一三条、別表第一、同法附則二項、七ないし一〇項)に従い実施されたが、この選挙区別定数は、憲法一四条一項、一五条一項、三項、四四条に反し違憲であるから、本件総選挙は無効であるというものである。

しかしながら、このような議員定数配分規定そのものの違憲、無効を理由とする選挙の効力に関する訴え(以下、「定数訴訟」ともいう)は、公選法二〇四条の予期しないものであり、不適法な訴えとして却下されるべきである。

(二) 選挙訴訟の法的意義とその問題点

(1) 公選法の「選挙訴訟」の法的意義

選挙の効力に関する訴訟(公選法二〇三条ないし二〇五条)は、選挙の管理執行機関の公選法規に適合しない行為を是正し、選挙の執行の公正の維持を目的とする民衆訴訟であつて、法律上の争訟に該当せず、法律により特に裁判所の権限として定められた訴訟である(裁判所法三条一項、行訴法四二条)。したがつて、公選法上の選挙の効力に関する訴訟は、公選法二〇三条以下の規定に従い、同法所定の範囲内においてのみ訴えを提起することができ、右範囲外の事項に関しては、訴訟で争うことが禁じられている。

(2) 本件訴訟の公選法上の問題点

イ 公選法の予定する衆議院議員の選挙の効力に関する訴訟は、同法二〇四条による場合のみであつて、現行法制の下においては、同条以外の方法による選挙訴訟の提起は許されていないのである。

そして、同法二〇五条、一〇九条及び三四条の各規定並びに同法二一九条一項において行訴法三一条の規定を準用しないこととしている点にかんがみれば、同法の予定する選挙訴訟は、当該選挙を管理執行する選挙管理委員会が選挙の規定に適合しない行為をし、それが選挙の結果に異動を及ぼす虞がある場合に、その是正のため当該選挙の効力を失わせ、改めて再選挙を義務付けるところにその本旨があり、右訴訟で争い得る「選挙の規定に違反すること」(公選法二〇五条一項)も、当該選挙区の選挙管理委員会が選挙法規を正当に適用することにより、その違法を是正し、適法な再選挙を行ないうるもの(当該選挙管理委員会の権限に属する事項の規定違反)に限られる。

したがつて、選挙管理委員会において自らこれを是正し、適法な再選挙を実施できないような議員定数配分規定自体の違憲を主張して選挙の効力を争う本件訴訟のごときは、到底許されない。

ロ また、公選法二〇四条の訴訟により選挙が無効とされた場合の再選挙は、これを行なうべき事由が生じた日から四〇日以内に行なわなければならず(同法一〇九条四号、三四条一項)、しかも再選挙の期日は、少なくとも一五日前に告示しなければならない(同法三四条六項三号)。一方、もし、議員定数配分規定の違憲無効を理由として選挙が無効とされて再選挙を行なう場合には、まず右配分規定の改正を行なわなければならない。選挙管理委員会としては、公選法により、四〇日以内に再選挙を行なう義務を負つているから、再選挙の延期は許されず、議員定数配分規定が違憲無効であるとした判決の拘束力(行訴法四三条三項、四一条一項、三三条一項)に従う限り公選法一〇九条四号、三四条一項の規定に違反せざるを得ないし、他方、右規定に従おうとするときは、違憲無効な定数配分規定に基づいて再選挙を行なうことを余儀無くされ、判決の拘束力を無視せざるを得ないというジレンマに陥る。また、選挙無効判決の内容いかんでは、憲法五六条一項所定の衆議院の定足数を充足できない事態を惹き起こす可能性もあり、国権の最高機関たる国会の正常な運営が著しく阻害される。

ハ そして、選挙制度の在り方は本来政治の分野で解決すべき事項であり、その是正の必要があつても政策的判断により前記のような選挙訴訟手続を軽視して新たな訴訟を創設するのは法律に基づく裁判という法治主義の基本原則から逸脱することになり、三権分立の原理に照らし、司法が新種の民衆訴訟を裁判によつて創造することは許されない。

ニ アメリカ法、西ドイツ法ではこの種の議員定数配分の違憲無効を理由とする選挙訴訟が法律及び判例法上制度的に認められているが、これら諸外国の選挙訴訟制度は我が国のそれとは根本的に異るのであるから、これらの国において是認されているとの理由により、直ちに我が国でも、この種の訴訟が是認されて然るべきであるということにはならないのであり、我が国ではこれを許すべきではない。

ホ よつて、議員定数配分規定の違憲無効を理由とする選挙無効の訴えは、公選法二〇四条の予定するものではなく、これを許す実定法規の制定がない現行法制の下では、本件訴えは不適法として却下すべきである。

2  本案の答弁(請求原因に対する答弁)

(一) 原告主張の請求原因(一)項を認める。

(二) 同(二)項一段を認め、二段を争う。

(三) 同(三)項は本件議員定数配分規定が本件総選挙直前に改正されたもので、昭和六〇年の国勢調査の速報値に基づくことを認め、その余を争う。

(四) 同(四)項を争う。

3  本案の主張

原告の前示一、3の本案の主張は以下において認めるもの以外はすべて争う。

(一) 憲法上保障される選挙権平等の意義

(1) 憲法一四条一項、一五条一項、三項及び四四条ただし書の各規定からすると、憲法が平等選挙権を保障していることは明らかである。そして、各選挙人の投票の価値の平等もまた、憲法の要求するところであると解するのが最高裁判所の判例である。

(2) しかしながら、憲法が異なる選挙区間における投票価値の平等を要求し、議員定数の配分につき人口比例主義を原則としているとの右最高裁判所の判例は、以下の理由から変更されるべきである。すなわち、

イ 一般に、平等選挙制とは、選挙人の投票数の平等を意味し、人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産、収入等により選挙人の投票数に差別を設けてはならないとする制度(憲法四四条ただし書)であり、そして、複数選挙制あるいは等級別選挙は平等選挙制に抵触するものとして排斥されてきたが、それ以上に投票の結果価値の平等、すなわち投票の結果に及ぼす影響力の平等までも意味するものとはされていない。

ロ わが国の憲法上、異なる選挙区間における投票価値の平等をも要求して、国会両議院の議員定数を選挙区別の選挙人の数に比例して配分しなければならないことを要求していると解すべき規定は憲法上存在しないのみならず、かえつて憲法は両議院議員の各選挙制度の仕組みにつき、前示憲法四四条ただし書に定めるほかは、同法四七条において「選挙区、投票の方法その他両議員の選挙に関する事項は、法律でこれを定める。」と規定し、右事項の具体的決定を国会の広範な裁量にゆだねている。このことは、公選法が地方議会の議員定数配分について、「各選挙区において選挙すべき地方公共団体の議会の議員の数は、人口に比例して、条例で定めなければならない。」(公選法一五条七項本文)と規定しているが、国会両議院の議員定数配分については、人口比例主義を要求する規定を設けていないことからも窺われる。

したがつて、国会がその具体的決定に当たり、異なる選挙区間における投票価値の平等、すなわち、人口比例主義をどの程度まで考慮するかは、専ら国会が独自に決定すべき立法政策上の問題というべきであり、国会の定めたものが、その裁量権の行使として合理性を有する限り、たとえ異なる選挙区間における投票価値の平等、すなわち、人口比例主義が一定の制約を受ける結果になつたとしても、それは憲法自身の容認するところである。

憲法が、異なる選挙区間における投票価値の平等まで要求し、議員定数配分につき人口比例主義を原則としていると解することはできない。

よつて、原告らが、異なる選挙区間における議員一人当たりの選挙人数の較差のみをもつて、本件議員定数配分規定を違憲・無効とし、これに基づく本件選挙が憲法の選挙権の平等の要求に反するとするのは、その立論の前提に誤りがある。

(二) 議員定数配分の国会の裁量権

仮りに憲法上、異なる選挙区間における投票価値の平等まで要求されるとしても、本件議員定数配分規定は国会の裁量権の合理的な行使として是認し得る。

(1) 議会制民主主義の下における選挙制度は、国民の多様な利害や意見の公正かつ効率的な反映等国民代表の的確な選任、政局の安定を要請していることから、議員定数配分の決定は、単なる数字の操作のみで解決できない高度の政治的、技術的要素を含んでいる。代表民主制の下における選挙制度は、相互に矛盾する面を有する右のような要請を考慮しながら、それぞれの国の事情に即して具体的に決定すべきものである。

(2) 選挙制度は、国民の多様な利害や意見の公正かつ効率的な反映等国民代表の的確な選任、政局の安定という諸要請を、それぞれの国の政治状況に照らし、多種多様で複雑微妙な政策的及び技術的考慮の下に全体的、総合的見地から考察し、適切に調整した上で決定されるべきものであり、この点、我が国とは歴史的事情、国民性、選挙制度、裁判所の権限等の異なるアメリカ、西ドイツ等の平等原則の内容をそのまま無批判に我が国に導入することはできない。

(3) それゆえ、憲法は国会両議院の議員の選挙につき、議員の定数、選挙区、投票の方法その他選挙に関する事項は法律で定めるべきものとし(四三条二項、四七条)、両議院の議員の各選挙制度の仕組みの具体的決定を、原則として国会の裁量にゆだねている。したがつて、投票価値の平等は、憲法上、右選挙制度の決定のための唯一、絶対の基準となるものではなく、原則として、国会が正当に考慮することのできる他の政策的目的ないし理由との関連において調和的に実現されるべきものである。

(4) 衆議院議員の定数配分の均衡の問題は、代表民主制下における選挙制度のあり方を前提とした国会の裁量権の範囲の問題としてとらえるべきもので、憲法の要請する平等原則も、具体的に決定された選挙区割と議員定数配分下における選挙人の投票価値の不平等が国会において、前述の選挙制度の目的に照らし、通常考慮し得る諸般の要素をしんしゃくしてもなお、一般的に合理性を有するものとは到底考えられない程度に達しているか否かの問題であつて、もともと客観的基準になじまない分野である。

昭和五一年大法廷判決も衆議院議員の選挙につき、選挙区割や議員定数配分を国会が決定する際に、極めて多種多様な要素を考慮し得るとし、国会に広範な立法裁量権を認めている。

そして、国会が具体的に決定した議員定数配分規定が、その裁量権の合理的な行使として是認されるかどうかを裁判所が判断するに当つては、事の性質上、特に慎重であることを要し、限られた資料に基づき、限られた観点から、たやすくその決定の適否を判断すべきものではない。

(5) したがつて、具体的に決定された選挙区割と議員定数の配分下における選挙人の投票価値の不平等が、国会において通常考慮し得る前述のような諸要素をしんしゃくしても、なお、一般的に合理性を有するものとは到底考えられない程度に達しているときに限り、国会の合理的裁量を超えているものと判断すべきである。

(三) 本件議員定数配分規定の合憲性

本件選挙が依拠した本件議員定数配分規定は、昭和六一年改正法によるものであるが、それは、昭和六〇年一〇月実施の国勢調査(以下、「国調」ともいう。)の要計表(速報値)人口に基づく選挙区間における議員一人当たりの人口の較差(以下、「定数較差」ともいう)は、最大一(長野県第三区)対二・九九(神奈川県第四区)であり、本件選挙時の選挙人数に基づく較差は、最大一(長野県第三区)対二・九二(神奈川県第四区)であつた。

本件選挙当時の右定数較差が示す選挙区間における投票価値の不平等の程度は、前述のような国会の裁量権の性質に照らすならば、それが、国会において考慮し得る合理的裁量権を越えるものではない。

(四) 本件衆議院議員定数配分規定の改正経過

(1) 昭和六一年改正法までの経過

イ 公選法制定当時の定数配分

公選法が制定された昭和二五年当時、衆議院議員の定数は同法四条一項(総議員数 四六六名)で、その選挙区割及び議員定数の配分は同法一三条一項、別表第一でそれぞれ規定されていたところ、その内容は、公選法の制定とともに廃止された衆議院議員選挙法の規定(昭和二二年法律第四三号による改正後のもの)を継承したものである。そして、衆議院議員選挙法の右改正では、議員定数の配分について、昭和二一年四月に実施された臨時人口調査の結果に基づいて定められ、それによれぱ、選挙区間の定数較差は最大一(愛媛県第一区)対一・五一(鹿児島県第二区)。

ロ 昭和三九年法律第一三二号による定数是正

昭和三五年実施の国調により、定数較差が最大一(兵庫県第五区)対三・二一(東京都第六区)となつていることが明らかとなり、国会で種々論議の結果、昭和三九年の第四六回国会において、一二選挙区で一九人増員する定数是正法案が成立、法律一三二号で公布。

その結果、議員総定数は四八六人となり、定数較差の最大値は、昭和三五年国調人口で前記三・二一倍から愛知県第一区と兵庫県第五区との間の二・一九倍に縮小。

ハ 昭和五〇年法律第六三号による定数是正(以下、「昭和五〇年改正」ともいう)。

昭和四五年実施の国調により、定数較差が最大一(兵庫県第五区)対四・八三(大阪府第三区)に拡大していることが明らかとなり、再度、国会で定数是正が検討された結果、昭和五〇年の第七五回国会において、一一選挙区で二〇人増員し、その結果六人以上となる選挙区を分区する定数是正法案が成立、法律第六三号で公布。

その結果、議員総定数は、沖縄復帰に伴う昭和四六年の改正による五人増を含めて五一一名となり、定数較差の最大値は、前記四・八三倍から東京都第七区と兵庫県第五区との間の二・九二倍にまで縮小した。

(2) 昭和六一年改正法の成立経緯

イ 昭和五〇年改正により、昭和四五年国調人口による定数較差の最大値は前記のように二・九二倍に縮小したが、その後の人口移動により、再び較差は拡大した。すなわち、昭和五〇年に実施された国調人口による定数較差は、最大一(兵庫県第五区)対三・七二(千葉県第四区)となり、昭和五五年に実施された国調人口による定数較差は、最大一(兵庫県第五区)対四・五四(千葉県第四区)となり、更に、昭和五八年一二月一八日施行の総選挙時の定数較差(選挙人数比)は、最大一(兵庫県第五区)対四・四〇(千葉県第四区)となつた。

ロ このような衆議院議員の各選挙区間の定数不均衡状態に対し、各党は、その是正が緊急かつ重要な課題であるとして、その検討に取り組んだ。しかし、定数是正の成案をとりまとめるまでに時日を要した。そして、その検討の結果をふまえて、第一〇二回国会において、自民党及び野党四党(社会党、公明党、民社党、社民党)からそれぞれ定数是正法案が提出された。右各法案は、いずれも議員総定数五一一人を変更せず、較差を三倍以内にするため、定数較差の著しい選挙区について、その是正を行なうものであり、右両法案の相違点は二人区の取扱いにあつた。

右両法案は、昭和六〇年六月二四日、衆議院本会議において、それぞれ提案者から趣旨説明が行なわれ、各党から質議が行なわれるとともに、衆議院公職選挙法改正に関する調査特別委員会(以下、「調査特別委員会」という)において提案理由説明が行なわれたが、会期との関係もあり、次国会の継続審議となつた。

ハ ところで、最高裁判所は、五八年大法廷判決で、昭和五五年施行の総選挙における定数較差の最大値が、千葉県第四区と兵庫県第五区の間の三・九四倍(選挙人数比)に及んでいたことについて、「本件選挙当時の右投票価値の較差は、憲法の選挙権の平等の要求に反する程度に至つていた」とし、続いて、第一〇二回国会終了後間もない昭和六〇年七月一七日大法廷判決で、昭和五八年施行の総選挙における定数較差の最大値が、千葉県第四区と兵庫県第五区の間の四・四〇倍(選挙人数比)に及んでいたことについて、選挙の効力は事情判決により無効とされなかつたものの、「本件選挙当時において選挙区間に存した投票価値の不平等状態は、憲法の選挙権の平等の要求に反する程度に至つていたものというべきであ」り、「憲法上要求される合理的期間内の是正が行われなかつたものと評価せざるを得」ず、「本件議員定数配分規定は、本件選挙当時、憲法の選挙権の平等の要求に反し、違憲と断定するほかはない。」とし、さらに補足意見として、現行定数配分規定を是正しないまま、選挙が執行された場合には選挙の効力を否定せざるを得ないこともあり得るし、当該選挙を直ちに無効とすることが相当でないとみられるときは選挙無効の効果は一定期間経過後に発生するという内容の判決もできないものではないとする意見が付されるなどの見解が示され、定数是正は一層急務となつた。

ニ その後、調査特別委員会では、与野党の意見は平行線をたどり、容易に歩み寄りが期待できない状況となつた。同国会における定数是正法案の取扱いについて昭和六〇年一二月一九日に示された衆議院議長の見解を受けて、調査特別委員会は、翌二〇日次国会で早急に定数是正を実現すべき旨の決議を行ない、同日の衆議院本会議において、

「衆議院議員の現行選挙区別定数配分規定については、最高裁判所において違憲と判断され、その早急な是正が強く求められている。

本件は、民主政治の基本にかかる問題であり、立法府としてその責任の重大性を深く認識しているところである。

本院は、前国会以来、定数是正法案について精力的に審査を進めてきたが、諸般の事情により、いまだその議了を見るに至つていない。

本問題の重要性と緊急性にかんがみ、次期国会において速やかに選挙区別定数是正の実現を期するものとする。

右決議する。」

との決議がなされ、翌二一日第一〇三回国会は閉会し、両法案とも審議未了廃案となり、定数是正問題は、次の通常国会に持ち越された。

ホ 第一〇四回国会は、昭和六〇年一二月二四日に召集されたが、同日、昭和六〇年国調の要計表人口が発表され、定数較差の最大値が、千葉県第四区と兵庫県第五区間の五・一二倍となることが明らかとなつた。このような状況の中で、第一〇四回国会においては、前国会での衆議院議長見解や本会議の決議を受けて、定数是正は速やかに解決すべき最大の課題とされた。

昭和六一年二月に入るや、自民党、社会党、公明党、民社党及び社民連の国会対策副委員長で構成する定数是正問題協議会が設置され、各党間の協議が進められ、続いて四月に入るや与野党国会対策委員長会談が開かれ、二人区の解消の方法や周知期間の問題などが協議された。

そして、定数是正問題の調停をゆだねられた衆議院議長は、更に各党から意見の聴取を行なつたうえ、昭和六一年五月八日次のような議長調停を示した。

「(1) 今回の定数是正に際し、二人区の解消に努める旨の与野党間の合意の趣旨を尊重し、それを実現するため各党の主張を勘案した結果、減員によつて二人区となる選挙区のうち和歌山二区、愛媛三区及び大分二区については、隣接区との境界変更により二人区を解消することとする。

(2) この場合、減員は七選挙区となり、総定数を変えないときは、増員は七選挙区となるべきところであるが、今回の定数是正の中心課題である較差三対一以内に縮小しなければならない要請にこたえるため今回は特に八選挙区において増員を行うことも已むを得ないものと考える。

しかしながら、抜本改正の際には、二人区の解消とともに総定数の見直しを必ず行うものとする。

(3) 本法の施行に際しては、有権者の立場を尊重して周知期間を置くとの与野党の合意を踏まえ、特に、この法律は、公布の日から起算して三十日に当たる日以後に公示される総選挙から施行するものとする。

(4) 以上のほか従来の与野党ですでに合意した点を含め各党間で協議を進め早急に所管委員会で立法措置を行うため審議に入るものとする。」

今回の公選法の一部を改正する法律案は、議長調停を受けての法律案であることから、五月一六日、調査特別委員会において委員会提出の法律案とすることが決せられ、五月二一日、衆議院本会議で、提案者の三原朝雄調査特別委員長から趣旨説明がなされ、賛成多数により可決された。

また、右本会議において、今回の是正は、当面の暫定措置であり、昭和六〇年国調の確定人口の公表をまつて抜本改正の検討を行なうものであるとして、原告の前示一、3本案の主張の(九)記載の附帯決議がなされた。

参議院においては、国会最終日の五月二二日、選挙制度に関する特別委員会において提案者からの法律案の提案理由説明及び各党からの質疑が行なわれた後、賛成多数で可決され、さらに同夜開催された本会議で、賛成多数で可決され、ここに昭和六一年改正法が成立し、懸案の定数是正の実現をみた。

(五) 昭和六一年改正法制定における国会の裁量性

(1) 本件議員定数配分規定は、前記経緯の下に制定された昭和六一年改正法により、従前の定数配分規定が是正されたものであるが、右改正法は、国会が、最高裁判所から五八年大法廷判決及び六〇年大法廷判決で、昭和五〇年改正の議員定数配分規定の下で昭和五五年及び同五八年にそれぞれ施行された衆議院議員総選挙が、いずれも選挙区間に存した投票価値の不平等状態が憲法の選挙権の平等の要求に反する程度に至つていたと指摘されたことを深刻に受けとめ、立法府として、最高裁判所から違憲と指摘された定数配分規定を早急に是正すべき必要性を十分に認識し、種々検討を重ねて制定されたものである。しかも、昭和六〇年国調の要計表人口を基に、当面の暫定措置として制定されたことからも明らかなとおり、右改正法は、国会が、定数是正の早急な実現という要請に速やかに対応するために、最大限の努力を重ねた結果制定されたものである。

これらのことは、本件定数是正措置を決定するに当たつての国会の裁量性を判断する場合に、十分にしんしやくされるべきである。

(2) また、本件の定数是正に当たり、前述の立法経緯から明らかなとおり、定数較差は、それを三倍以内とするとの方針が終始採られていたのであり、その結果、右改正法では昭和六〇年国調の要計表人口における定数較差の最大値が二・九九倍となつたが、これは、五八年大法廷判決及び六〇年大法廷判決が、いずれも、昭和五〇年改正により、定数較差の最大値が四・八三倍から二・九二倍に縮小したことについて、右改正前の投票価値の不平等状態は、右改正によつて一応解消されたものと評価することができる旨の判断を示したことを踏まえたものであつた。

また、昭和六一年改正法の目的が、専ら大法廷判決によつて違憲状態とされた定数較差の是正を図るものであつたことは前述の経緯から明らかであるが、衆議院議員の選挙における選挙区割と議員定数の配分の決定については、複雑微妙な政策的及び技術的考慮要素が含まれており、これらをどのように考慮して具体的決定に反映させるかについて客観的基準が存するわけではなく、また定数較差の許容基準についても客観的具体的基準が存するわけではないから、国会が、最高裁判所から昭和五五年及び昭和五八年にそれぞれ施行された総選挙について、定数較差の状態が違憲状態にあると指摘され、そのために、違憲状態の解消を目的とした定数是正を早急に実現するに際し、前記各大法廷判決が違憲でないとした昭和五〇年改正における定数較差を最大の目安とし、それを定数是正を行なう上での方針としたことには、十分合理性がある。

(3) 本件議員定数配分規定は、前記各大法廷判決が示した基準である「具体的に決定された選挙区割と議員定数の配分の下における選挙人の投票価値の不平等が、国会において通常考慮しうる諸般の要素をしんしやくしてもなお、一般的に合理性を有するものとはとうてい考えられない程度に達している」とは到底認められないのであり、したがつて、本件選挙が無効とされる理由は全くない。

(4) また、「一般的に合理性を有するものとはとうてい考えられない程度に」まで達していないときは、国会の合理的な裁量の範囲内にあるものとして、裁判所は、国会の判断を尊重して、司法審査を抑制するのが相当であるところ、昭和六一年改正法の下での選挙人口に基く最大較差二・九二(人口に基く較差二・九九)は、右の合理的な裁量の範囲内にあると主張する。したがつて、右の「一般的に合理性を有するものとはとうてい考えられない程度」の選挙権の不平等が存する場合に、これを正当化するために要求される特段の事情は、本件では、そもそも問題にする余地はない。

(六) 議員定数配分の判断基準

(1) 原告の前示一3の本案の主張(一)(2)にいう議員定数配分の合理性の判断基準を較差「一対二」の比率にとどめるべきであるとの主張を争う。

前示被告の二3の本案の主張(二)議員定数配分の国会の裁量権のところで述べたとおり、投票価値の平等の要請も国会が具体的に決定した選挙制度の仕組みとの関係において相対的に評価されざるを得ないことを意味する。

議員定数の配分に当たつて、選挙人数と配分議員数との比率は重要な要素であるが、現行の衆議院議員選挙制度、すなわち中選挙区単記投票制のもとでは、右要素以外にも都道府県が選挙区割の基礎をなすものであること、また、これらの都道府県を更に細分するに当たつては、従来の選挙の実績や、選挙区としてのまとまり具合、市町村その他の行政区画、人口密度、交通事情、地理的状況等の考慮すべき種々の政策的及び技術的要素が存在するのである。しかも、右の各考慮要素をいかにして具体的決定に反映させるかについては、「客観的基準が存在するものでもない」のであるから、結局、右決定に当たり各考慮要素をどのように調和させるかは、国会の総合的判断によらざるを得ないのであり、これは右具体的決定が数値化された固定的、一義的基準により得ないことを示している。

したがつて、各大法廷判決は、投票価値の平等の要請も、原告の主張する「一対二」といつたような固定的、絶対的なものではなく、前記の政策的、技術的諸要素との関係において調和的に実現されるべきものであるがゆえに、数値的基準の定立になじむものではないとしている。

(2) 原告の前示一3の本案の主張(一)(3)の有権者比率・人口比率の問題につき、被告は次のとおり主張する。

国会議員の選挙区別定数配分の基準につき現行の公職選挙法は、衆議院議員の定数配分を定めた別表第一に「・・・・国勢調査の結果によつて更正するのを例とする」と規定し、人口によるとしていること、わが国においては、明治二二年の衆議院議員選挙法以来一貫して人口を基礎として定数配分が行なわれてきた歴史があること、議員の定数配分には、ある程度の安定性が望ましいこと、国勢調査は法令に基づき、全国一斉の実地調査によつて行なわれ正確性が高く、また、国の各種制度において国勢調査人口を用いることが定着していること等を考慮すれば、国勢調査人口を基礎とするのが適当である。

(七) 人口的要素と非人口的要素

原告は前示一3の本案の主張(五)において人口的要素、即ち投票価値の平等が憲法上の要請である以上これに最優先順位を与えるべきで、最高裁の各大法廷判決はこの憲法原則である投票価値の平等ないし人口的要素を、下位法規で、かつ立法政策である非人口的要素の中に相対的に埋没させるものだと主張するが、これを争う。この主張は各大法廷判決及び国会の憲法上認められる裁量権の意味を正解しないものである。

前述のとおり、各大法廷判決は、投票価値の平等の要請を選挙制度の仕組みとの関連でとらえられるべきものであることを明らかにするとともに、議員定数配分に際し考慮すべき人口的要素と非人口的要素との間に、原告が指摘するような質的な差異があることを認めず、ただ、投票価値の平等の要請が最も重要かつ基本的な基準であることを確認して、これが国会の裁量権の行使につき、その合理的な限界を画するものとして働くことを明らかにし、憲法一四条と四三条、四七条との調整を図つたものであつて、これは現行憲法秩序に合致した正当な解釈であり、原告が批判するように憲法理念の冒とくを来すものではない。

以上のとおり、原告の主張は、投票価値の平等の要請のみを憲法上の要請であるととらえ、これを唯一絶対の原理とする誤つた憲法解釈に基づいたものといわざるを得ない。

また、各大法廷判決が、国会の裁量権に関して示した既述の解釈は、投票価値の平等の要請を十分に尊重しつつ、国民の利害や意見が公正かつ効果的に国政の運営に反映され、他方、政治における安定の要請をも考慮して選挙制度が定められるべきであるとする憲法上の他の要請との調和を図つた極めて正当な憲法解釈というべきであつて、六一年改正法の本件議員定数配分規定が国会の裁量権の合理的な行使として是認し得るものであり、本件選挙が無効とされる余地がない旨の被告の主張は、各大法廷判決の判旨に照らし当然に是認されるべきである。

(八) 国会附帯決議

(1) 昭和六一年改正法の成立にあたり、前示被告の二3本案の主張(四)(2)の経緯により原告の前示一3本案の主張(九)の衆議院本会議において国会附帯決議がなされたもので、その間に様々な観点から検討された定数是正について、暫定措置であるがゆえに違憲性の除去において不徹底であるとする原告の主張は今回の改正の経緯に照らしても著しく当を失したものである。

なお、原告は、昭和六〇年改正法を可決した際の衆議院本会議決議(国会附帯決議)を国会の公約と言い換えているが、同決議が決議以上の意味を持つとは考え難い。

(2) 右附帯決議後現在までの間に同決議に基づく抜本改正につき、次のような第一〇七回本会議における総理大臣の答弁がなされたほか、同国会の昭和六一年一〇月一七日公職選挙法改正に関する調査特別委員会において質疑が行なわれた。なお、衆議院本会議の決議に副つた抜本改正の検討については、各党間において進められるものと考えられ、政府としては、司法の場において具体的な見通しを述べる立場にない。また、抜本改正に関する昭和六一年一二月二九日の委員会については、開催を示す議事録がなく、昭和六二年五月二六日の委員会についてはいまだ議事録が作成されていない。

第一〇七国会昭和六一年九月一七日本会議における総理大臣の答弁

「定数是正の問題につきましては、第百四国会において、違憲とされた定数配分規定が改正され、これは、各党の御協力について心から感謝申し上げる次第でございますが、先の国会における定数是正は暫定措置でありまして、六十年国勢調査の確定人口の公表を待つて速やかに抜本改正を行なうと約束しておるところでございます。

衆議院の定数配分規定の抜本改正の内容をどういうふうにすべきかということは、これは選挙制度の根本にかかわる問題でありまして、各党におきまして十分御論議を願い、政府もその推移を見守りつつ検討してまいりたいと考えております。」

(九) 地方議会における定数是正の動向

都道府県議会における議員定数配分条例の改正状況及び較差の状況は四七都道府県のうち、較差二倍未満のもの一四、同二倍以上三倍未満のもの二一、同三以上四倍未満のもの九、同四倍以上五倍未満のもの三という分布状況になつている。

(一〇) 人口平等按分方式について

(1) 原告の前示一3本案の主張(一一)にいういわゆる人口平等按分方式のうち、同(一一)(1)の衆議院議員の歴史的考察について次のとおり認否する。

イ 大正一四年改正法、昭和二〇年改正法、昭和二五年公選法における議員配分の定め方は、各府県に議員を配当する段階においては、議員一人当たりの基準人数を定め、これに基づいて配当する方法が採られており、各府県に配分する段階では、形式的な人口数による配分が行なわれていたことを認める。

(2) 明治憲法時代における議員配分

原告の前示一3本案の主張(一一)(1)イの主張については、各改正法の選挙区制及び議員定数を認める、その余の認否とその主張の詳細は以下のとおりである。

〈1〉 明治二二年法に関する原告の前示一3本案の主張(一一)(1)イ〈1〉の主張のうち、

明治二二年衆議院選挙法における議員の配分は、各府県を基礎とし、人口(内務省調成の戸口調人口)一二万人に議員一人を配分するという割合で選挙区及び定数を定めていくという方法で行なわれ、その結果、議員総数が三〇〇名で議員一名について人口一三万一、二七四人となつたことを認めるが、その余は争う。

なお、原告は、「撰擧法樞密員會議筆記」の中の伊藤議長の最後の発言は人口比例原則ないしは一票一価の原則を明言したものにほかならない旨主張しているが、右発言は、質問内容と合わせて理解すると、原告主張の趣旨の発言とは解し得ない。

〈2〉 明治三三年改正法における議員配分は、市については人口三万以上一三万毎に一人、郡については人口一三万毎に一人として行なわれた。

〈3〉 明治三五年改正法における議員配分は、明治三三年改正法制定当時三万未満の市で、その後三万以上になつた九市と、選挙法制定当時は市でなかつたが、その後市制が施行されたもの二市が独立選挙区とされ、各議員一人が配当されるとともに、付近町村の合併により大きくなつた一市の議員定数が一人増加された。

〈4〉 大正八年改正法における議員配分は人口一三万について議員一人の割合をもつて、先ず府県に対する配当を定め、さらに、人口、郡の行政区画、地勢、交通等を標準として、なるべく一選挙区一人とする方針で行なわれた。また、人口三万以上の市はみな独立選挙区とされた。

〈5〉 大正一四年改正法における議員配分については、各府県について、人口一二万人につき議員一人を配当して行なわれた。

〈6〉 昭和二〇年改正法における議員配分については、人口一五万五、五六〇人につき議員一人を配当して行なわれた。

(3) 日本国憲法時代における議員配分

原告の前示一3本案の主張(一一)ロのうち各改正法の選挙区制及び議員定数は認める。

日本国憲法時代における議員定数配分の変遷に関する被告の主張は前示被告の二3の本案の主張(四)(1)(2)のとおりである。

なお、公職選挙法制定当時における議員定数の配分については次のとおりである。

公職選挙法の制定当時における同法別表第一は、衆議院議員選挙法の一部を改正する法律(昭和二二年法律第四三号)による改正後の衆議院議員選挙法(大正一四年法律第四七号)の別表の定めをそのまま維持したものであるが、右衆議院議員選挙法の一部を改正する法律案の制定経過は五八年判決が判示するとおりである(判例時報一〇九六号二二頁、二段目)。

右一部改正法律案の国会審議においては、中選挙区単期投票制及び議員定数配分規定の是非が論議されたが、後者については、提案者は「別表のいわゆる選挙区の決定にあたりましては、まず第一に人口というものを考慮いたしました。その次には地理的関係、すなわち地勢、あるいは風俗人情、すなわち歴史的関係、行政区画等を考慮いたしまして、そうして選挙区を決定いたしたのであります。」(小沢佐重喜発言)と述べているところである。すなわち、議員定数の配分に当たつては、まず人口総数を総議員定数四六六で除し、議員一人当たりの基準人口数として約一五万六、〇〇〇人を算出し、右基準人口数に基づき各県の議員数を算出し、さらに右各県の議員数を主に行政区画を中心として各選挙区に配分したものである。

なお、右議員定数配分の国会審議において、選挙権の平等という観点から論議がされた形跡はない。

(4) 憲法慣例

原告は前示一3本案の主張(一一)(2)(4)においていわゆる人口平等按分方式が明治二二年以来旧憲法の下で定着し、しかも新憲法下で継続されてこれが昭和三九年改正法前まで定着し、憲法慣例を形成していたと主張するが、このうち、大正一四年改正法、昭和二〇年改正法、昭和二五年公選法における議員配分の定め方は、各府県に議員を配当する段階においては、議員一人当たりの基準人口数を定め、これに基づいて配当する方法が採られており、各府県に配分する段階では、形式的な人口数による配分であつたことを認め、その余を否認する。

即ち、明治二二年の衆議院議員選挙法の立法以来昭和二五年の公選法成立までの間、原則として、人口を基礎とする定数配分がなされてきたとはいえ、そこに一定の方式性を発見することはできず、まして、原告の主張する人口平等按分方式といつたような一貫した方式が採られていたわけではない(例えば、明治三三年改正法によれば、人口三万人の市にも、人口二六万人未満の郡にも配分議員数は一人となり、いかなる意味でも人口平等按分方式とはいえない)から、人口平等按分方式なるものが明治二二年以来、原告の主張する継続性、平穏性、合理性、明確性、拘束性、非矛盾性をもつて行なわれてきたとの点を否認する。

原告のいう憲法慣例の意義は定かでないが、仮に、憲法慣例という語を法的拘束力を持つ憲法上の規範としての性質を有するものとして使用しているものとすれば、そもそも、成文憲法を有する我が国の法制上、憲法に規定のないことを、ある事実の積み重ねに習律を見出し、それに憲法上の法的拘束力を付与できるとは到底考えられず、原告の主張はこの点においても失当である。

(5) 人口較差の推移

大正一四年改正法以降の人口較差(最大)の推移は次のとおりである。

イ 各改正法の道府県間人口較差(最大値)の推移

大正一四年改正法 徳島県対宮崎県 一対一・一七(大正九年国勢調査人口による)

昭和二〇年改正法 鹿児島県対山梨県 一対一・二〇(昭和二〇年人口調査人口による)

昭和二二年及び昭和二五年各改正法 鳥取県対福井県 一対一・二五(昭和二一年人口調査人口による)

昭和三九年改正法 原告主張どおり(昭和三五年国勢調査人口による)

昭和五〇年改正法 右同(昭和四五年国勢調査人口による)

昭和六一年改正法 右同(昭和六〇年国勢調査の速報値の人口による)

ロ 大正一四年法の選挙区別最大較差

大正一四年改正法の人口較差

佐賀一区対秋田二区の一対一・四八(大正九年国勢調査人口による)

ハ 第二五回から第三〇回の各総選挙における各都道府県別人口較差

〈1〉 第二五回(昭和二七年一〇月一日実施)、第二六回(昭和二八年四月一九日実施)、第二七回(昭和三〇年二月二七日実施)各総選挙

鳥取県対東京都 一対一・五五(昭和二五年国勢調査人口による)

〈2〉 第二八回総選挙(昭和三三年五月二二日実施)

鳥取県対東京都 一対一・九四(昭和三〇年国勢調査人口による)

〈3〉 第二九回(昭和三五年一一月二〇日実施)、第三〇回(昭和三八年一一月二一日実施)各総選挙

鳥取県対東京都 一対二・三九(昭和三五年国勢調査人口による)

第三証拠〈省略〉

理由

第一本案前の判断

一  被告は前示事実摘示第二の二1本案前の答弁において、本件訴訟のような議員定数配分規定そのものの違憲、無効を理由とする選挙の効力に関するいわゆる定数訴訟は公選法二〇四条の予期しないものであつて、不適法な訴えとして却下すべきである旨主張し、公選法の「選挙訴訟」の法的意義と本件訴訟の公選法上の問題点を挙げて本件争訟の適法性を争つている。

なるほど現行公選法二〇四条の選挙の効力に関する訴訟は将来に向かつて形成的に無効とする訴訟として認められており、選挙無効の判決があつても、これによつては当該特定の選挙が将来に向かつて失効するだけで、他の選挙の効力には影響がないが、元来この訴訟は公選法の規定に違反して執行された選挙の効果を失わせ、改めて同法に基づく適法な再選挙を行なわせることを目的とするもので(同法一〇九条四号)、同法の下における適法な選挙の再実施の可能性を予定するものであるから、同法自体を改正しなければ適法に選挙を行なうことができないような場合を予期するものではなく、したがつて、右訴訟において議員定数配分規定そのものの違憲を理由として選挙の効力を争うことはできないのではないかとの疑いが生じないものでもない。

しかしながら、右訴訟は、現行法上選挙人が選挙の適否を争うことのできる一つの訴訟であり、これのほかには他に訴訟上公選法の違憲を主張して議員定数配分の是正を求める機会はないのである。およそ国民の基本的権利を侵害する国権行為に対しては、できるだけその是正、救済の途が開かれるべきであるという憲法上の要請に照らして考えるならば、前記公選法の規定が、その定める訴訟において、同法の議員定数配分規定が選挙権の平等に違反することを選挙無効の原因として主張することを殊更に排除する趣旨であるとすることはできない。

要するに本件定数訴訟は公選法二〇四条の訴訟形式をかりたもので、その実質は抗告訴訟ないし無名抗告訴訟として適法であつて、定数訴訟の手続・判決の内容は憲法によつて司法権にゆだねられた範囲において、右訴訟を認めた目的と必要に即して、裁判所がこれを定めることできるというべきである。

したがつて、いわゆる定数訴訟を手続法の欠缺の故に不適法であるという被告の本案前の主張は失当であつて採用できない。

二  ところで原告が昭和六一年七月六日に行なわれた衆議院議員選挙の大阪府第三区における選挙人であつたことは当事者間に争いがない。

原告は本件選挙区間の議員一人当りの人口比が最大一対二・九九、有権者比が、最大一対一・九二に及んでおり、これは、なんらの合理的根拠に基づかないで、住所(選挙区)のいかんにより一部の選挙人を不平等に取り扱つたものであるから憲法一四条一項等に違反するとして、本訴を公選法二〇四条に基づく選挙無効訴訟として提起したもので、本訴が同条所定の三〇日以内である昭和六一年八月二日に当裁判所に提起されたものであることは本件記録上明らかである。

よつて、本件訴えは適法であつて被告の本案前の抗弁は理由がない。

第二本案の判断

一  当事者に争いのない請求原因事実

請求原因1(一)の事実、即ち、原告が昭和六一年七月六日に行なわれた衆議院議員選挙の大阪府第三区における選挙人であること、同1(二)一段の事実、即ち、本件選挙は公選法について昭和六一年法律六七号により改正された衆議院議員定数配分規定にもとづき実施されたが、右規定による各選挙区間の議員一人当りの人口比が最大一(長野三区)対二・九九(神奈川四区)、有権者比が最大一対(長野三区)対二・九二(神奈川四区)にも及んでおり、長野三区と原告の選挙区とのそれも、一対二・二七に及んでいること、同1(三)項のうち、本件議員定数配分規定が本件総選挙直前に改正されたもので、昭和六〇年の国勢調査の速報値に基づくことは、いずれも当事者間に争いがない。

二  選挙権の平等と選挙制度

原告は請求原因1(二)の二段、(三)、(四)において、本件選挙は各選挙区間の議員一人当りの人口比において最大一対二・九九、有権者比において最大一対二・九二に及んでいるが、これはなんらの合理的根拠にもとづかないで住所(選挙区)のいかんにより、一部の選挙人を差別し、不平等に取り扱つたものであるとし、国民主権下の選挙では投票価値の平等の原則は選挙の公正をささえる根本基盤であつて、本件選挙は憲法一四条一項、同一五条一項、三項、同四四条に違反し、無効であると主張し、原告の本案前の反論2(一)、(二)においてこれを敷衍して投票価値の平等が右の憲法一四条一項などの要求するものであると論ずる。被告はこれを争い、その本案の主張3(一)において平等選挙制とは選挙人の投票数の平等を意味し、複数選挙制あるいは等級別選挙は排斥されるが、投票の結果価値の平等までも意味するものでない旨主張する。

さらに、原告はその本案の主張3(一)(4)、(二)において投票価値の平等は本来これに立法裁量を許さず形式的平等を貫くべきであるとし、被告は本案の主張3(二)において仮定的に、投票価値の平等は国会の他の政策目的や理由と調和的に実現されるべき国会の裁量権の問題であると主張する。そこで、まずこれらの点につき検討する。

(一)  投票価値の平等

憲法上、国政は、国民の厳粛な信託に基づき、国民の代表者が行なうものであり(前文一項)、国権の最高機関である国会は、全国民を代表する選挙された議員で組織する衆議院及び参議院で構成するものとされ(四一条、四二条、四三条一項)、国会の両議院の議員を選挙する権利は、国民固有の権利として成年である国民のすべてに保障され(一五条一項、三項)、選挙人資格については、人権、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産又は収入によつて差別してはならないと定められている(四四条但書)。

もともと選挙権は、国民の国政への参加の機会を保障する基本的権利として、議会制民主主義の根幹をなすものであり、現代民主主義国家では、一定の年令に達した国民のすべてに平等に与えられるのが一般であるが、このような選挙権の平等化の実現には長い苦難の歴史が記されている。平等は、自由と並んで、近代国家における基本的かつ窮極的な価値であり理念であつて、特に政治の分野において強く追求されてきたが、当初は国民が政治的価値において平等視されることがなく、基本的な政治権利ともいうべき選挙権についてさえ、種々の制限や差別が存在し、それが多年にわたる諸国民の努力と民主政治の発展の過程において次第に撤廃され、今日における平等化の実現をみるに至つたのである。国民の選挙権に関するわが憲法の規定もまた、後に述べるようにこのような歴史的発展の成果のあらわれにほかならない。

そして、右の歴史的発展を通じて一貫して追求されてきたものは、およそ選挙における投票という、国民の国政参加の最も基本的な側面において国民は完全に対等平等として同等視され、各自の身体的、精神的又は社会的条件に基づく属性の相違はすべて捨象すべきであるという理念である。このような平等原理の徹底した適用である選挙権の平等は、単に選挙人資格に対する制限の撤廃による選挙権の拡大を要求するにとどまらず、さらに、選挙権の内容の平等、換言すれば、各選挙人の投票の価値、即ち、各投票が選挙の結果に及ぼす影響力においても平等であることを要求し、各人の持つ一票は同一価値をもつこと、即ち一票一価、ないし一人一票の理想を追求せざるを得ないものとなる。すなわち、選挙権の行使により各一票を通しての意思表示は、他のすべての一票の意思表示と全く平等対等でなければならない。国民一人一人が自主的な独立の個人として、対等な人格をもち、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、国家、社会に対して共同の責任を負うことを前提として、わが国の憲法秩序は定礎されているのである。そして、あらゆる国会の会議の議決は多数決原理によつており、これまたその構成員の一人一人の人格が対等平等であることを当然の前提として成立つている。人格者の意思の重みはすべて一対一の価値をもつものであり、この原理は憲法上の制度の底流をなし一貫した妥当なものであると解せられる。

そして、このような選挙権の平等の性質からみれば、例えば、特定の範囲の選挙人に複数の投票権を与えたり、選挙人の間に納税額等による種別を設けその種別ごとに選挙人数と不均衡な割合の数の議員を選出させたりする、いわゆる複数選挙、等級選挙のような、殊更に投票の実質的価値を不平等にする選挙制度がこれに違反することは当然であるが、そのような場合のみならず、具体的な選挙制度において各選挙人の投票の価値に実質的な差異が生ずる場合にも、選挙権の平等の原則との関係が、常に問題とならざるを得なくなる。本件で問題とされている各選挙区における人口と選挙される議員との比率、ないし選挙人の数と選挙される議員の数との比率上、各選挙人が自己の選ぶ候補者に投じた一票がその者を議員として当選させるために寄与する効果に実質上大小、差異がある場合もまたその一場合であるといわねばならない。

憲法は、一四条一項において、すべて国民は法の下に平等であるとして一般的に平等の原理を宣明するとともに、政治の領域におけるその適用として、選挙権について前示のとおり一五条一項、三項、四四条但書の規定を置いている。これらの規定を彼此対照し、かつ一五条一項等の規定が既述のとおり選挙権の平等の原則の歴史的発展の成果を受けたものであることを考えるときは、憲法一四条一項所定の法の下の平等は、選挙権に関し、国民はすべて政治的価値において対等平等であるべきであるとの徹底した平等化の理念を志向するものであり、右一五条一項等の各規定の文言上は単に選挙人資格における差別の禁止が明定されているにすぎないけれども、それにとどまることなく、選挙権の内容、即ち各選挙人の投票の価値の平等もまた、憲法の要求するところであると考える。

以上これを要するに、選挙権の平等の原則は、単に選挙人の資格における投票数などによる右のような差別を禁止するにとどまらず、選挙権の内容の平等、即ち議員の選出における各選挙人の投票の有する価値の平等をも要求するものと解すべきであり、憲法一四条一項は国会を構成する衆議院及び参議院の議員を選挙する国民固有の権利につき、選挙人の資格における投票数などの差別の禁止にとどまらず(四四条但書)、選挙権の内容の平等、換言すれば、議員の選出における各選挙人の投票の有する影響力の平等、すなわち投票価値の平等をも要求するものといわなければならない。

これに反し、平等選挙制とは選挙人の投票数の平等を意味し、人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産、収入等により選挙人の投票数に差別を設けることを禁ずる制度であつて、これにより複数選挙制あるいは等級別選挙制は平等選挙制に抵触するものとして排斥されるが、それ以上に投票の結果価値の平等、即ち投票の選挙の結果に及ぼす影響力の平等までを意味するものでないとの被告の前示二3(一)(2)イの主張は失当であつてその理由がない。

(二)  選挙制度の仕組み

ところで、議会民主主義の下における選挙制度は、国民各自、各層のさまざまな利害や意見を公正かつ効果的に議会に反映させることを目的としつつ、他方、政治における安定の要請をも考慮しながら、各国の実情に即して決定されるべきものであり、そこには普遍的に妥当する一定、不変の絶対的形態が存するものではない。そして、日本国憲法は国会の両議院の議員を選挙する制度につき、議員の定数、選挙区、投票の方法その他選挙に関する事項は法律で定めるものとし(四三条二項、四七条)、両議院の議員の各選挙制度の仕組みの具体的決定を原則として国会の裁量にゆだねている。それ故、投票価値の平等は、憲法上、右選挙制度の決定のため最大限に尊重されるべき原則であることは後記のとおりであるが、そのための唯一、絶対の基準とされているわけではなく、原則として国会が正当に考慮できる他の政策的目的ないし理由との関連において調和的に実現すべきものといわねばならない。したがつて、投票価値の平等という憲法上の要求は、本来これに立法裁量を容れることを許さず形式的平等を貫徹すべきであるとの原告の主張は採用できない。

もつとも、このことは、被告の前示二3本案の主張(二)のように、平等選挙権の一要素としての投票価値の平等が、単に国会の裁量権の行使の際における考慮事項の一つであるにすぎずそれ以上に憲法上の要求としての意義と価値を有しないことを意味するものではない。投票価値の平等は、常にその絶対な形で実現を必要とするものではないけれども、国会がその裁量によつて決定した具体的な選挙制度において現実に投票価値に不平等が生じている場合には、それは、国会が正当に考慮することができる重要な政策目的ないしは理由に基づく結果として合理的に是認することができるものでなければならないのであつて、とくに後述のように選挙区の人口又は選挙人数と配分議員数との比率の平等が最も重要かつ基本的な基準とされる衆議院議員の選挙制度においては、投票価値の平等の要求は、その限りにおいて憲法上重大な意義と効果を有するのである。

したがつて、被告の前示主張は採用できない。

三  衆議院議員の定数配分規定の違憲性の判断基準

(一)  投票価値の平等と選挙制度との関連

およそ前示のような投票価値の平等は、本来各投票が選挙の結果に及ぼす影響力が数字的に完全に同一であること、即ち一人一票、一票一価の原則に従い「一対一」であることを理想とするものであるけれども、このような数字的に「一対一」の完全な絶対的平等までも憲法が要求しているものとはいえない。けだし、投票価値は、前示のとおり国会が裁量権を有する選挙制度の仕組みと密接に関連し、その仕組みのいかんにより、結果的に右のような「一対一」を理想とする投票の影響力に何程かの差異を生ずることがあるのを免れないからである。

(二)  衆議院議員定数配分と国会の裁量権

衆議院議員の選挙制度につき、公選法がその制定以来いわゆる中選挙区単記投票制を採用しているのは、候補者と地域住民との密接な関係を考慮し、また、原則として選挙人の多数の意思の反映を確保しながら、少数者の意思を代表する議員の選出をも可能ならしめようとする趣旨に出たものと考える。そして、このようにして選出された衆議院議員は、決して当該選挙区の選挙人から政治的委任を受けた者ではなく、全国民を代表する良識ある代議員として選出され、国会において有権者の単なる代理人としてではなく国民の厳粛な信託をうけた全国民の代表者として行動すべきものとされている。

このような制度の下において、選挙区割と議員定数の配分を決定するについては人口数又は選挙人数と配分議員定数との比率(なお、この点に関し後述するように、単に選挙人の投票価値の平等という狭い観点のみからは、選挙人数を基準とすべきものともいえるが、より根本的な代議制ないし代表の基礎の視点からは、後示(三)のとおり人口を基準とすべきものと考える。しかしたとえ選挙人数を基準とすべきものとしても、選挙人数と人口数とはおおむね比例するとみてよいから、人口数によることも許されるというべきである。したがつて、以下においてはとくに明示しないかぎり専ら人口数を基準として論ずることにする)の平等が最も重要かつ基本的な基準であるというべきである。しかしこの比率の平等のみを唯一、絶対の基準とするものではなく、それ以外にも考慮されるべきものとして、都道府県、市町村等の行政区画、地理的状況等の諸般の事情が存在するほか、人口の都市集中化現象等の社会情勢の変化を選挙区割や議員定数の配分にどのように反映させるかということも考慮されるべき要素となるのであつて、衆議院議員の選挙における選挙区割と議員定数の配分の決定には、複雑徴妙な政策的及び技術的考慮要素が含まれており、それらの諸要素のそれぞれをどのように、どれ程考慮して、具体的決定にどこまで反映させるかについて厳密に一定した客観的基準が存するものではない。それ故、議員定数配分の合憲性の判定は、結局、国会が具体的に定めたところに形式的な不平等があつたとしても、それがその裁量権の行使として合理性を是認しうるものであるか否かの検討によりなされるべきものである。

(三)  較差比率の基準(人口比か選挙人比か)

前示のとおり衆議院議員の選挙制度の下において選挙区割と議員定数の配分を決定するについて最も重要かつ基本的な要素とされる配分議員定数の均衡のいかんを測るべき較差の比率は、人口数を基準とすべきか、選挙人数によるべきかについて、原告はその本案の主張一3(一)(3)において、原告がときに有権者比率(選挙人比率)を用いるのは本訴が選挙権の平等を求める選挙人の訴訟であるからで、一般に投票価値を測る指標としては人口比率と有権者比率があるとして両者を併せて主張している。これに対し、被告(選挙管理委員会)はその本案の主張二3(六)(2)において現行の公職選挙法別表第一に「本表は、…直近に行われた國勢調査の結果によつて更正するの例とする」との規定、明治二二年以来の歴史や、数値の正確度の高さなどから国勢調査人口を基礎とするのが適当である旨主張している。

よつて検討するに、選挙人のもつ投票価値の平等という、限られた狭い観点から厳密な形式論理の正確さを求める限り、選挙人数比率を用いるべきことに傾くかもしれない。しかしながら、国政に国民の意思を反映させようとする代議政治の基礎ないし代表の基礎にあるのは国民全体、即ち人口であつて必ずしも有権者数ではない。換言すれば民意を反映すべき代議院又は代議政治はその代議員の代表の基礎を全国民、即ち人口に求める。人口に比例した代表が代議政治の基礎理念をなしているのである。国民の一人一人は、自主性をもつ独立した個人(人格的主体)として、国の人的要素を構成するもので、国家、社会に対し共同(連帯)の責任を負い、この個々の対等平等な国民の信託を受けた代表者(代議員)を通じて国政に参加する。したがつて代議員は選挙民(有権者団)の代理人ないし受任者ではなく、有権者はもちろん、これ以外の者をも含めた広く国民ぜんぶ(国籍保持者全体)の代表であることが求められてきたのである。このことはわが国において、立憲君主制で原理的には天皇の協賛機関にすぎないとされていた明治憲法下の衆議院でも、国民主権主義で唯一の立法機関である日本国憲法下の国会の一院である衆議院の各議員でも同じであつて、その間に全く異なつた性質のものがあるとはいえない。

即ち、明治憲法三五条は「衆議院ハ・・・公選セラレタル議員ヲ以テ組織ス」と定め、同憲法制定会議において配布された「憲法説明」の同条の項には「衆議院ノ議員ハ・・・廣ク全國人民ノ公撰スル所ヲ取ラントス。」「衆議院ノ議員ハ總テ皆、國ノ代議士タリ。・・・故ニ代議士ハ即チ國ノ人民ヲ代表スル者ナリ。而シテ其ノ所属選挙區ノ人民ノ為ニ一地方ノ委任使トナリ其ノ依嘱ヲ代行スル者ニハ非サルナリ。」との記述があり(甲第五四号証―五八二頁なお、成立に争いのない甲第六三、第六四、第六六、第六七号証参照)、当時の通説的見解をなしていたものであつて、このように「制限選挙」、「協賛機関」である明治憲法下の衆議院議員についても、これを選挙人(有権者)の代表ではなく国の人民ぜんぶの代表者であることが明らかにされていた。そして、明治二二年の衆議院議員選挙法制定過程において外国人法律顧問ロエスレルは「選挙人ノ割合ニ依ル」配分を主張したが(成立に争いのない甲第五二号証二四頁、第五三号証一〇九六頁、第五九号証一六頁)、議員は全国民の代表者であることなどからこれが採用されず、人口を基準とすることが成案となつた(成立に争いのない甲第三六号証の一、二参照)。

また、日本国憲法四三条一項は「両議院は、全國民を代表する選挙された議員でこれを組織する。」と規定し、国会議員が自己の選挙民はもとより有権者の代表ではなくして、有権者、非有権者を問わず全国民(全国籍保持者)の代表であることを明らかにしている。このようにして非有権者を含めた「國民みんな」の民意を反映させるための代議院ないし代議政治の基礎理念には人口に議員配分の基礎を求めることになるのである。そして、このことは前示のとおり立憲君主制下にあつた明治憲法時代においても、また国民主主権主義を採る日本国憲法下においても異なるところがないのであつて、衆議院議員の定数配分が人口比率を基準とすることは、被告(選挙管理委員会)が主張するとおり明治二二年の衆議院議員選挙法制定以来の長い伝統となつており、後示五(二)に説示するとおり、その一形態である府県単位・人口比例配分方式が憲法的習律を形成するまでに至つていたのである。

そして、後示五(二)イ〈1〉のとおり明治憲法制定会議の際に資料として配布された「参照」中の当時の世界各国条文には人口比例配分を示す明文規定が多く存在し(ポルトガル、ベルギー、オランダ、デンマーク、スペイン)、しかもこれらは立憲君主国であつた。

さらに、広く世界各国の憲法を通覧すると、〈1〉アメリカ合衆国憲法(一七八八年)「第一条第二節三項 下院議員・・・は、連邦に加入する各州の人口に比例して、各州の間に配分される。」、ソビエト憲法(一九三六年)「第三四条 同盟ソビエトは、人口三〇万につき代議員一人の基準で、選挙区ごとに、ソ同盟の市民によつて選挙される。」(ただし、現行法(一九七七年法)では削除)、イタリア憲法(一九四七年法―一九六三年二月九日の改正によるもの)「第五六条四項 〔衆議院議員の〕議席の選挙区への配分は、最近の國勢調査による・・・各選挙区の人口に比例して割当てることによつて行なわれる。」、ベルギー憲法(一八三一年法)「第四九条三項 選挙区間における代議院議員の配分は、人口に比例して、國王によつて行なわれる。」、スイス憲法(一八七四年法)「第七二条 衆議院はスイス國民の代表から成る。人口二万二千人毎に一人の議員が選ばれる。」、ブラジル憲法(一九四六年法)「第五八条 下院議員の定数は議員二十名までは人口十五万人につき一名、二十名をこえるときは人口二十五万につき一名を越えない割合で法律で定める。」、ギリシヤ憲法(一九六八年法)「第五七条一項 各選挙区の議員数は、最近の國勢調査にしたがい、人口に応じて、勅令により、これを定める。」、メキシコ憲法(一九一七年法)「第五二条 下院議員は・・・一般人口調査に基づき、住民一六万人ごとに、又は八万人をこえる端数の住民に対して一人とする。」など、すべて人口を基準として議員定数ないしその配分を定めるものとしていることが分かる。もつとも、唯一の例外ではないかとも考えられるイギリス法は定数配分基準を人口でなく有権者数によつているが、これはイギリスでは毎年一月と七月の二回、職権による戸別調査により正確な選挙人名簿が調整されるのでこれに準拠した方が実際的で現実の便宣だからであつて、人口準拠の原則を変更したものではないといわれている(成立に争いのない甲第一〇号証一七四頁、一七五頁)。

しかも、わが国では早やくも明治三五年の衆議院議員選挙法改正によつて、「本表ハ選挙区ノ人口ニ増減ヲ生スルモ少クトモ十ケ年間ハ之ヲ更正セス」の明文規定が設けられ、これが昭和二二年の同法改正まで存続し、次いで昭和二五年制定の公職選挙法別表第一の末尾に「本表はこの法律施行の日から五年ごとに、直近に行われた國勢調査の結果によつて更正するのを例とする」との規定が設けられて、これが現行法となつており、これらの明文規定はいずれも人口を基準にして議員定数配分を行なうことを前提としていることが明らかである。

以上のような観点からして議員定数配分基準ないし定数配分の際最も重要かつ基本的な要素とされる議員一人当りの配分比率は、人口に依拠すべきで、有権者数に準拠すべきものとはいえないと考える。そして、このように人口を基準として投票価値の平等をより正確にみると、一つの選挙区における一投票権が、人口何人に一人の割合による議員を選出する価値を有しているか、又他の選挙区における一投票権が人口何人に一人の割合による議員を選出する価値を有しているか、そして前者と後者の投票権の価値に較差はないかが当然問題となり、その平等が憲法上要請されているというべきである。

(四)  定数配分の違憲性の審査基準

(1) 較差の大小と違憲・合憲の推定

前示のとおり衆議院議員の定数配分における憲法上要請される投票価値の平等の原則は、これを踏まえた国会の選挙制度の仕組みなどに対する複雑微妙な政策的及び技術的考慮を含む裁量権の行使が合理性を是認し得る範囲内にとどまるか否かによりその違憲性が判定されるので、投票価値の平等の比率、即ち選挙区の人口と配分議員数との比率の数値的基準のみによつて機械的一義的に判定すべきものではないが、右の比率が最も重要かつ基本的な基準とされていることに鑑み、この比率の変動により裁判所が前示国会の裁量権行使が合理性の範囲の内か外かを審査するうえで、自らその合憲、違憲の推定、審査の基準も異なつてくると考える。

(2) 公選法制定当時の最大較差

そして、成立に争いのない甲第六、第七、第一一、第一八、第二〇号証、第二一ないし第二四号証、乙第一七号証、弁論の全趣旨に当事者間に争いのない事実を総合すると、後示五(二)(1)ロ〈7〉〈8〉にも認定するとおり、公選法の制定当時に議員定数配分を定めた同表別表第一は、大正一四年法律第四七号により制定された「衆議院議員選挙法の一部を改正する法律」(昭和二二年法律第四三号)による改正後の別表の定めをそのまま維持したものであること、右別表における選挙区割及び議員数は、昭和二一年四月実施の臨時統計調査に基づく人口を議員定数で除して得られる数、約一五万六、〇〇〇人に一人の議員を配分することとし(以下、この方式を「人口比例配分方式」ともいう)、その他に都道府県、市町村等の行政区画、地理、地形等の諸般の合理的事情が考慮されて定められたこと、及び右人口に基づく右制定当時の選挙区間における議員一人当りの人口較差は選挙区間で最大一対一・五一、都道府県間で一対一・二五(以下、較差に関する数値はすべて概数である)であつたことが認められる。

(3) 較差一対二未満の場合(合憲性の推定)

そして、この「一対一・五一」ないし「一対一・二五」の較差に止まるように定められた公選法制定当時の議員定数配分規定が憲法上国会に認められた裁量権の範囲を逸脱するものでないことは明らかである(最判昭和五八・一一・七民集三七巻九号一二四三頁、以下「昭和五八年判決」ともいう)。そしてこのように人口較差(選挙区間の較差を示す。以下同じ)が「一対二未満」の場合には、近代立憲主義憲法の下において必須とされる三権分立制度のもとで互いに独立の国家機関相互の抑制均衡の関係からも、また一人一票ないし一票一価の原則も実際上完全に貫徹できず技術的に端数切上げ処理の必要が生ずること、ある程度の非人口的要素の考慮(ないし考量)、あるいは立法裁量の持つ幅などを配慮すれば、その議員配分規定の合憲性が推定され、これが恣意的意図ないし差別的意図の下になされたものであつて立法目的が合理的でないことが立証されない限り憲法に違反するものとはいえず、裁判所の違憲性の審査も立法目的の合理性の有無の審査、即ち、いわゆる合理性の審査をもつて足るというべきである。

(4) 較差一対三以上の場合(違憲性の推定)

他方、選挙区間における議員一人当りの選挙人数の較差が最大一対三・九四に達していた昭和五五年六月施行の衆議院議員選挙における投票価値の不平等は、選挙区の人口又は選挙人数と配分議員数との比率が前示のとおり最も重要かつ基本的な基準とされる衆議院議員の選挙の制度の下で、国会において通常考慮し得る諸般の要素をしんしやくしてもなお、一般に合理性を有するものとは考えられない程度に達していたものというべきであり、このような不平等は、もはや国会の合理的裁量の限界を越えているものと推定され、これを正当化する特別の理由が示されない限り、憲法違反と判断せざるを得ないというのが最高裁判例の示すところである(昭和五八年判決、最判昭和六〇・七・一七民集三九巻五号一一〇〇頁―以下「昭和六〇年判決」ともいう)。当裁判所はこのように人口較差が「一対三」以上になるときは、もはや人口又は選挙人数と配分議員数との比率が最も重要かつ基本的な基準として、合理性を有する裁量権の行使が行なわれたものとは一般に考えられない程度に達するのであつて、この場合は違憲性が推定され、これを正当化すべき特別な理由があり、かつ、その特別な立法目的を達するのに他に選び得る、より較差の少ない制限的な手段がないことが立証されない限り、憲法に違反するものと判断すべきもので、裁判所はこのような厳格な審査が要請されるものと考える。

(5) 較差一対二以上、一対三未満の場合(中間的審査基準)

次に、最も難しい問題は人口較差が「一対二以上、一対三未満」の取扱いである。

この間の較差のある定数配分規定につき従来の最高裁判例をみると、昭和五〇年改正法による改正後の議員定数配分規定により従前の選挙区間における議員一人当りの人口較差が最大一対四・八三から一対二・九二に縮小した場合につき、「右改正の目的が専ら較差の是正を図ることにあつた」ことからすれば、右改正後の較差に示される選挙人の投票の価値の不平等は、「國会の合理的裁量の限界を超えるものと推定すべき程度に達しているものとはいえない」とし(昭和五八年判決)、前示4の「一対三」以上の較差がある場合のように、不平等が違憲性を推定しその正当化事由の厳格な審査を要求すべきものでないことを明らかにしている。そして、昭和五一年の最高裁大法廷判決は結果的に選挙区間の人口較差一対二・一九を残した昭和三九年改正法による議員定数配分規定に言及するに当り、同改正は「從来の衆議院議員の選挙における選挙区の人口数と議員定数との間に一部著しい不均衡が生じていたのを是正するために、新たに議員総数をふやし、これを適宜配分して選挙区別議員一人あたりの人口数の開きをほぼ二倍以下にとどめることを目的としたものである。」旨を説示し、その合憲性審査に、立法目的とその手段ないし結果の判定が必要なことを示唆している(最判昭五一・四・一四民集三〇巻三号二二三頁、以下「昭五一年判決」ともいう。)。

そして、昭和五八年の最高裁判決は前記「一対二・九二」の較差がある場合について、前示のとおり昭和五〇年改正法の「改正の目的が専ら較差の是正を図ることにあつた」ことを取上げ、その立法目的を考慮したうえ、この一対二・九二の較差がある場合に「他にこれを合理的でないと判定するに足る事情を見出すことができないこと」、「國会が公選法別表末尾の規定に從つて、直近の國勢調査の結果に基づいて改正を行なつたものであること」に照らし、「投票価値の不平等状態は、右改正によつて一応解消されたものと評価することができる」と判示している(昭和五八年判決、とくに民集三七巻九号一二六四頁、同六〇年判決、とくに民集三九巻五号一一二二頁で「(昭和五八年大法廷判決参照)」との引用をしていることに留意)。

ところでこのことは被告が前示二3本案の主張(三)においてその趣旨を述べているように、「一対三」以内ならつねに不平等状態ではなく(即ち、不平等状態は解消され)、合憲であるといつたものでないことは明らかであつて、前示のとおりそれは「一対三」を越えないから直ちに違憲性を推定すべきものではないこと、人口較差「一対二・九二」の改正規定が専ら従前の違憲性の強い推定を受ける程に甚しい「一対三」以上の較差の是正を図ることを目的としたものであること、他にこれを合理的でないと判定すべき事情がないこと、公選法別表末尾規定に従つた改正であることなどを挙げ、これらを要件として、その立法目的と立法の内容ないし手段の合理性を審査した上で、不平等状態が「一応解消された」と評価したものである。

このように昭和五一年、五八年、六〇年最高裁判決は、決して被告の右主張の趣旨のように、定数配分規定の合憲性の審査が単純に投票価値の平等の侵害の程度、即ち人口較差の数値的基準 三倍か、四倍か五倍か等とその是正に要する合理的期間の徒過のみによつて判定されてきたものではなく、とくに人口較差が「一対二以上、一対三未満」の範囲内のものについては、前示のとおり、改正法の立法目的の合理性と、その立法化された内容がこの立法目的に照らし合理性を有するかについても考慮していたことが解る。

したがつて、当裁判所は「一対二以上、一対三未満」の人口較差については、違憲であるとも合憲であるとも直ちに推定されるものではなく、不平等を疑わせる定数配分規定につき、その「〈1〉立法目的が合理的でかつそれが重要な公益上の必要性があること、〈2〉成立した法律がその手段、方法、措置としてその立法目的を達成するだけの実質的な関連性ないし実質的内容を具備していること、〈3〉その実質的な関連性、内容が不十分な場合には「これを合理的でないと判定するに足る事情を見出すことができないこと」(昭和五八年判決、とくに民集三七巻九号一二六四頁)が認められれば投票価値の不平等状態が一応解消したものというべきであつて、その限りにおいて合憲となるが、これらの立証がない場合は、特段の事情がない限り違憲と判断せざるを得ない。このように「一対二以上、一対三未満」の較差がある場合には、前示の「一対二未満」又は「一対三以上」の場合の審査基準と異なり、いわばその中間に位いし、前示〈1〉ないし〈3〉の要件の審査を要する中間的審査基準ないし厳格な合理性の基準(以下「中間的審査基準」という)により違憲性の審査をすべきものと考える。

したがつてこの中間的審査基準による領域は、審査の結果違憲とされることも合憲とされることもあり得る、いわば中間的領域であつて、浮動的な状態にあるので、可及的に「一対二」以内に人口較差を抑えた衆議院議員配分規定の立法がより安定的で良策であるといえるであろう。

四  本件改正法の立法経過及び国会付帯決議と問題点

(一)  公職選挙法制定後の議員定数配分規定の改正経過

(1) 昭和二二年公選法制定当時の選挙区割及び議員数は前認定三(四)2及び後示認定五(二)(1)のとおり、昭和二一年四月実施の臨時統計調査による人口を議員定数で除して得られる数、約一五万六、〇〇〇人に一人の議員を配分するという人口比例配分方式を基本として定められ、人口較差は選挙区間で最大一対一・五一となつていたところ、昭和二五年法でも右同様の人口比例配分方式が基本とされ、昭和二八年には奄美群島の復帰に伴い同地域に一人の議員を配分し、昭和四五年には沖縄の本邦復帰に伴つて沖縄全県一区に五人の議員を配分する改正がなされたが、その間の昭和三九年(同年法律第一三二号)及び同五〇年(同年法律第六三号)には、選挙区間における議員一人当りの人口につき生じた較差の是正を目的として一部の選挙区につき議員数の増加及びこれに伴う選挙区の分割が行なわれたところ、昭和三九年改正法では直近の昭和三五年実施の国勢調査による人口に基づく選挙区間における議員一人当りの人口較差が最大一対三・二一にも及んでいたのを是正するため、右改正前の衆議院議員の定数四六七人に一九人を増員して改正の結果右人口較差が最大一対二・一九に縮小した。また、昭和五〇年改正法では直近の同四五年実施の国勢調査による人口に基づく選挙区間における議員一人当りの人口の較差が最大一対四・八三にも及んでいたのを是正するため、右改正前の衆議院議員の定数四九一人に二〇人を増員してこれを議員一人当りの人口の著しく多い一一の選挙区に配分したり、一部の選挙区を分割することにして、改正の結果、前記国勢調査による人口を基準とする右較差は最大一対二・九二に縮小することとなつた。ところが、その後の人口移動により再び較差は拡大し、昭和五〇年実施の国勢調査による人口較差は最大一対三・七二となり、昭和五五年実施の国勢調査による人口較差は最大一対四・五四、昭和五八年一二月一八日施行総選挙時の有権者較差(選挙人数比)は最大一対四・四〇にも達していた。

(2) この間、昭和五八年判決で昭和五五年施行の総選挙における有権者較差(選挙人の較差)が最大一対三・九四にまで拡大したことにつき「選挙区間における本件選挙当時の投票価値の較差は憲法の選挙権の平等の要求に反する程度に至つていた」と説示し、ついで昭和六〇年判決は昭和五八年施行の総選挙の有権者較差が最大一対四・四〇に拡大するに至つたことにつき、「本件選挙当時において選挙区間に存した投票価値の不平等状態は、憲法の選挙権の平等の要求に反する程度に至つていたものというべきである」とし、「本件議員定数配分規定は、本件選挙当時、憲法の選挙権の平等の要求に反し、違憲と断定するほかない」とし、補足意見として次選挙においては選挙無効ないしは選挙無効の効果は一定期間後に発生するという内容のいわゆる将来無効の判決もできないわけではないとの厳しい補足意見が付せられた。

(3) このような最高裁大法廷判決を受けて、立法府において定数是正が一層の急務となり、第一〇三回国会の会期末にあたる昭和六〇年一二月一九日衆議院議長は、各党々首との会談をもち、次のような議長見解を示して、各党首(共産党を除く)の合意を得た。すなわち、

「一、会期もあとわずかになつた現在、定数是正法案の審議が、委員会およびそれぞれの機関の精力的な協議にもかかわらず未だに決着をみていないことは、誠に遺憾である。

二、そもそも最高裁の判決があつた以上、立法府として違憲状態を一日も早く解消すべき重大な責任を負つていることは申すまでもない。議長として、もとより衆議院の代表者としてその責任を痛感している。

三、しかし、現在のところ現実には残りの会期中に決着をつけることは不可能である。従つて、あくまでも立法府の責任を果たすため、昭和六十年度国勢調査の速報値に基づき、来る通常国会において、次の原則に基づき、速やかに成立を期するものとする。

〈1〉  現行の議員総数(五百十一名)は変更しないものとすること。

〈2〉  選挙区間議員一人当たり人口の格着は一対三以内とすること。

〈3〉  小選挙区制はとらないものとすること。

〈4〉  昭和六十年国勢調査の確定値が公表された段階において、速報値に基づく定数是正措置の見直しをし、さらに抜本的改正を図ることとする。

四、これに対する立法府の決意表明の措置を講ずる。なお、選挙区制の問題についてはこれまでの与野党間の議論をふまえて、各党が、合意を得られるよう努力を願います。

以上であります。」

このような議長見解をうけて、調査特別委員会は翌二〇日、次国会で早急に定数是正を実現すべき旨の決議を行ない、同日衆議院本会議において、

「衆議院議員の現行選挙区別定数配分規定については最高裁判所におて違憲と判断され、その早急な是正が強く求められている。

本件は、民主政治の基本にかかる問題であり、立法府としてその責任の重大性を深く認識しているところである。

本院は、前国会以来、定数是正法案について精力的に審査を進めてきたが、諸般の事情により、いまだその議了を見るに至つていない。

本問題の重要性と緊急性にかんがみ、次期国会において速やかに選挙区別定数是正の実現を期するものとする。

右決議する。」

との決議がなされた。

(4) 次の第一〇四国会では昭和六〇年一二月二四日の召集日に発表された国勢調査の要計表(速報値)人口により人口較差の最大が「一対五・一二」と拡大しますます定数是正が急務となつた。

そこで、衆議院議長は各党の意見を聴取して、昭和六一年五月八日、「抜本改正の際二人区の解消と共に総定数の見直しを必ず行なう。本法の施行に際しては、有権者の立場を尊重して周知期間を置く」などを骨子とする被告の前示二3の本案の主張(四)(2)ホ記載の議長調停を示した。

(5) 同年(昭和六一年)五月一六日調査特別委員会提出の法律案として昭和六一年改正法の法律案が提出され、同月二一日衆議院本会議で賛成多数により可決されたが、同本会議で今回の是正は当面の暫定措置であり、昭和六〇年国勢調査の確定人口の公表をまつて抜本改正の検討を行なうものであるとして、後記(二)のとおりの附帯決議がなされた。

(6) 参議院において同月二二日の国会最終日夜開催された本会議で可決され、昭和六一年改正法が成立した。

(7) このようにして成立した昭和六一年改正法(以下この改正法を、「本件改正法」ともいう。)の内容は後示五(二)(1)ロ〈13〉のとおりである。

(二) 本件改正法の暫定性と国会附帯決議

前認定のとおり昭和六一年改正法が同年五月二一日衆議院で可決された際、次のような「衆議院議員の定数是正に関する附帯決議」が採択された。

「選挙権の平等の確保は議会制民主政治の基本であり、選挙区別議員定数の適正な配分については、憲法の精神に則り常に配慮されなければならない。

今回の衆議院議員の定数是正は、違憲とされた現行規定を早急に改正するための暫定措置であり、昭和六十年国勢調査の確定人口の公表をまつて、速やかにその抜本改正の検討を行うものとする。

抜本改正に際しては、二人区・六人区の解消並びに議員総定数及び選挙区画の見直しを行い、併せて、過疎・過密等地域の実情に配慮した定数配分を期するものとする。

右決議する。」

このように、本件国会附帯決議は、単なる委員会決議の本会議への報告ないし承認とはおよそその意義を異にし、国会、なかんずく衆議院自らが主権者たる国民に向つて、本件改正法はあくまでも、暫定的な定数是正として行なうものにすぎず、本決議後約半年後の昭和六十年末に公表される国勢調査の確定人口をまつてこれに基く抜本改正の検討を行なう(すなわち、それが公選法別表末尾の「本表は、この法律施行の日から五年毎に、直近に行われた国勢調査の結果によつて更正するのを例とする。」との国勢調査人口とそれによる更正を指すことはいうまでもない)ことを宣言したものであり、特に数次に亘る直前の最高裁大法廷の違憲判決をうけ緊急措置としての暫定是正と迅速な抜本改正(主要な改正点と配慮事項を特記した上)の検討、実施をあわせ一体として行なうことを国会附帯決議として銘記したものである。

(三) 本件改正法における人口較差

右の経緯により成立した昭和六一年改正法(以下、同改正法は改正の結果生じた議員定数配分規定全体をも指す)において生じた人口較差は昭和六〇年一〇月実施の国勢調査の要計表(速報値)人口に基づく選挙区間で最大一対二・九九であり、本件選挙当時有権者較差が最大一対二・九二であつた。

右(一)ないし(三)の事実は、そのうち(一)(1)、(二)は当事者間に争いがなく、(一)(2)ないし(7)は弁論の全趣旨によりこれを認めることができる。

なお昭和六二年三月三一日時点での住民基本台帳人口ではすでに一対三・〇八(長崎三区の五七万二、〇五二名の人口に対し神奈川四区人口一七六万〇、三九三名)の最大人口較差に達していることは、当事者間に争いがない。

(四) 違憲性審査の問題点

このように昭和六一年改正法による改正後の議員定数配分規定の下においては直近の同年一〇月実施の国勢調査の要計表(速報値)人口による選挙区間における議員一人当りの人口較差が最大一対五・一二から一対二・九九に縮小することとなつたのであり、右改正の目的が前認定(二)の国会附帯決議などにも示されるとおりひと先ず著しい較差の是正を図ることにあつたことからみれば、右改正後の較差に示される選挙人の投票の価値の不平等は前示三(四)において説示した観点からして、較差一対三以上に認められる国会の合理的裁量の限界を越え違憲であると推定され、厳格な審査を必要とすべき程度に達しているものとはいえないが、といつて右の較差が「一対二」未満の場合に認められる合憲性の推定を受け、合理性の審査で足るものといえないことも明らかである。

したがつて、前記昭和六〇年判決により違憲と判断され、昭和六一年改正法による改正前の議員定数配分規定の下における、国会の合理的裁量の限界を超えているものと推定すべき投票価値の著しい不平等状態は、右改正によつて一応脱却したものということができるが、なお一対三に限りなく近い一対二・九九という人口較差を残しているのであつて、このことから直ちに右昭和六一年改正法による改正による議員定数配分規定を合憲であると断定したり、又強度に合憲性を推定することはできない。

けだし、右改正により生じた較差の示す選挙人の投票価値の不平等の合憲性は、前示三(四)(5)のとおり改正法の〈1〉立法目的が合理的であり、かつそれに重要な公益上の必要性があること、〈2〉成立した法律が立法目的達成のための手段、措置、方法として実質的な関連性をもち、それに副う実質的内容を具備していることが認められるか否か、〈3〉それが十分でない場合これを「他に合理的でないと判定するに足る事情」を見出すことができないかどうかという、中間的審査基準による厳格な合理性の審査を経て判断すべきものだからである。

そこで、以下これらの点につき項を改めて順次検討していく。

五  本件改正法の立法目的の合理性と重要性

(一)  立法目的の合理性

(1) 前認定四(一)の議員定数配分規定の立法経過、とくに同(一)の(3)ないし(6)、同(二)の事実を併せ考えると、本件改正法の立法目的は同改正前の昭和五八年施行の総選挙の有権者較差が一対四・四〇であつたことにつき昭和六〇年大法廷判決で「投票価値の不平等状態は、憲法の選挙権の平等の要求に反する程度に至つていた」もので議員配分規定は「違憲と断定するほかない」と判断されたことを承けて、「その早急な是正が強く求められている」、「本問題の重要性と緊急性にかんがみ速やかに定数是正の実現を期する」とし、あくまでもこの改正法による是正は暫定措置であり、昭和六〇年国勢調査の確定人口の公表をまつて抜本改正の検討を行なうものとして、前示のとおり昭和六一年五月二一日右改正法が衆議院で可決されるに際し立法府である衆議院自身が附帯決議をもつて、「選挙権の平等の確保は議会制民主政治の基本であり、選挙区別議員定数の適正な配分については、憲法の精神に則り常に配慮されなければならない。今回の衆議院議員の定数是正は、違憲とされた現行規定を早急に改正するための暫定措置であり、昭和六十年国勢調査の確定人口の公表をまつて、速やかにその抜本改正の検討を行うものとする。」との決議を行なつている。

ところで、右国会附帯決議はその末尾において、「抜本改正の検討を行う」と巧みな表現を用いており、これは抜本改正の「検討」さえ行なえば足り、抜本改正を行うことを決議したものではないという余地を残したものともみられなくもないが、そもそも抜本改正を目的としない「検討」を形式的に行なうことは無意味であり、同附帯決議の全文からもそのような決議がなされたものとは到底いえないし、前認定四(一)(二)の昭和六一年改正法の成立経過に照らしこの附帯決議は同改正法が暫定措置であり昭和六十年国勢調査の確定人口の公表をまつて速やかに抜本改正を行なうものとし、当然そのための検討が迅速に行なわれることを公けに宣言したものと解すべきであり、他にこれを動かすに足る証拠がない。

そしてこのことは、右国会附帯決議後の昭和六一年九月一七日の第一〇七回国会冒頭の施政方針演説として、衆議院本会議において後示六(二)認定のとおり内閣総理大臣が「先の国会における定数是正は暫定措置でありまして、六十年国勢調査の確定人口の公表を待つて速やかに抜法改正を行なうと約束しておるところでございます。」と答弁していることからも明らかであつて、前示国会附帯決議が正真正銘、抜本改正を行なうことをいうものであつて、その検討のみを行なえば足るというものでないことは明らかである。

(2) このように昭和六一年改正法の立法目的は専ら昭和五八年、昭和六〇年各大法廷判決により、前示のとおり国会の合理的裁量の限界を超え違憲であると推定される程度に達していると判定された投票価値の著しい不平等を緊急に抜本改正までの間暫定的に是正を行なおうとするものであつたことが認められる。

そして、この較差の緊急・暫定是正という立法目的(立法の動機と意図)自体は一応合理的でかつそれが重要な公益上の必要に基づくものとみられるが(なお、「緊急暫定性」という「重要な公益上の必要性」については後に詳しく説示する)、前認定のとおり是正の結果はなお一対三・〇〇に限りなく近い人口較差の最大値一対二・九九を残しているのであつて、これのみによつては前示のとおり違憲状態にあるとされた従前の議員定数配分規定の下における投票価値の不平等状態が完全に解消され、直ちに合憲性が強度に推定される程度に復帰したものとまではいえない。

したがつて、本件改正法の内容はその目的である著しい人口較差の是正の目的を達成するだけの実質的な関連性、ないし実質的内容が不十分であるといわざるを得ないから、前示三(四)定数配分の違憲性の審査基準の(5)中間的審査基準〈3〉に照らし、これが「合理的でないと判定するに足る事情を見出すことができないこと」がその合憲性の要件となるのである(昭和五八年判決、とくに民集三七巻九号一二六四頁)。

ところで、原告は次頁において詳説するように府県単位・人口比例配分方式が明治二二年の衆議院議員選挙法制定以来昭和三九年改正法制定前まで憲法律、憲法慣例として定着しており、これに悖る昭和六一年改正法は違憲であると主張しているが、これは前示中間的審査基準〈3〉にいう「他の合理的でないと判定するに足る事情」の存在を主張するものとも解しうるところ、定数訴訟の唯一の事実審裁判所として事実確定の権限と職責を有する当裁判所は次頁において証拠に基づき広汎な立法事実にも亘る立法の沿革、経過などを慎重に検討して認定しこれを判断することとする。

そして、この点は次項に詳論するとおりであるが、府県単位・人口比例配分方式が投票価値の平等を最も重要かつ基本的な要素として定められるべき議員定数配分規定の合理的な決定基準として憲法的習律を形成していたことが認められるとすれば、これに照らし、立法裁量に当りより重要で多様な諸要素との調和において、このような合理的な憲法的習律に代るより合理的な定数配分決定基準を別に定めたとか、選挙制度の仕組みに合理的な変更を加えるとかした結果、本件改正法が残す人口較差一対二・九九という投票価値の不平等が生じたという事実が認められない限り、右憲法的習律に基づかずになされた本件改正法には、前示の中間的審査基準の要件の一つである「他の合理的でないと判定するに足る事情」を見出しうるから、特段の事情のない限り違憲であるといわざるを得ない。

しかしながら、昭和六一年改正法は前示のとおり従前の著しい人口較差の是正ということばかりでなく、これを緊急かつ暫定的に是正するという目的をもつているが、これは後にも説示するように極めて重要な公益上の必要性を有している。

そして、立法府の一院である衆議院自体が前示衆議院附帯決議によつてこの議員配分規定が抜本改正までの緊急の暫定措置であることを明示しているところでもあるので、昭和六一年改正法はその内容がこの著しい人口較差是正という重要な公益上の必要のための緊急暫定措置、即ち、抜本改正までのつなぎとしての緊急の暫定措置をとるという立法目的を達成するための手段等としての実質的関連性を有し、それに副う実質的内容を具備している場合に限り、前示のとおり、憲法的習律である府県単位・人口比例配分方式を離れ、しかも最大一対二・二九九という少なからぬ人口較差を残す本件改正法を違憲としない「特段の事由」があり、この場合にのみ合憲性を肯認し得るのである。

したがつて、以下において府県単位・人口比例配分方式、昭和六一年改正法の緊急暫定性の具備を順次検討していく。

(二)  府県単位・人口比例配分方式

原告は本案の主張一3(一一)においてわが国の衆議院議員選挙法において明治憲法下にある明治二二年の同法制定当初から日本国憲法下の昭和三九年にいたるまでの七五年間に亘り、衆議院議員の選挙制度の仕組みをめぐり、議員定数の変遷をはじめ幾多の投票方法の変遷や、大・中・小選挙区制など選挙区制も振子のような目まぐるしい変遷を経てきたにもかかわらず、議員定数の配分基準だけはほぼ原則的に人口比例にもとづく人口平等按分方式(即ち後示五(二)(1)イ〈1〉の府県単位・人口比例配分方式)がとられてきており、これが憲法慣例を形成している旨を主張し、被告は本案の主張二3(一〇)において大正一四年改正法、昭和二〇年改正法、昭和二五年公職選挙法(以上の「何年法」とか「何年改正法」とはそれぞれの法、改正法による衆議院議員配分規定をも指す。以下同じ)における議員配分の定め方は、各府県に議員を配当する段階において、議員一人当りの基準人口数を定め、これに基づいて配当する方法が採られており、各府県に配分する段階では、形式的な人口数による配分が行なわれていたことを認めるが、明治二二年法以来昭和二五年法までの間に議員定数配分に一定の方式性を発見できず、原告主張の人口平等按分方式というような一貫した方式が採られていたわけではないと主張してこれを争うので、以下明治二二年以来の衆議院議員各選挙法の改正経過により一定の人口比例配分方式が採られていたか否か、そして、それが原告主張の憲法慣例その他何らかの法的効力を持つか否かにつき検討する。

(1) 衆議院議員選挙法、公職選挙法の歴史的考察

前示被告が認める当事者間に争いのない事実、成立に争いのない甲第六、第九、第一〇、第一一、第一四、第一五、第一六、第一八、第二〇、第二二、第二三、第二四、第二六、第二九、第三一、第三二号証、第三六号証の一、二、第三七ないし第四〇号証、第五一、第五二、第五四号証、乙第一ないし第五、第七、第一〇ないし第一三号証、乙第一七、第一八、第二五ないし第二七号証、検甲第一号証、弁論の全趣旨を総合すると、以下の各事実を認めることができ、他にこの認定を覆すに足る証拠がない。

イ 明治憲法(大日本帝國憲法)時代

〈1〉 明治二二年衆議院議員選挙法

明治憲法三五条は、「衆議院ハ公選セラレタル議員ヲ以テ組織ス」と規定したが、公選の方法は法律に委ねていた。この点立法者の意図につき伊藤博文著「憲法義解」では、「蓋選挙ノ方法ハ時宜ノ必要ヲ將来ニ見ルニ從ヒ之ヲ補修スルノ便ヲ取ルコトアラムトス故ニ憲法ハ其ノ細節ニ渉ルコトヲ欲セザルナリ」と説明されている。選挙法における議員の配分基準については当初外国人法律顧問ロエスレルは人口ではなく選挙人数によるべしと主張したが、議員は有権者を代表するものでなく、広く国民を代表するものであることを根拠として、人口に比例して定められるべきことが決められた(前示三(三)参照)。

そして、明治二二年衆議院議員選挙法制定当時の議員配分方式の内容をみると、枢密院の審議録中に「附録に十二万人に一人の割合」と記されており(甲第一八号証、二一〇頁)、明治政史にも「毎府県其人口の十二万人に付一人の割合となしたるもの」と記載されている(甲第三七号証二、四四〇頁)。即ち、まず「撰擧法樞密院會議筆記」(國立國会図書館蔵伊東巳代治文書―太政官大書記官・伯爵伊東巳代治保管文書で第二次大戦後國立図書館が所蔵)(甲第三六号証)によると、明治二一年一一月二六日、開会された第一読会では「聖上臨御」(明治天皇御臨席)の下、議長伊藤博文以下、各大臣、副議長、顧問官、報告員、書記官等が出席して開かれ、第一条の選挙区と定員の問題につき次のような審議が行なわれた。

「議長…選挙法ノ第一読會ヲ開クヘシ元来此ノ法案ニ属スル一編ノ…附録ナルモノハ各府縣ノ選挙区劃ヲ示スモノニテ其ノ組織ハ行政区劃ト各地ノ人口ノ多寡トヲ標準トシテ編成シタルモノナリ」とあり、さらに「議長…成ルヘク行政區畫ニ據リ又一方ニハ人口ノ多少ヲ標準トス而シテ選挙ノ単位ハ府縣トス府縣ヨリ選挙スル議員ノ数ヲ基礎トシ之ヲ其ノ府縣内ノ行政區ニ人口ニ據テ配當シ選挙区ヲ造ル」とされている。

次に第二読会において、

「報告員(金子) 府縣ヲ基礎トシテ其ノ人口十二萬ニ付キ議員一人ヲ出スノ割合ヲ以テ府縣議員ノ総数ヲ定メ其ノ数ヲ各郡區ニ配當シ選挙區ヲ作ルナリ」とある。

さらに、第三読会(同二一年一二月一七日開催)において

「十五番(森) 附録ニ十二萬人ニ付一人ノ割合云々トアリ後来其人口ニ増減生シタルトキハ如何スヘキヤ」

「議長 人口ハ議員ノ数ノ基礎ニアラス只立法者カ起草ノ際之ヲ目安ニ取リタルノミ故ニ些少ノ変動ニ依テ議員ノ定員ノ変更スルコトナシ若シ将来人口大ヒニ増殖シ議員ノ定員トノ間ニ不権衡ヲ生セハ法律ヲ改メサルヘカラス」

この伊藤博文議長の答弁にいう「人口」とは人口一般を指すのではなく、議員一人を出す「基準人口」である人口一二万人を指し、これに些少の変動が生じても議員定数を変更することはないが、人口増加が著しく将来この基準人口数(一二万人)と議員定数との間に不権衡を生じたときは法律を改正しなければならない、との趣旨の答弁であると解される。

また、このことは明治政史(甲第三七号証)にも当時の内務省縣治局長末松謙澄の調査記録として「毎府縣其人口の十二萬に付き一人の割合となしたるものなるが…各撰擧區の人口は互に多少の差異あり又府縣別各區平均の人口を彼此比較するときは是亦多少の差異あるを免れず」との記載によつても窺知できる。

なお、明治憲法制定会議の際の資料として関係者に配付された「憲法説明」及び「参照」、とくにその「参照」中の当時の世界各国憲法条文には人口比例配分を示すものが多い(甲第五四号証)。例えば「葡(葡萄牙―ポルトガル)第一九条 選挙法ハ左ノ条件ヲ規定スヘシ 第一 選挙ノ程式及王國ノ人口ニ比例スル代議士ノ数」、「白(白耳義―ベルギー)第四九条 選挙法ハ人口ニ從テ代議士ノ数ヲ定ム此ノ数ハ人口四萬ニ付一員ヲ越ルコトヲ得ス」、「荷(荷蘭―オランダ)第七十七条 第二院ノ数ハ人口四萬五千ニ付一員ノ比例ヲ以テ之ヲ定ム」、「丁(丁抹―デンマーク)第三十二条 代議士院代議士ノ数ハ凡ソ人口一萬六千ニ付一員ノ比例トス」、「西(西班牙―スペイン)第二十七条 代議士院ハ…但シ人口五萬ニ付少クトモ代議士一名ヲ出スヘシ」等がこれである。

前記明治二二年法制定当時の人口基準は、結果的に全国人口三、九三八万二、二〇〇人を議員三〇〇人で割り、議員一人について人口一三万一、二七四人となつた。そして、議員配分方式は一三万一、二七四人につき議員一人を配分するという割合で、まず府県の総人口(内務省調成の戸口調人口)に割り当てられ、これを受けて府県内でさらに一人区または二人区に配分された。このように第一次的に各府県人口に人口比例方式による議員定数を割り当て、さらにこれを各選挙区内にその人口比を基本としつつ行政区画、地理、地形等の諸般の事情をも考慮して割当るという方式(以下、これを総称して「府県単位・人口比例配分方式」ともいう)が明治二二年衆議院議員選挙法制定当時から始まつた。

この方式による議員配分の結果、明治二一年一二月三一日付内務省調成の最近の戸口調べに係る甲表によれば、議員一人当りの平均人口の最大較差は山梨県の一四万八、三九四人と長崎県の一〇万七、四八六人との間の一対一・三八倍であつた。しかし、この程度の較差は行政区画の境界が「恰も十二萬の箇所に杓子定規にて新線を劃し得へきものにあらさる)(甲第三七号証、二四四一頁)により生じた計算上の誤差に過ぎない。

もつとも、人口約一三万一、二七四人につき議員一人の割合といつても、選挙権は地租に有利な直接国税(所得税を含む)一五円以上の納税者に限るいわゆる制限選挙であつた。そして、有権者が極めて少数であつたため立法過程では「納税資格に応ずる者、人口十万毎に千人の割合に充たざるときは、その資格を低減して、その割合に充たしめることを得」との条項の立法も考えられたが、現実の計算上このような事態が生じなかつたので成文化されなかつた。

そして明治二三年の選挙における全国平均では一、五〇二人の有権者に議員一人の割合であつた。

(まとめ)

以上の明治二二年法の議員定数等は次のとおりである(なお、以下必要に応じ(まとめ)としての要約を付する。)。

〈イ〉議員定数三〇〇。

〈ロ〉郡区(区はほぼ現在の市にあたる)の小選挙区制。

〈ハ〉議員配分基準 人口一三万一、二七四人につき議員一人の割合。

〈ニ〉選挙資格 年令二五才以上の男子で国税一五円以上、一年以上の居住が要件。

なお、以上のうち、各府県を基礎として「人口一二万人」を目安にして議員一人を配分する方式で選挙区、定数をきめていく方法がとられ、その結果が右の〈イ〉〈ハ〉となつたことは当事者間に争いがない。

〈2〉 明治三三年改正法

従前の原則的小選挙区制に代えて、新たに大選挙区、都市独立選挙区、単記投票制による法改正が成立した。

なお、明治三三年改正法審議につき貴・衆両院間に紛糾が生じ、結局、両院協議会の成案が改正法として可決されたが、この際星亨両院協議会議長の「折合上、郡市通ジテ十三万ト云フコトニ議ガ纒リマシタノデアル」旨を基調とした詳細な選挙区別の人口をめぐる論議が提案理由説明として報告されている。

(まとめ)

〈イ〉議員定数三六九。

〈ロ〉府県単位の大選挙区と人口三万人以上の市部からなる独立選挙区とを併用(なお、独立選挙区制と府県単位・人口比例配分方式との関係は後に別記して論ずる)。

〈ハ〉議員配分の基準 府県は一三万人につき議員一人。市部(独立選挙区)は人口三万人以上一三万人毎に議員一人。

〈ニ〉納税要件一〇円に引下げ。

〈3〉 明治三五年改正法

人口増加と新市制施行に伴い、選挙区と議員定数に手直し改正をした。

議員定数三八一(一二人増員)。なお、増員抑制のため、「本表ハ選挙区ノ人口ニ増減ヲ生スルモ少クトモ十ケ年間ハ之ヲ更正セス」との規定を新設。

なお、議員定数(増員数)については当事者間に争いがない。

〈4〉 大正八年改正法

〈イ〉議員定数四六四。

〈ロ〉郡部の小選挙区制に復帰、これと市部の独立選挙区(ただし、東京、大阪、京都の三市はさらに数区に分割)。

〈ハ〉議員配分基準 人口一三万人につき議員一人(甲第一五号証三二頁)、市部(独立選挙区)は人口三万人につき議員一人。

〈ニ〉納税要件 三円以上に引下げ。

〈ホ〉有権者数約三〇〇万人(明治三五年の約三倍)、総人口の約五パーセントに達する。

なお、右のうち、〈ハ〉は当事者間に争いがない。

〈5〉 大正一四年改正法

選挙権の納税要件、独立選挙区を撤廃し、年令二五才以上の男子に選挙権を附与する「成年男子の普通選挙」を実施するという、画期的改正が行なわれた。

議員配分基準は、明治二二年以来の前示府県単位・人口比例配分方式を踏襲し、大正九年一〇月一日実施の第一回国勢調査による内地総人口五、五九六万三、〇五三人を基礎として、議員定数四六六人につき、郡部、市部とも人口一二万人(因みに右内地総人口を四六六人で除すと一二万〇、〇九二人となる)につき一人の割合で一率に各府県に議員を割り当て、さらに各府県内で同率により郡、市を単位に議員を割り当てていつた。ここにおいて一定の基準人口数を基礎とし、各府県単位に各選挙区へ議員定数を配分していく方式をもつて、議員定数の選挙区への配分基準ないし原則とすることが確立した。

また、別表を一〇年間は更正しない旨の明治三五年法以来の更正規定もそのまま存置された。

その結果、議員一人当りの選挙区別人口較差一対一・一七、都道府県別人口較差一対一・四八となつた。

この大正一四年改正法の中選挙区、議員定数四六六人などが以後の選挙制度の基礎となり、後述するように日本国憲法の制定後も概ねこれが原則的に踏襲されて、引継がれることになつた。

なお、議員の配分が人口一二万人に一人の割合でなされたこと、人口較差は当事者間に争いがない。

〈6〉 昭和二〇年改正法

ポツダム宣言受諾に伴う民主化に従い、昭和二〇年一二月衆議院議員選挙法を改正。選挙権年令を二〇才に、被選挙権を二五才に引下げ。女子にも選挙権、被選挙権が附与され、名実とも普通選挙制の全面的実現をみるに至つた。

都道府県単位の大選挙区制限連記制を採用。

そして同改正法別表の議員定数配分は次の方式による。

〈イ〉 昭和二〇年一一月一日現在の人口七、二四九万一、二七七人を議員定数四六六人で割り、その商一五万五、五六〇人を得る。

〈ロ〉 この一五万五、五六〇人で各都道府県の人口を割り、得られた商の整数部分を各都道府県の配当議員数とする。右の配当議員数の総数が現在の議員総数に満たないので、その残余定数を、端数の大きい都道府県に順次議員総数に達するまで、各一人を追加配当する。

〈ハ〉 議員数一五人以上の都道府県(東京都、北海道、大阪府、兵庫、新潟、愛知、福岡の各県)は二選挙区に分区。議員配当方式は前示〈ロ〉による。

〈ニ〉 右の選挙区の区割は現行の選挙区を基礎とし、人口数、交通、地勢等を考慮して決定する。

以上の結果、議員総数は四六八人(端数処理の関係で四六六人から二人増)。ただし、沖繩県は勅令で定めるまでの間、選挙を行なわないとされたため、実際はその二人減の四六六人が定数となつた。

その結果選挙区別人口較差は一対一・二〇となつた。

なお、議員配分が一五万五、五六〇人に一人の割合であつたこと、人口較差については当事者間に争いがない。

ロ 日本国憲法時代

〈7〉 昭和二二年改正法

大正一四年当時の中選挙区単記投票制に復帰。同改正法上の選挙区割及び議員配分数は前認定三(四)(2)、四(一)(1)のとおりであるが、同改正法別表による議員配分方式の詳細は次のとおりである。

〈イ〉 議員定数 大正一四年法と同じ四六六人。

〈ロ〉 総人口を四六六で除し、議員一人当り人口の全国平均値―基準人口数―を算出する。

〈ハ〉 右〈ロ〉の基準人口数で各都道府県の人口を除し、得られた商の整数部分と同数の議員を配分する。

〈ニ〉 定数の残余二四につき、各都道府県別に得られた〈ハ〉の商の小数点以下の数値の大きい順に議員一人づつを配分する(第一次配分終了)。

〈ホ〉 各都道府県別に配分された議員数をさらに各選挙区に再配分するに当り、人口を第一に、次いで行政区画等の地理的関係をも考慮して選挙区を定め、これに議員数を配分する(第二次配分終了)。

なお、右方式のうち〈ホ〉の各都道府県内の選挙区に対する第二次配分については行政区画等の地理的関係、即ち非人口的要素が考慮されてはいるが、〈イ〉から〈ニ〉までの第一次配分の段階では、ほぼ人口比例配分方式に基づくものであつた。このことは本判決末尾添付の別表一と対比することによつても明らかである。

このような議員配分の結果、人口約一五万六、〇〇〇人につき議員一人の割合となり、都道府県別人口較差は一対一・二五、選挙区別人口較差は一対一・五一となつた。

なお、都道府県別人口較差は当事者間に争いがない。

〈8〉 昭和二五年公職選挙法

新たに衆議院議員選挙法をはじめ各種選挙法を一本にまとめた公選法が制定された。しかし衆議院議員に関する議員定数配分基準は昭和二二年改正法と同じである。すなわち、公選法一条は「この法律は、日本国憲法の精神に則り、衆議院議員…を公選する選挙制度を確立し、その選挙が選挙人の自由に表明せる意思によつて公明且つ適正に行われることを確保し、もつて民主政治の健全な発達を期することを目的とする。」旨を定め、四条一項は「衆議院議員の定数は四百六十六人とする。」と本文上に定め、現行どおりとし、一三条一項において「衆議院議員の選挙区及び各選挙区において選挙すべき議員の数は別表第一で定める。」ものとし、この別表第一において各府県単位、各選挙区ごとに議員定数が逐次、配分列記され、その末尾に「本表は、この法律施行の日から五年ごとに、直近に行われた国勢調査の結果によつて、更正するのを例とする。」との更正規定を新設した。

そして、右公選法における衆議院議員の選挙区割と各選挙区の議員を定める別表第一は、昭和二二年改正法の別表をそのまま踏襲している。

もつとも、別表第一末文の右更正規定は昭和二二年改正法にはなかつた。この新設の更正規定は明治三五年改正法、大正八年改正法、大正一四年改正法の別表に定める「本表ハ十年間ハ之ヲ更正セス」という消極的な規定と異なり、五年毎の更正を例とすることを定めた積極的規定であつて立法趣旨が根本的に異なる。即ち、前述したように府県単位・人口比例配分方式を議員定数配分の基準としている以上、人口動態に関する国家的人口統計調査というべき五年毎の国勢調査が、別表に定める議員定数配分の更正の唯一の契機とされ、右配分は国勢調査の結果、人口に基づいた更正を例とすべきことが明定されたものである。

その結果人口較差は昭和二二年法と同じ。

なお、右のうち議員定数、議員配分基準、人口較差については当事者間に争いがない。

〈9〉 昭和二八年改正法

奄美群島の復帰に伴い、同地域に一人の議員を配分し、唯一の一人区を増設した。

〈10〉 昭和三九年改正法

昭和三五年の国勢調査の結果、選挙区別の人口較差が一対三・二一となつていることが判明し、選挙制度審議会は昭和三八年一〇月、兵庫五区で一人減、東京六区など一二選挙区で一九人増、差引一八人増員の是正案を答申した。その是正基準は結果的には一対二以内とされた。そしてこの審議会の答申をみると、「議員定数の不均衡の現状とその是正に関する基本原則」と題して、「このような不均衡(前記一対三・二一を指す)は、一日も早くすみやかに是正すべきが当然」であつて「現行中選挙区制を維持するという前提に立つとすれば(1)都道府県ごとに人口に比例して議員数を配当し、各選挙区ごとに定数の不均衡を是正すること、(2)各選挙区の定数は三人ないし五人とすること、(3)選挙区の境界の変更にあたつては市区町村の区域を尊重すること」を原則とすることが望ましいとした。しかし「この方法によつて是正を行なうとすればその増減が多数の都道府県および選挙区に及ぶ著しい変動をみることとなり、現段階において実際的でない」と考え「さしあたり選挙区制についての根本的な解決が行なわれるまでの是正措置」として、「(1)不均衡のとくに著しい選挙区についてのみ是正を行なう(2)現行の議員定数を著しく増加しない(3)現在の選挙区別議員一人当り人口偏差三・二倍以上を二倍に引き下げる」との考え方を基本として、「(1)各選挙区における議員一人当り人口が、全国平均議員一人当り人口二〇万〇、〇四〇人を基準として、上下おおむね七万人(一三万人台から二七万人台の間)となるように定数を増減して配当すること(2)その結果上述した増減案と(3)沖繩県へ暫定四名配当する案」を「不均衡是正の具体的措置」として答弁した(甲第一四号証八五、八六頁、第一一号証)。

この具体的措置案は、明治二二年法以来採られてきた前示府県単位・人口比例配分方式を、議員定数の不均衡の是正に関する基本的原則と評価しながらも、これによるときは増減府県、選挙区に著しい変動をみるところから、現段階では実際的でないとして、さしあたり不均衡のとくに著しい選挙区についてのみ是正することにして、全国平均議員一人当り人口を基数として上下三分の一偏差(最大・最小の較差がおおむね二倍以内、正確には一対二・〇七程度)となるように定数を増減して配分する方式(選挙区別の議員一人当りの平均人口を三分の一偏差内とする、「三分の一偏差配分方式」)を提案するものであつた。即ち、明治二二年以来七五年間に亘り採られてきた前示府県単位・人口比例配分方式による配分は行なわれず、単に選挙区間の最大較差のみを手直しする、(根本解決をみるまでの)暫定的な部分的是正案にすぎなかつた。

このようにして政府は右答申の差引一八人増(最大較差一対二・〇七)の定数是正案を国会に提出したのであるが、翌三九年、一人減員案を撤回し、一九人増員のみの是正案(最大較差一対二・一九となる)を再提出し、可決成立した。この際、増員後の議員数が六人以上となる選挙区は現行の三ないし五人区制を維持するために分区された。議員定数は四八六人。その結果、選挙区間の人口較差は一対二・一九となる。

なお、この際衆議院の公選法改正に関する調査特別委員会は、今期の定数改正は昭和三五年度国勢調査人口を基準としているため「既に多くの人口と議員定数のアンバランスを生じている。よつて政府は次期国勢調査の結果に基き、更に合理的改訂を検討すべきである。」との附帯決議を行ない本会議に報告された。このことは、本改正法が、議員定数の不均衡を根本的に解決するものではなく、あくまでも当面の具体的是正措置であること、人口の都市集中化の当時の趨勢から次期(昭和四〇年)国勢調査ではさらに大きな較差が予想されることに鑑み、更に合理的改訂の必要性を示したものということができる。

以上のうち、右改正経過、人口較差の消長については当事者間に争いがない。

〈11〉 昭和四五年改正法

沖繩の本邦復帰に伴い沖繩全県を一区とし、これに五人の議員を配分することとし、五人増員。

〈12〉 昭和五〇年改正法

昭和四〇年実施の国勢調査による選挙区間別人口較差は一対三・二三となり、さらに昭和四五年の国勢調査の結果は、一対四・八三に拡大した。その是正のため改正前の定数四九一人に二〇人を増員して、これを議員一人当りの人口較差の著しい(過小配分選挙区)一一選挙区に配分し、その結果六人以上となる選挙区を現行の三ないし五人区制にするため分区する改正法が成立。議員定数は五一一人(二〇人増員と前示沖繩復帰による五人増)、選挙区間人口較差は一対二・九二となつた。

なお、右の事実は当事者間に争いがない。

ところで、このような較差一対二・九二に至る経過は、原告の本案の主張一3(一一)(1)ロ〈12〉の「昭和五〇年改正法」の項にみられるように、人口較差上下三倍以内(以下、「二分の一偏差配分方式」という。)とすることを前提に、改正作業が国会において進められ、はじめ最も議員一人当りの人口数の少ない兵庫五区の人口一一万二、七〇一人を基数としながら、これを一一万二、〇〇〇人に修正し、その分、上限(三倍値)を引下げ、僅か一二一人をこえるに至つた愛知六区を是正区(増員区)にくみいれ、ついで、右基数に代え、全国平均議員一人当り人口(二一万三、一六七人)を基数となし、偏差値として(昭和三九年改正法が採つた「三分の一」に代え)「二分の一」を採用し、上下三倍(三一万九、七五〇人)をこえる神奈川三区、兵庫一区を増員区に加え、さらに右平均人口基数を二一万三、〇〇〇人と修正することにより、上下三倍値を三一万九、五〇〇と修正し、神奈川一区の増員幅を二人から三人に押しあげ、このようにして、当初の兵庫五区の前記最小人口基数により算定される増員数一六人に四人増の二〇人増員案が策定、可決をみるに至つた。

このように、偏差配分方式は、とかくその基数のとり方、修正の可否、さらには偏差の程度(二分の一か、三分の一か、又四分の一か)により議員一人当りの「一票の価値」に大きな作為的較差をもたらしやすいため(このことを図表的に説明したのが別紙一である)、関係選挙区や現議員の議席確保の利害得失が微妙に絡みあい、最も重要かつ基本的な人口比例基準がとかく軽視され、投票の価値の平等原則に大きな影響を及ぼしかねないことが知られる。

〈13〉 昭和六一年改正法(本件改正法)

その後の人口移動により再び人口較差が拡大するとともに(昭和五〇年実施の国勢調査で一対三・七二、昭和五五年実施の国勢調査で一対四・五四、昭和五八年施行の総選挙時の有権者較差一対四・四〇)、昭和五八年、昭和六〇年の違憲をいう大法廷判決を受けて、これを是正するため前示四(一)の経過により、昭和六〇年国勢調査の要計表人口(速報値)に基づき選挙区間の人口較差を一対三以内に納めようとして、最過大配分選挙区である七選挙区で各一名減員、最過小配分選挙区である八選挙区で各一名増員し、二人区となる選挙区のうちの三選挙区(愛媛三区、和歌山二区、大分二区)について隣接区との境界変更により二人区を解消した昭和六一年改正法が成立した。

その結果議員定数は五一二人(一人増員)、選挙区間人口較差一対二・九九、有権者較差一対二・九二となつた。

なお、右のうち人口較差、有権者較差、昭和五八年、昭和六〇年の最高裁判決がなされたことについては当事者間に争いがない。

そして、以上の昭和三九年改正法、同五〇年改正法、同六一年改正法によ濶・ウされた合計四〇名が加算された結果、前記公選法四条一項の「衆議院議員の定数は、四百七十一人とする」との本則の定めに対する、附則第二項の規定による、「当分の間、五百十一人」となつているものであり、前記国会附帯決議が抜本改正にあたつての右総定数の見直しを主要改正点の一つとして特記していることは多言を要しないところである。

そしてまた、以上の三回の改正は、公選法別表第一の府県別・選挙区別の定数配分の全体については、そのままにして、単に前述した偏差配分方式に則り最過大、最過小配分選挙区間較差の是正、手直しに終始してきたものであり、はたして、被告が「人口的要素」に対し「非人口的諸要素」としてあげる諸々の要素を、それぞれどのように、又どの程度考慮して(例えば、各諸要素を人口比率分に還元して考量するなど)総合調和をはかり、具体的な増、減、配分につき斟酌決定したかをうかがうに足る的確な証拠、資料は見当らない。

ハ 人口較差の推移

以上イ、ロ認定の明治二二年法から昭和六一年改正法までの衆議院議員定数配分の人口較差の推移を図示すると別表八のとおりとなる。

(2) 府県単位・人口比例配分方式の定着と独立選挙区

原告は前示一、3本案の主張(一一)(2)において人口平等按分方式が明治二二年法以来昭和三九年改正法まで七五年間に亘り定着していた旨主張し、被告は前示二3本案の主張(一〇)(1)(4)において大正一四年、昭和二〇年各改正法、昭和二五年公選法の議員配分方式が各府県に議員を配当する段階で人口比例方式を採つていたことを認めながら、明治二二年法以後昭和二五年公選法成立までの間に一定の方式性を発見し得ないとし、その根拠として明治三三年改正法の独立選挙区を挙げて人口比例方式の定着性を争うので、以下この点につき検討する。

イ 府県単位・人口比例配分方式の定着

前認定(1)の各事実を併せ考えると、衆議院議員選挙法において選挙区に対する議員の定数配分は、明治二二年同法制定以来昭和二二年改正法に至るまで各法一条において、附録または別表によりこれを定めるものと規定し、その積算の基礎となる附録または別表における議員一人宛の具体的人口数は議会において立法趣旨の説明がなされたうえで、同附録または別表の選挙区に対する議員の定数配分数が明記されてきたのである。ここでは、まず全国人口数を議員定数で割るという人口比例方式により、議員一人宛ての基準人口数を算出し、この議員一人宛の基準人口数をもつて都道府県の総人口数を割り、適宜端数切上切捨を行なつたり剰余数の多い順に追加配当を行なうなどして、都道府県別の議員配分定数を定め、これを受けて府県内でさらにこれを行政区画、地理、地形等の合理的諸事情をも考慮された選挙区に配分するという府県単位・人口比例配分方式が採用し続けられてきた。そして、これは昭和二五年の公職選挙法でもそのまま踏襲、維持され、これが昭和三九年改正法成立までの間の前後七五年間に亘り府県単位・人口比例配分方式が続用されて定着してきたことを推認することができ、本件全証拠によるもこれを覆すに足る証拠がない。

しかるに、昭和三九年改正法以降は同五〇年改正法及び同六一年改正法とも、右府県単位・人口比例配分方式により定められた従来の別表全体はそのままにして、当分の間別表のうち最過大、最過小配分選挙区の定員数を単に部分的に手直しをするという、選挙区間の著しい人口較差のみを是正する部分的是正策が繰り返され、前示府県単位・人口比例配分方式は部分的手直しの連続により済し崩し的に見失われつつあることは前認定(1)の立法の経緯により明らかである。

ロ 独立選挙区の例外性

(イ) 前認定(二)イ〈2〉〈3〉〈4〉の各事実によると、明治三三年、明治三五年、大正八年各改正法においては、府県単位では人口一三万人に一人の割合で議員を配分しつつ、都市部を独立選挙区とし、これには人口三万人以上一三万人毎に一人の議員を配分する方法が採られており、両者の間に議員配分比率に較差が生じていることが明らかであり、両者を通じてみると人口比例配分方式が貫徹されていないようにも見える。

しかしながら、郡部は郡部として、市部は市部としてその郡、市の種類ごとに考察すれば、それぞれの部門では人口比例配分方式が採られていることが明らかであり、全く独立選挙区が人口比例配分方式とは無縁なものといえない。

(ロ) 問題は独立選挙区が前示府県単位・人口比例配分方式との間でどのような関係に立ち、その例外性に合理性があり、この方式を実質的に廃棄したものでないといえるかどうかである。

明治三三年法以降の前認定の独立選挙区の設置は前示イにおいて説示したとおり、府県単位・人口比例配分方式が全国人口数を議員定数で割り議員一人宛ての基準人口数を算出して、第一次的にこれを都道府県の総人口に比例して府県別の議員定数を配分するのとは異なり、別個の方法による市部毎の人口比例配分方式であり、その例外をなしていることは明らかである。しかしながら、成立に争いのない甲第一〇、第三八、第四〇号証、第四二ないし第四四号証、弁論の全趣旨によれば、〈1〉明治三三年改正法では議員総数三六九人中独立区議員数六一人で、その割合は一七%であり、〈2〉明治三五年改正法ではそれが三八一人中七九人で、二一%、〈3〉大正八年改正法ではそれが四六四人中一一六人で、二五%であることが認められ、この議員数割合からみて市部の独立選挙区に対する議員配分は府県単位・人口比例配分方式の例外であり、右の割合の残余である議員数の大半についてはなお府県単位・人口比例配分方式が採られており、この方式が前示独立選挙区の採用により形式的にも実質的にも廃棄されたものとはいえず、最も重要かつ基本的な議員の人口比例配分方式としてなおこれが維持されていたことが認められ、他にこの認定を動かすに足る証拠がない。

(ハ) 次に独立選挙区の性質と立法理由の合理性について検討する。成立に争いのない甲第五八、第五九号証、弁論の全趣旨、とくに立法担当者であり、かつ伊藤博文侯に命ぜられてなした衆議院書記長林田亀太郎の説明(甲第五八号証)によると、明治二二年の衆議院議員選挙法制定当時の選挙権の賦与は、地租に有利な直接国税一五円以上の納税者に限られていたため、人口数に対する有権者数は農村部で高く都市部で低いうえ、明治二〇年代の都市の人口は多くなかつたので、選挙区の人口一二、三万人の過半数を占める市は極めて稀であつた。そして都市部と農村部が合体されていた当時の選挙区では農村部の有権者に圧倒されて都市部の有権者は自らの代表者を選出することができず、たとえば明治三一年当時「単独に市より選出せられたる議員は三百人中僅かに十七人に過きす、此の十七人さへ市の選出と謂ふと雖とも尚地租納税者と所得納税者との共同に依りて選出されたるものなれは純然たる商工業の代表者と称するを得す」(甲第五八号証一六三頁)、この一七人は約六パーセントにすぎず、市町の人口九七〇万人の全国人口四、二〇〇万人に対する割合である二四パーセントと対比しても四分の一程度の議員選出能力しかなかつた(甲第五八号証一七三頁)。しかしながら、農村部に比し都市部における商工業の発達は著しく、そのため例えば「現行選挙法制定当時即ち〔明治〕二十二年度の予算を見るに、我國の経常歳入は六千六百万圓にして此の内地租は四千二百万圓、即ち國税の六割四分弱を占めたりしか、・・・三一年度に於て経常歳入は一億三千万円の巨額に達し、而して地租は地価修正の結果却て三千八百万圓に減し、國税の二割九分強に過きざるに至れり」、「斯くの如く、國運進捗の結果、日本の経済上農家と商工業家との地位相転倒したるに拘らず、今日に於て商工業家の代表者は依然僅に百万の六弱に過きざるは甚た不公平にして権衡を失する」(甲第五八号証一六三、一六四頁)を主たる理由として明治三三年改正法で独立選挙区が創設された。もつとも、都会の人口は全國人口の百分の二四弱であるから、人口一〇万人に議員一人とすれば郡部より三五九人、都会部より一一三人を選出するのが人口比例に適合する所以であるとされたが(同号証一六五、一六六頁)、しかし、人口標準を市と郡と同じにすると、商工民の市外、即ち郡部に在るものも多いので前述の比例により算出した起草者の欲する市部選出議員が得られないため市部を独立選挙区としたと説かれており(同号証一六九、一七〇頁)、他にこれらの立法理由の説明を動かすに足る証拠がない。そして、前記甲第五八号証、弁論の全趣旨によれば、当初伊藤(博文)侯案では完全に都市部の人口に比例して市選出議員を二四%にしようとするものであつたが明治三三年改正法の成案では市選出議員の割合は前示(ロ)〈1〉のとおり一七%に増加するにとどまつた(前記甲第五八号証一七三、一七四頁)。

(ニ) 右認定の各事実と立法の経緯に照らすと、明治三三年改正法から大正八年改正法にいたる右独立選挙区という特殊な形態は、府県単位・人口比例配分方式の例外ではあるが、日本経済が農業を主体とする経済体制から、商工業を中心とした資本主義経済へ進展するにつれ、当時の地租を基本とした制限選挙の下で不均衡が生じ、都市部と農村部の各選出議員の人口に対する較差を是正する目的で立法されたものであり、その内容、手段等もこの立法目的と実質的に関連し、かつ実質上その内容を具備している。それのみならず、独立選挙区は府県単位・人口比例配分方式の例外であるといつても、それは前認定の立法目的、立法経過に照らし、それは制限選挙制の下において都市部と農村部の較差を是正するための人口比例配分方式を充実強化してその実質的保障を目指したものであり、いわば府県単位・人口比例配分方式とともに都市単位の人口比例配分方式を並用したものであるというべきである。

したがつて、府県単位・人口比例配分方式は独立選挙区の創設によつて廃棄されたものではなく、なお引続き基本原則として維持されていたものであり、しかも独立選挙区は前示のとおり同じく人口比例配分方式を別個の観点から支えようとした合理的な補完的制度であつたと考える。

したがつて、被告の本案の主張二3(一〇)(4)の独立選挙区の採用により、これがいかなる意味でも原告主張の人口平等按分方式とはいえないので人口平等按分方式(人口比例配分方式)が明治二二年以来継続しているとはいえないとの主張は採用できない。

なお、原告が主張する人口平等按分方式なるものは、前記認定の「府県単位・人口比例配分方式」の意味において、これを正しく表現・理解することができる。よつて以下原告が主張する人口平等按分方式についての憲法慣例に関する論議も、右の方式について進めるものとする。

(3) 府県単位・人口比例配分方式の法的性質(憲法的習律)

原告は本案の主張一3(一一)(4)において前示「府県単位・人口比例配分方式」は裁判所によつて強制される憲法律としての法的性質を有する憲法慣例であると主張し、被告は本案の主張二3(一〇)(4)においてこれを争い、憲法上の法的拘束力を付与できるとは到底考えられないと主張するので、この点につき検討する。

硬性憲法の性質をもつ日本國憲法九六条の下でも、憲法の表現が簡潔で憲法の改正が特に厳格・困難である場合には、時代の変化に対応するため、多かれ少なかれ憲法上の慣例、習律ないし慣習と呼ばれるものが成立し得るのであつて、これに対し、そもそもこのような慣例、習律ないし慣習を見出し法的拘束力を付与することは成文憲法の下ではおよそ考えられないとする被告の前示主張は採用できない。

そして、憲法上の慣例、習律ないし慣習が一種の法的性質を備えるためには、憲法上の事項につき、一定の行為、事実が〈1〉長期間に亘つて反覆されること(一、二回の行為や事実は単なる先例にとどまる)。〈2〉長期間にわたつて持続されること。〈3〉不変で明確であること(反覆される一連の行為、事実が同一の意味を保持し、異なる意味に解釈されるようなものであつてはならない)。〈4〉その行為、事実に一種の規範としての価値を認める國民の規範意識が存在すること。以上の要件を備えることが必要である。

そして、このような要件を具備した憲法的習律(右の要件を具備し憲法上の事項に関する憲法運用上の慣例、習律ないし慣習で一定の法的拘束力をもつものを、以下「憲法的習律」という)は、そのうち〈イ〉憲法に基づきその本来の意味を発展させるもの、〈ロ〉憲法上の明文規定が存在しない場合にその空白を埋めるものについては、一定の法的拘束力をもつものとして成文憲法の下においてもこれを容認することができる。

そして、前認定(1)の各事実、(2)イ及び前示二、三の説示に照らし、衆議院議員の府県単位・人口比例配分方式は、憲法一四条の要請する投票価値の平等と憲法四三条、四七条により選挙制度の仕組みの具体的決定を委ねられた國会の裁量において人口数と配分議員定数との比率の平等を最も重要かつ基本的な基準としてこれを行なうべきであるという憲法上の抽象的規範の空白を埋め、それを具体化し実効あるものとする一つの重要で有益な方法ないし手段として存在すること、この府県単位・人口比例配分方式が明治二二年の衆議院議員選挙法制定以来昭和三九年の公職選挙法改正法成立までの約七五年間の長期間に亘り反覆されてその効力が持続され、不変で明確なものであること、とくに大正一四年改正法により制限選挙制が撤廃され成年男子の普通選挙制が採用されて以来昭和三九年の改正直前に至る約四〇年間は独立選挙区という例外もなく完全に不変明確なものであつたこと、そして、この方式は成立に争いのない甲第六五、第六八号証、弁論の全趣旨によれば、明治憲法草案の審議過程において、元老院の憲法草案である國憲の二条、三条の、その起草過程における法の下の平等、とくに、参政権の平等の原則を定めたものと解されていたことが明らかな明治憲法一九条の「日本臣民ハ・・・均ク武文官ニ任セラレ及其ノ他ノ公務ニ就クコトヲ得」との規定や、日本國憲法一四条の法の下の平等、四四条の選挙人資格の平等の規定の本来の意味を発展させ、前示投票価値の平等を実現するための配分議員定数と人口との比率の平等を最も重要かつ基本的な基準として行なうべき定数配分に関する國会の裁量権行使方法を定める細目規定の空白を埋めるものとして、國務大臣、國会議員、立法関与者など憲法の働きに携わる國家機関とその構成員が義務的なものとして受け入れており、しかも前認定(1)の各事実、(2)イの説示のとおり、府県単位・人口比例配分方式を衆議院議員の定数配分基準として採用し、明治二二年衆議院議員選挙法制定以来昭和二二年改正法に至るまで議員の配分定数を定める同法附録または別表における議員一人宛の具体的人口数等はその都度議会において積算の根拠、方式などとともに立法の趣旨が説明され、つねに府県別最大較差「一対二」以内にとどまる当該定数配分議案(明治二二年法以来の衆議院議員選挙法における議員一人当りの府県別人口の最大較差が、何れも一対二以内にとどまつていたことは前認定五(二)(1)イ〈1〉~〈6〉、ロ〈7〉、〈8〉に示した各法ないし各改正法による府県別人口較差の推移に照らし明らかである)の可決後、同附録または別表として選挙区に対する議員の定数配分数が明定されたばかりでなく、これに基づく各選挙が繰り返し実施されたものであり、右の配分方式について国民から何ら異議も述べられず、むしろこれを公平平等な議員定数配分方式として是認し、国民の規範意識を形成したものである。そして、このことは昭和二五年の公職選挙法においてもそのまま踏襲、維持され、昭和三九年改正法成立前まで同様な配分方式による衆議院議員の定数配分とこれに基づく選挙が繰り返され、前同様国民はこれを何ら異議なく容認していたもので、右府県単位・人口比例配分方式はわが国の近代立憲制の発足以来、日本国憲法制定後にも引続いている歴史、沿革にてらして、暗黙裡に国民の規範意識として存在しかつ定着するに至つたものと認めることができ、これを動かすに足る証拠がない。

しかも、衆議院議員定数配分における人口比例の定めは前示三(三)のとおり、アメリカ、ソビエト、イタリア、ベルギー、スイス、ブラジル、ギリシヤ、メキシコなど諸外国の立法例において成文憲法法典に明文規定をおくところも多く、前示府県単位・人口比例配分方式は憲法に関する事項についての習律であるといえるし、人口比例配分方式は前示三(三)のとおり代議制ないし代議政治の基礎をなすもので、衆議院が原理的に協賛機関にすぎず当初制限選挙制の下にあつた明治憲法下においても、また唯一の立法機関である国会の一院とされる日本国憲法下の完全普通選挙制においても、それが全く異質のものとはいえず、これに対する国民の規範意識についても、それが本質的に相異なりその連続性を欠くものとはいえない。

したがつて、前示府県単位・人口比例配分方式が法的拘束力をもつ憲法的習律としての法的性質を有するものというべきである。

しかしながら、右の憲法的習律が原告主張のように形式的意味の成文憲法と全く同一の効力を獲得するものとはいえず、これに違反するところがあるからといつて直ちにそれが違憲であるとは即断できないのであつて、それは国務大臣、国会議員など憲法の働きに携わる国家機関とその構成員である人々が慣習ないし習律上の義務、即ち行為規範に違反することを意味し、これがその基礎にある憲法条規の解釈規準になるものであると考える。

(4) 前同方式の解釈規準としての重要性

前示二(二)、三(一)に説示したとおり、選挙区の人口又は選挙人数と配分議員数との比率の平等は、衆議院議員配分における国会の裁量権の行使にあたり考慮すべき要素として最も重要かつ基本的な基準とされるのであるが、この最も重要かつ基本的な基準として配分を行なううえで、前示のとおり憲法的習律としての法的効力を有する府県単位・人口比例配分方式は極めて合理的な決定基準であり、これが重要な役割を果たすものであると考える。即ち、この方式による配分が行なわれる限り、原則として前示人口比率の平等、即ち一票一価を理想とする投票価値の平等を最も重要かつ基本的な基準としてその配分が行なわれたことを推定することができるのである(なお府県単位・人口比例配分方式をとれば、少なくとも全県一区定数四名以上の中選挙区の下にあつては、議員一人当りの府県別人口の最大較差は、必ず一対一・六六以下にとどまることは、別紙二のとおり、数理的にもこれを証明することが可能である。)。

そして、このことは、昭和五八年の最高裁判決が、昭和二五年公選法制定当時議員定数配分は前認定五(二)(1)ロ〈7〉、〈8〉のとおり、昭和二二年改正法の別表の定めをそのまま維持したものであるが、この「別表における選挙区割及び議員数は、昭和二一年四月実施の臨時統計調査に基づく人口を議員定数で除して得られる数約一五万人につき一人の議員を配分することとし、その他に都道府県、市町村等の行政区画、地理、地形等の諸般の事情が考慮されて定められたこと・・・はその制定経過から明らかである。」とし、次いで「右にみたとおり、公職選挙法は、その制定当時、衆議院議員の選挙の制度につき、選挙区の人口と配分された議員数との比率の平等を唯一、絶対の基準とするものではないが、これを最も重要かつ基本的な基準とし、更に、前記の諸般の要素をも考慮して、選挙区割及び議員定数の配分をしたものと解される」と説示し、前示のとおり憲法的習律としての府県単位・人口比例配分方式に則つた昭和二二年改正法別表をそのまま踏襲、維持した公選法制定当時の議員定数配分が人口比率の平等を最も重要かつ基本的な基準としてなされたものと評価している。このことは、憲法的習律である府県単位・人口比例配分方式が議員定数配分の合理性の判断にあたつて重要な解釈規準になることを示唆したものともいえる。

(5) 前同方式の法的効力の持続

この府県単位・人口比例配分方式は前示のとおり明治憲法下にある明治二二年法以来日本国憲法下にある昭和二二年改正法ないし昭和二八年改正法を経て昭和三九年改正前までの憲法的習律であるが、前示のとおりこれは日本国憲法一四条、四四条等に合致しこれを具体化したものであつて、明治憲法以来の憲法的習律の内容、実質が日本国憲法の条規に反し許されないものでないことはいうまでもないから、日本国憲法の下で有効に存続するものというべきである(憲法九八条一項、最判(大法廷)昭和二三・六・二三刑集二巻七号七二二頁、最判(大法廷)昭和二五・二・一刑集四巻二号七三頁参照)。

また、右府県単位・人口比例配分方式という憲法的習律が前記昭和三九年改正法以後消滅したかどうかについてみると、前示(2)イのとおり、昭和三九年改正法以降は著しい人口較差部分のみを是正するためにその場凌ぎの部分的是正策が当分の間公職選挙法別表を手直しするという手法で繰り返されており、府県単位・人口比例配分方式が次第に見失われつつあるやに見られるけれども、右各改正では手直しをした著しい人口較差のある選挙区以外の部分は従前府県単位・人口比例配分方式によりなされた議員定数配分規定をそのまま踏襲しており、しかも前示四(一)(二)のとおり昭和三九年改正法の成立にあたり、選挙制度審議会の答申はあくまでも選挙区制についての根本的解決の行なわれるまでの是正措置としての差引一八人増員の是正案を提案し、これを受け一部修正の上成立した同改正法は、最大較差一対二・一九であつたが、それでも当時の衆議院の公職選挙法に関する調査特別委員会は「今期の定數改正は昭和三五年度国勢調査人口を基準としているため既に多くの人口と議員定数のアンバランスを生じている。よつて政府は、次期(昭和四〇年度)国勢調査の結果に基づき、更に合理的改訂を検討すべきである」との附帯決議を行ない、本会議に報告しており、さらに今回の昭和六一年改正法においては立法府たる衆議院自体が国会附帯決議をもつてその定数是正が違憲とされた現行規定を「早急に改正するための暫定措置」であるとし「速やかにその抜本改正の検討を行う」ことを明示していること、さらにまた、昭和三九年改正法以来増員された合計四〇人の定数増は、公職選挙法第四条の本則上の議員定数四七一人に対する附則二項による「当分の間」の定数にすぎないことからも明らかなように、昭和三九年以降の各改正法においてもそれぞれ府県単位・人口比例配分方式を廃棄するまでの立法意思は存在せず、他方周知のとおり定数訴訟が繰り返し提訴され、選挙権の平等が国民から問われ続けている以上、この方式を遵守すべき規範意識が消滅したものともいえないし、これに代る適切な代替方式を採用したなど、その消滅の合理的な理由もこれを認めるに足る的確な証拠がないから、右府県単位・人口比例配分方式の憲法的習律として効力が完全に消滅ないし衰滅したものとはいえない。

(6) 本件改正法と府県単位・人口比例配分方式

このように府県単位・人口比例配分方式は、憲法上投票価値の平等を最も重要かつ基本的な要素として定められるべき議員定数配分規定の極めて合理的な決定基準として、前示のような長い歴史のなかで払われた努力と平衡感覚あふれる知恵のいわば蓄積として、憲法的習律を形成していたものであり、国務大臣、国会議員など憲法の働きに携わる国家機関とその構成員の行為規範として長い憲法運用の歴史的過程において慣用化され、国民の規範意識として定着し、裁判所にとつてその基礎にある憲法条規の解釈規準となるものであるところ、本件改正法は、全体としてこの方式による別表をそのままとりながら、部分的に、別表第一の最過大配分選挙区につき一部の合、分区をした上、最過小配分選挙区につき上下限二分の一偏差の枠内(上下三倍以内)で、八増七滅の較差是正という一部手直しをしたにすぎず、最も重要かつ基本的な人口要素に対する非人口的諸要素をいかように、又いか程考慮(ないし考量)して総合調和をはかり具体的配分を斟酌決定したかという証拠資料は見当らないばかりでなく、他にこれに代る合理的な定数配分決定基準を定めるとか、選挙制度の仕組みに合理的な変更を加えるとか、或いは府県単位・人口比例配分方式に基づき議員定数配分の全面的見直しがなされるなど、特段の事情が認められないことは前示のとおりである。

したがつて、府県単位・人口比例配分方式によらずに部分的手直しを行なつた昭和六一年改正法が残す前示最大一対二・九九の人口較差は國会に許容される合理的裁量の範囲を逸脱したもので、前示三(四)(5)の中間的審査基準〈3〉にいう「他のこれを合理的でないと判定するに足る事情を見出すことができない」とはいえず、この「合理的でないと判定するに足る事情」があるといわねばならない。

したがつて、特段の事情が認められない限り、本件改正法は違憲状態にあるといわざるを得ない。そこで以下においてこの特段の事情の有無についてさらに検討をすすめる。

(三)  立法目的の重要な公益上の必要性

前示(一)のとおり今回の昭和六一年改正法は違憲とされた議員配分規定の「早急な是正が強く求められている」ことに即応して「本問題の重要性と緊急性にかんがみ速やかに定数是正の実現を期する」ものとし、立法府である衆議院自身が前示のとおり国会附帯決議をもつて、右改正法が暫定措置であり、速やかに抜本改正の検討を行なう旨を明言しているのである。

したがつて、昭和六一年改正法の前示改正前の違憲とされた議員配分規定の早急な是正のための緊急的、暫定措置であるとの立法目的は、前示のとおり本来なら一対二・九九の人口較差を残す本件改正法が合理的裁量の範囲を逸脱し違憲状態が生ずる筈のところを一時的に回避する唯一の方途として頗る重要であり、昭和六一年改正法による定数配分規定は、この重要な公益目的を達成する手段としてこれと実質的な関連を有し、実質的内容を具備する場合に限り、これを違憲とみない特段の事情があり、合憲性を有するものというべきである。

六  本件改正法の緊急暫定性の具備

そこで昭和六一年改正法を合憲とみるためには、前示中間的審査基準〈1〉〈2〉に照らし、客観的に見て、その重要な公益上の必要性をもつ、抜本改正までの緊急暫定的較差是正という立法目的と、同法律がその目的を達成するための手段、措置、方法として実質的に関連しその内容を実質的に具備することが必要とされる。

ところで、このような実質的関連性を判定するには、同改正法が緊急暫定措置としてその実質を有するか否か、はたまた速やかな抜本改正が行なわれたか、或いはその手続が定められ改正法の短期の存続期間が定められているかなどを審査する必要がある。

そこで検討してみるに、前認定四(一)(7)、五(二)(1)ロ〈13〉のとおり、本件改正法は公職選挙法の衆議院議員の定数配分を定める別表第一の一部の選挙区の配分数と選挙区割を当分の間改正するとの趣旨で、いわゆる八増七減という増、減員改定を行ない、議員定数を五一二人として一名増員し、最大較差の軽減を図つたものであるが、この他に、抜本改正を早期に行なうこと、昭和六一年改正法が一定の期間内のみ有効な限時法であることを、同法上において明記し、或いはこれを保障する条項は見当らない。したがつて、昭和六一年改正法が抜本改正までの緊急の暫定措置としての実質的内容を具備しているといえるためには、同法成立後抜本改正案が國会に提出され現にこれが審議中であるとか、短期間の間に抜本改正がなされる確実な見込が客観的に存する場合に限られるというべきである。

そして、右の抜本改正案が昭和六一年改正法成立後現時点(最終弁論期日、昭和六二年九月二八日)に至るまで國会に提出されたり、これが現に審議中である事実が存しないのは、公知の事実である。

そこで、同改正法成立後抜本改正のため十分な検討準備が行なわれたかどうか又確実な抜本改正の見込があつたといえるかどうかについて、事後的な事情(間接事実)を検討して、立法当初の緊急暫定性の具備を推認できるかを検討する。

被告の本案の主張二3(ハ)(2)において自ら主張するとおり、昭和六一年九月一七日第一〇七國会本会議において内閣総理大臣が「先の國会における定数是正は暫定措置でありまして、六十年國勢調査の確定人口の公表を待つて速やかに抜本改正を行なうと約束しておるところでございます。

衆議院の定数配分規定の抜本改正の内容・・・は選挙制度の根本にかかわる問題でありまして、各党におきまして十分御論議を願い、政府もその推移を見守りつつ検討してまいりたいと考えております。」と答弁したほか、昭和六十一年一〇月一七日の公職選挙法改正に関する調査特別委員会において若干の質疑が行なわれたにすぎず、また当事者間に争いのない同年六月一九日付から同年一一月一〇日付まで前後八回に亘る官報公示により國勢調査確定値人口が公表された後の、同年一二月二九日および、昭和六二年五月二六日の同委員会では実質的審議がなされたことを示す議事録等の証拠もなく、同月二七日閉会した第一〇八國会では抜本改正に関する審議は全く行なわれず、原告の本案の主張一(九)のとおり、同年一月二六日の同國会冒頭の施政方針演説において内閣総理大臣が「衆議院の議員定数の抜本的是正の問題については、國会決議によつて示された方針に基づく各党間の論議を踏えながら、政府としても最大限の努力をしています」と述べたにとどまつている。また同年七月二一日、第一〇九國会の参議院予算委員会においても矢原(公明党)委員の「衆議院の議員定数の抜本是正をどうするのか」の質問に対し、首相は「昭和六十年度の國勢調査の最終結果に基づき、思い切つた改正、定員縮減をやろうという、そういう趣旨の各党の協議が成立しています。残念ながら目前の仕事に忙殺されていまして、この一番深い大きな問題に取つ組んでないのは甚だ残念ですが、國民のみなさんの納得する改革がなされるのが望ましく、自民党も努力したい」旨の答弁をしている(成立に争いのない甲第六〇号証―第百九回國会参議院予算委員会会議録三号三頁)。

以上の事実は成立に争いのない甲第五号証の二六ないし三六、甲第六〇、乙第一九ないし第二四号証、弁論の全趣旨により認められるし、公知の事実でもあり、他にこれを動かすに足る証拠がない(なお、成立に争いのない甲第六二号証によれば、「右第一〇九回國会は昭和六二年九月一九日閉会したが、この臨時國会においても、「一票の較差」是正の問題は国民の政治への信頼の基礎をなすものであるのに前通常國会と同様、完全に無視されたことは極めて遺憾である」旨の論評がなされている。)。

右認定の事実に照らすと、昭和六一年改正法が昭和六一年五月二三日に成立して以来現時点(口頭弁論終結時である昭和六二年九月二八日時点)まで既に一年四ケ月余を経過しているにもかかわらず、又、昭和六〇年度国勢調査確定値人口が同六一年一一月一〇日付で最終的に公表されすでに約一〇ケ月余を経ているにもかかわらず、抜本改正の確実な見込があるといえないのはもとよりのこと、十分な検討審議すらもこれがなされた形跡がなく若干の形式的質疑が交わされているに過ぎないことが明らかであり、他に近いうちに右抜本改正成立の見込が客観的に確実であることを認めるに足る的確な証拠がない。かえつて、被告は本案の主張二3(八)(2)のとおり右附帯決議に副つた抜本改正の検討は各党間で進められると考えられるので、政府としては司法の場で具体的な見通しを述べるべき立場にないとさえ主張しているくらいである。

右認定の各事実を併せ考えると昭和六一年改正法はその手段、措置、内容が、立法目的である緊急暫定性と実質的に関連せずこれを具備しないものといわざるをえないのであつて、他にこれを認めるに足る的確な証拠がない。

七  本件議員定数配分規定の違憲性と本件選挙の効力

(一)  本件配分規定の違憲性

前示のとおり、昭和六一年改正法は、その立法目的である緊急暫定性はその内容との実質的関連性が乏しく実質的にその緊急暫定性を具備しているものとはいえないのであつて、抜本改正のないまま同改正法成立後一年有余を経過した現時点で振返つてみると、人口較差一対二・九九を残す同改正法による衆議院議員定数配分規定には、これを違憲としない特段の事由があるとはいえず、憲法に違反するものというほかない。

即ち、最大人口較差一対二・九九を残し緊急暫定措置という立法目的の下になされた昭和六一年改正法は前示のとおり、その内容が緊急暫定性を具備せず実質的にこれと関連しているものといえないから、既に改正の当初から、同規定の下における選挙区間の議員一人当たりの人口又は選挙人数の較差が憲法の選挙権の平等の要求に反し國会に許された合理的裁量の限界を超え、違憲な選挙権の不平等状態が存在しているものというほかない。

しかし、そのことにより直ちに改正当初から当該議員配分規定の憲法違反までもたらすものと解すべきではなく、同法の緊急暫定性という立法目的の性質に照らし、右人口較差や次選挙の可能性をも考慮して、合理的期間内における抜本的改正による是正が憲法上要求されているのであつて、それが行なわれない場合に初めて右規定が憲法に違反するものと判定することができるものであると考える。

(二)  本件選挙の効力

そして、緊急暫定措置はそれが恒久的半永久的なものとなつてはならないことはその性質上自明のことであるから、右の合理的期間は長期であることは許されず、國会の適切な対応など諸般の事情を考慮した比較的短期の相当期間であると解される。

したがつて、この比較的短期の相当期間を厳格に解する場合には、昭和六一年改正法成立時から一年有余を経た現時点までの間に憲法上の要求に合致したその抜本的是正のための改正がなされなかつたことにより、違憲な選挙権の不平等状態が恒久化の傾向を帯び、憲法上要求される合理的期間内における是正がされず、右改正法による議員配分規定が憲法に違反するものと解する余地がないではない。

しかしながら、本件選挙が昭和六一年七月六日に行なわれたことは当事者間に争いがなく、昭和六一年改正法が成立した同年五月二三日から僅か二か月足らずのうちに行なわれたものであるから、同法成立時から本件選挙までの間に、その抜本的是正のための改正がなされなかつたことにより、憲法上要求される合理的期間内における是正がなされなかつたものと断定することは困難であるといわねばならない。したがつて、本件議員配分規定成立後間もなくこれに基づいて行なわれた本件選挙は、当初から抜本改正を行なわないことを前提として実施されたものであることなど特段の事情がない限り、憲法に違反する議員配分規定に基づくものとして公職選挙法二〇四条、二〇五条一項により無効ということはできない。

以上のとおり、本件においては、本件選挙当時、既に選挙区間における議員一人当りの人口ないし選挙人数の較差は、憲法の選挙権の平等の要求に反する程度に至つており違憲の状態にあつたものといわねばならないけれども、本件選挙当時の議員定数配分規定(公職選挙法一三条一項(現行法)、同別表第一、同法附則七ないし九項)を憲法に違反し、これに基づく本件選挙を無効であると断定することはできないというほかない。

なお、前示のとおり選挙区間における本件選挙当時の投票価値の較差は憲法の選挙権の平等の要求に合致する程度にまで縮小したものとはいえずなお右要求に反する程度にとどまつたものであり、又昭和六二年三月三一日時点での住民基本台帳人口では較差一対三・〇八と再び三倍をこえており、しかも昭和六〇年度国勢調査人口の確定値も昭和六一年一一月一〇日には最終公表済である。したがつて緊急暫定措置としてなされた昭和六一年改正法施行後既に約一年有余を経過している現在、立法府である衆議院自体が前示のとおり國会附帯決議により宣言しているように憲法の要求する選挙権の平等の確保に則り衆議院議員の適正な配分に配慮し、また公職選挙法別表第一の末尾の、五年ごとに直近に行なわれた國勢調査の結果によつて更正するのを例とすること及び不十分な緊急暫定的是正である昭和六一年改正法の直前の昭和五〇年改正法施行後既に約一二年の長年月を経過していることに照らし、前示選挙権の平等の要求に副うような是正のための抜本的改正がすみやかになされることが強く望まれる。そして、昭和六一年改正法による現行衆議院議員定数配分規定は抜本的改正がなされないまま、既に一年有余を経過した現在既にその緊急暫定性を失なつているともみられるのであつて、前示趣旨の抜本是正がない限り合理的期間経過後の次期選挙は多分に違憲のものとなり、本件に現われた諸般の事情を総合考察して、その効力を否定しなければならない場合もあり得るといわざるを得ない。

第三結論

以上のとおりであるから、その余の判断をするまでもなく、本件選挙を憲法に違反したものとしてこれを無効とする旨の判決を求める本訴請求は認容できない。

よつて、原告の本訴請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 廣木重喜 諸富吉嗣 吉川義春)

別紙一、二〈省略〉

別表一~八〈省略〉

別紙選定者目録〈省略〉

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